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異世界転生応援室トラック係・釣合秤の業務報告書  作者: 日ノ日
第二部 第三章
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第64話 転生予定者カガヤカオル④

 未だ心配そうに窺うカガヤカオルを無視して、ゆっくりと息を吐き、それ以上に時間を掛けて吸いながら考えを纏める。


 このまま異世界のことを説明せず、護符だけ渡して異世界送りを行った場合、当然カガヤカオルは何も知らないまま異世界に旅立つことになる。

 チート能力に加え、異世界サポートもあったセンドウですらあっさりと死んでしまったのだ。異世界というのは秤がこれまで想像していた以上に危険な世界なのだろう。

 そんなところに何も知らない少年を送り込めばどうなるか、想像に難くない。


(なら、全部正直に言えばいいのか?)


 チラと視線を投げると、未だ視線を逸らさずじっとこちらを見ている少年と目が合う。

 瞳には相変わらず狂気が渦巻いており、秤の一挙手一投足を見逃すものかと訴えている。


 その瞳を見ていると、全てを正直に言って良いか分からなくなる。

 結局は死ぬ(異世界に転移するとはいえ、世界改変で痕跡が消えることを考えれば、この世界に於いては死んだも同然だ)と知れば、どんな行動を取るか予想がつかないからだ。

 ここで秤が異世界のことまで話すと、誰彼構わず異世界の話をしたり、他の入院患者に護符を使って病気を癒そうとするかもしれない。

 そんなことをしても意味はないが、自暴自棄になったらどんな行動を取っても不思議はない。


 朝日が今までの転生予定者に、異世界のことを知らせないまま、だまし討ちのようなやり方で送り出していたのは、それを懸念していたためだ。

 しかしカガヤカオルは既に魔法の存在を認識し、信じ切ってしまっている。


 だからこそ、先ず知るべきは彼の行動原理。

 スーツの内ポケットに手を入れ、今度は心臓ではなく護符を取り出した。

 瞬間、少年の顔が明るくなる。

 同時に瞳の狂気が更に増した。

 今にも護符を奪いに飛びかかってきそうな少年から遠ざけるように、手首を返しつつ告げる。


「悪いが、これを渡す前に聞いておくことがある」


「なんですか!? あの、お金ならいくらでも。両親を説得して、きっと──」


「そうじゃない。金を取るつもりはない。ただ、これも先に言っておくけど、この護符を使っても、君の病気が完治することはないんだ」


 勘違いしている少年の言葉をきっぱりと遮る。


「え?」


 希望の光が射していた顔が、一転して絶望に染まった。

 話す順番を間違えたか。と内心で舌を打ちつつ続きを口にした。


「それはこの護符の力不足じゃなく、君の体に巣くっている別の力が効果を邪魔するからだ」


「別の?」


 先ほど秤がしていたように、服の上から心臓付近を掴む。

 病気のことを言っているのだと分かったので、首を横に振った。


「病気そのものじゃない。悪い気の流れというか。それを取り除かないと意味がないが、だからこそ、さっきの話に戻るんだ」


 実際には、朝日たちより格上である上位存在の神気を取り除くことなどできないが、こう言った方が話が伝わりやすい。


「なんですか。なんでも聞いてください」


 姿勢を正して聞く体勢を取ったカガヤカオルに向け、秤は再び深呼吸をしてから問いかけた。


「君は病気を治して、何がしたい? どうしてもやりたい心残りがあるのか?」


 十日経ったら問答無用で異世界に送られ、この世界からその存在が痕跡ごと消えてしまうのだ。もし家族との約束や好きな相手への告白など、この世界でしかできないようなことであれば、異世界のことを話しては余計自暴自棄になりかねない。


「ふ、ふふ」


「どうした?」


「……ませんか?」

「え?」


 下を向き、呟くように言った小さな声を聞き取ることができずに問い返すと、少年の肩が僅かに震えたのがわかった。

 無神経な質問で泣かせてしまったかと思い、言葉を詰まらせていると、勢い良く顔を持ち上げた。


「明日が約束されている人には、ただ生きたいと望む人の気持ちが、分かりませんか?」


 顔を持ち上げた少年は泣いてはいなかった。

 その代わりに、真っ赤に充血した瞳からは狂気だけでなく、圧倒的な怒りが溢れていた。

 ともすれば、血の涙を流してもおかしくないほどの強烈な憤怒、いや殺意が向けられる。

 それは学校のクラスメイトや施設の住人と喧嘩したときに向けられる怒りとはまるで違う、本物の殺意だ。


 そう確信できたのは、この感覚を体が覚えているからだ。

 恐らく異世界で似たような経験をしたのだろう。

 だからこそ、殺意を向けられても冷静に応えることができた。


「生きたい? でも君は」


 ただ生きたい。

 それは人、というより生き物として当然備わった本能だ。

 もっとも彼の言うように怪我や病気もなく、基本的に明日が約束されている秤では、彼の気持ちはわからないが、想像することはできる。

 普通に考えれば一番最初に思いつく理由であるはずなのに、それを排除して考えていたのは、この場所が理由である。

 この緩和ケア病棟はその名の通り、痛みを緩和するための治療を行うところだ。


 完治を目指すどころか延命治療でもない、ただ痛みを取って穏やかな最期を迎えるための場所。

 現在の医療であれば、本人が希望すればギリギリまで様々な治療を試すことができる以上、ここに来るような者はもはや治療の意味がなくなるほど衰弱した患者か、初めから治療を諦めた者だ。


 恐らく彼は後者。

 まだ体は普通に動かすことができているし、実家も金銭的な余裕もあり、様々な治療を試すこともしてきたと先ほど自分で言っていた。

 それでもここに入院している以上、自分の意志で緩和ケアを望んだとしか思えない。

 だから彼の目的は生きることではなく、なにかしらやり残したことがあるのだと考えたのだ。

 そんな秤の意図を理解したのか、これまで喰いかからんばかりにこちらを睨み付けていたカガヤカオルは目を見開いた。

 同時に瞳に宿った殺意が霧散する。


「す、すみません。そうですよね。だったらなんでここにいるんだって感じですね」


 恥ずかしそうに頬を掻く。

 何と言っていいのかわからず、曖昧に口篭もっていると、少年はゆっくりと息を吐いてから語り始めた。


「ここに初めて来たときは、本当にホッとしました。少し前まで受けていた治療が本当に苦しかったので」


 視線を遠くにやって、少年は続ける。


「さっきも言いましたけど、癌が見つかってからは両親は、とにかくいろいろな治療。副作用の強い薬とか、治験中の新薬とか色々と受けさせてきたんです。そのせいで髪は抜けるし頭もボウッとして、そのくせ痛みだけはずっと続く。それに耐えられなくて、自分からここを希望しました。もちろん両親は反対しましたけど、新薬でも進行が止められなくて、後はもう延命治療しかできなくなっていたので、何とか説得できました。まあ、それからは一時帰宅の度に怪しい民間療法を試そうとしてくるんで、それはそれで面倒ですけど」


 力無く笑う。


「最初は痛みもなくなって、これまでやれなかったこと。途中で止まってたゲームを最期までクリアしたり、中学の友達とくだらない話で盛り上がったり、今まで我慢していた食べ物とかも食べられるようになって、嬉しかったっていうか、悔いのない余生を過ごそうって思ったんですけど」


 つらつらと言葉を重ねていた少年が一度言葉を切り、こちらを見る。

 もう怒りや憎しみは籠もっていなかったが、代わりに何かを訴えるような縋りつくような視線だ。こちらが何も言わずにいると小さく頭を振って、続きを口にした。


「でも、痛みもなくなって頭がすっきりすると、今度は死ぬのが怖くなったんです。毎夜毎夜寝るのが怖くなった。一度寝たらそのままもう起きられないじゃないかって。そう考えたらもう、ゲームも友達も家族も、好物もなにも楽しめなくなった。さっきの脱走もそうです。別に目的があったわけじゃない。せっかく一時帰宅したのに、何もできずに病院に戻されたのが悔しくて、ただ逃げ出したくなっただけなんですよ」


 感情を一気に吐き出した少年は、興奮を抑えるように深く呼吸を繰り返す。


「僕はやり残したことがあるとか、最期に行きたいところがあるとか、そんなことじゃなくて。ただ、生きたい。当たり前のように明日があって、おもいっきり体を動かして生きているってことを実感したい。ただ、それだけなんです」


 全てを語り終えたカガヤカオルは直後、口元に手を当てて身を屈めながら盛大にむせた。


「大丈夫?」


 むせ続けながら何とか頷こうとするが、やはり無理をしているのは明白で、咳が止まる様子はない。

 秤はナースコールを押して看護師を呼ぶ代わりに、持っていた護符を押し当てた。

 同時に札から薄緑色の粒子がこぼれて、少年の体に降り注ぐ。

 神気による魔法阻害の影響で殆どが体に入ることなく弾けて消えていく。

 それでも僅かに吸収された粒子の効果か、少年の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻した。


「……やっぱり、凄いです、これ……いつもはこうなったら、呼吸器付けないとダメなのに」


 弱々しい笑みを見せつつ護符を撫でていたが、でも。と秤を見た。


「やっぱり、これだけでは治らないんですよね。その、悪い気? っていう奴がある限り」


「ああ」


「なら! どうしたらいいんですか? 僕にできることなら何でもします。だから教えてください!」


 真剣な訴えに秤は言葉を詰まらせる。

 間違いなくこれは彼の本音だろう。

 ただ生きたい。それだけが目的だというのなら、生きる場所はここでなく異世界でも構わないはずだ。


 だったら異世界の話をしても問題はない。

 その上で護符を預け魔法に関する口止めも行う。

 後は当日まで、異世界サポートで聞かれたような異世界で必要となる知識を教え込んで、異世界に送り出す。


(といっても流石に勝手に決めるのはな)


 まだ朝日にも連絡がついていないのだから、一度適当な言い訳をしてここを離れるべきだ。

 それが正しいと分かっていたというのに。


「君は──」


 異世界転移を知っているか?

 そう続けるつもりで口を開いていた。

 しかし、続きが秤から告げられることはなかった。


「異世界転生って知ってるか?」


 転移によって突然姿を現した滴が、代わりに続く言葉を口にしていた。

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