第60話 発見と回復
大急ぎで駐車場を出て、小高い山のようになっている病院の敷地内から出る。
外界から隔離されたように病棟を囲っている林は、天然の檻だ。
闘病生活を続ける入院患者が、こんなところから外に出られるはずがない。
だからこそ、林と病棟の境には柵なども設置されておらず、その気と体力さえあれば人目に付かず外に出ることができる。
カガヤカオルはこの林の中を移動しているのだという。
脱走の理由は不明だが、これは中に入ることなく対象と接触できるチャンスでもあった。
そう考えて対象が出てくる場所に先回りすることにした。
滴の探知によって割り出した到着予定地は、特になんの目印もない道の真ん中で、反対側には青々とした田んぼが広がっていた。
なぜこんな所を脱出場所に選んだのだろうか。
単純に通りやすい道を選んだのかもしれないが、出てくる予定の場所は林から直接道路に繋がってるわけではなく、石垣によって人の背丈ほどの段差があった。
道路も交通量こそさほどではないが、車は乗用車より荷物を運ぶ長距離トラックなどが多いようで、その手の車は車高もあるため段差の上から人が現れれば逆に目立ってしまう。
もっとも、それは待ち受ける秤たちにも言えることだ。
石垣があるとはいえ、歩道もない道路の真ん中で並んで立っている姿は、相当に目を引く。
実際、ここに待機してから二、三分に一台ペースで車が通っているが、その何れも秤たちに怪訝な、あるいは邪魔だと言わんばかりの剣呑な視線を向けてくる。
自分たちが市役所勤務であることも含め、あまり目立つのは得策ではないと、やきもきしながら石垣の上を窺っているが、カガヤカオルが降りてくる気配は無かった。
「今どの辺りだ?」
都合七台目となる車が通過した直後、流石に我慢できずに問うと、滴は黙ってスーツを脱ぎ、中に着ていたシャツの袖ボタンまで外してそのまま腕まくりをする。
そうして露わになったほっそりとした腕を上に伸ばしてグルリと回した。
彼女は肌感覚で魔力(今回の場合は神気)を探知するため、レーダーとなる素肌の面積を増やしたのだと察したが、同時に今車が来たら余計に悪目立ちしてしまう。
慌てて確認するが幸い左右どちらからも車影は無いようだ。
「んんー。ん?」
こちらの心配などどこ吹く風と暢気に回していた滴の腕がピタリと止まる。
「どうした?」
「……なんか。林の中で倒れてるっぽい」
「はぁ!? クソ! 案内してくれ」
「了解ー」
もしそのまま死亡などということになったら、これまでの苦労が水の泡だ。
滴に続いて秤も即座石垣を乗り越えようとする。
足がかりがあるとはいえ、自分の背丈ほどの石垣を登るのにスーツは向いておらず、四苦八苦して何とか石垣を越えたが、その間に滴は既に林の中に入っていた。
慌てて追いかけるが、ただでさえ足場の悪い林の中を、泳ぐように軽やかに駆けていく滴が相手では追いつけるはずもなく、姿を見失わないようにするので精一杯だった。
運が良かったのは、カガヤカオルが思ったより近く までたどり着いていたことだ。
「こっちこっち!」
林の奥の斜面で手を挙げて合図を送る滴に近づく。
早い呼吸を繰り返しながら、地面に横たわる華奢な少年を見下ろした。
意識はないようで、目を瞑り秤以上に荒い呼吸を繰り返してはいるが、とりあえず生きてはいるようだ。
秤が胸をなで下ろしている間に、滴は一瞬の迷いもなく持っていた護符を少年の背中に張り付ける。
同時に淡い緑色の光が発生したが、その光は直後不規則な方向に歪み、あちこちに拡散していく。
「チッ。やっぱり神気に邪魔されるな。これ護符だけじゃ回復追い付かないぞ」
消えていく光の粒子を見た滴が、苛立たしげに舌を打った。
神気と性質が近いと言っていた小子の護符を以てしても回復が追い付かないのは、想定上に拡散力が強いだけではなく、単純にカガヤカオルの体調がそれほど悪化しているのも理由だろう。
ならば──
「なら、滴の回復魔法を併せたらどうだ?」
単純な話だ。
護符一枚で回復力が足りないのなら、別の回復魔法を同時に掛ければ良い。
「んー。回復魔法は得意じゃないし、人に掛けるのも好きじゃねぇんだけど……仕方ないか」
滴が他人に補助魔法を掛ける際は仰々しい詠唱が必要となるため、使いたがらないのだが、今回はあっさりと了承した。
このままではカガヤカオルを救うことができないと判断したのかもしれない。
「『大いなる祖よ、凡ての原初たる海よ。我らは幾千幾万幾億にも分かれた一滴。我ら凡て同じモノより生まれいずる同胞。ならばこそ、彼が痛みは我が痛み、彼の嘆きは我が嘆き、我が力は彼の力、我が生み出せし祖の癒し、水となりて彼の者を包みこめ! 完全回復!』」
詠唱を終えると、いつも滴が魔法を使用する際に発生する水色の粒子ではなく、本物の水が発生してカガヤカオルの周囲を球状になって包み込む。
しかし、綺麗な形を保っていたのはごく短い間。
直ぐに神気のせいで水の膜はグニャグニャと歪んでいく。
この間にも張り付けられた護符からは小子の緑色の粒子が溢れ、拡散を続けている。
二つの輝きが混ざりあう様は幻想的な美しさを醸し出しているが、これは神気の影響がそれほど強く出ている証でもあった。
「ぐ、ぎぎ、ぐぅぅ」
腕を突き出したままの滴が苦し気な唸り声をあげ、開いた指を閉じようと必死に力を込める。
水膜が拡散することを防ごうとしているのだ。
「もー無理!」
しかし、その状態も長くは続かず、三十秒ほど経ったところで、滴の指が弾かれるように開く。
同時に水膜も形を保つことができずに周囲に飛び散った。
「うわっ!」
その中のごく一部の飛沫が秤の頬に付着した。驚いて声を上げた直後、水色の粒子が広がり、秤の体に変化が現れる。
あれほど疲れが溜まり、重くなっていた足から怠さが溶ける様に消えていく。
どれほど深く呼吸を続けて酸素を送り込んでも足りないほどに乱れていた呼吸も整った。
それ以外にあった、僅かな寝不足や頭痛、目の疲れなどの微細なものすらも一気に消え去っていく。
完全回復とはよく言ったものだ。
「こ、こんだけやれば少しは利いただろ?」
反対に呼吸の荒くなった滴の代わりに、秤はスマホを取り出してカガヤカオルに近づいた。
そもそも彼の顔を確認することが、元々の仕事だったのだ。
ついでにここで撮影しておこうと、軽い気持ちで顔を覗き込み、同時に息を呑んだ。
「っ!」
確かに先ほどより顔色は良くなり、呼吸も落ち着いている。
とりあえず命の危機などは去ったのは間違いないが、問題はそこではない。
頬は痩け、目の下にはくっきりと影が落ちた、生気のない表情。
地面に投げ出された腕は入院着がめくり上がり、骨と皮しか無いかのように細い。
まだ中学生のはずだが、肌に瑞々しさも皆無で、枯れ木のように乾ききっている。
注射の痕だろうか、肘の内側は青黒く変色していた。
その姿は医療知識の無い秤でも、彼に死の気配が忍び寄っていることを容易に想像させた。
「……取りあえず落ち着いたみたいだけど、どうする? このまま札を貼ってても戻ったら剥がされるよな?」
滴の言葉で思考が中断する。
「あ、ああ。そうだな。と言っても俺たちではこれ以上、どうこうできないからな。病院に知らせよう。恩を売っておけば、面会に行っても邪険には扱われないだろ」
少々予定とは変わったが、相手に意識がない以上、単純に第一発見者を装えばそれで済む。
まずは病院内に立ち入ってもおかしくない立場を作って見舞いに出向き、そこでカガヤカオルを説得する。
それしかない。
「よーし。なら病院に電話だな。相手もこいつがいなくなってこと知れば、ここまですっ飛んでくるだろ」
その場でスマホを取り出して電話をしようとする滴を慌てて止める。
「止めろ。今呼んだら俺たちが何でここにいたのか問いつめられるだろ。このままさっきの道路まで運ぶぞ。そこで見つけたことにしよう」
滴は何か言いたそうにしていたが、はいはい。と面倒くさそうに肩を竦めた。
安堵しつつ秤は自分のスマホをポケットに仕舞ってから、彼を背負おうと身体を持ち上げる。
やせ細ってはいても完全に気を失った人間の身体は予想以上に重たい。足場の悪さも含めてバランスが取り辛く、体がふらついた。
「お前が担ぐの? 大丈夫か?」
そんな秤の様子を見て、滴は不思議そうに首を傾げた。
彼女たちと秤では、単純な腕力に於いても男女差程度では埋めようのない圧倒的な格差が存在する。
滴であれば、ふらつくどころか片手で持ち上げることも出来そうだ。
しかし。
「滴は魔法使って疲れてるだろ? 俺の方はさっきので回復したからな」
「ふーん。じゃお言葉に甘えますか」
滴はどこか楽しそうな声で言った後、ひょいひょいと泳ぐように降りていく。
その様子からは疲れは微塵も感じられなかった。
「……うーん」
その軽やかな足取りを見て、自分の提案を後悔したが、今更やっぱり頼む。と言うわけにもいかない。
「よし。っと」
「……」
気合を入れ直した秤は、ずり落ちてきた少年の身体を背負い直し、先導する滴を追いかけ始めた。




