第59話 脱走
翌日、秤と滴は昨日も訪れた県立がんセンター・緩和ケア病棟の真横に併設された自然公園の片隅に待機していた。
「しっかしさぁ、シツチョーもシンラも何考えてんのかね。アタシたち三人に任せるって、普通こっちを優先するだろ。異世界送りはアタシらの本業だぜ?」
並んでベンチに腰掛け、木々の向こうに小さく見える病棟を監視していた滴がぶつぶつと文句を言う。
「丸一日経ったっていうのにまだ言ってるよ。市長からの呼び出しだっていうから仕方ないだろ」
昨日、秤は朝日にカガヤカオルが運ばれた病院や、小子の言っていた転生予定者が事前に死亡した場合の危険性を含めて、状況報告をしたのだが、彼女と森羅は市長からどうしても外せない仕事を頼まれたため、直ぐに戻ることはできないと言って来た。
その上で、今回の異世界送りは三人に任せ、そのリーダーには前回同様秤を指名した。
「それに。何かあったら戻ってくるっていうんだから問題ないだろ」
「お前の嫌いな転移魔法でな」
厭味ったらしい言い方に秤は鼻を鳴らす。
「……別に納得してるわけじゃない。今は正真正銘の緊急事態なんだから仕方ないんだ」
絞り出すように言い訳を口にする秤を見て多少溜飲が下がったのか、滴はふふん。と楽し気に笑うと、気を取り直したように再び緩和ケア病棟に目を向け、ポケットに手を入れた。
「さて。後はこれをどうやって渡すかだな」
ポケットから小子が用意した特別製の護符を取り出して言う。
「応接室の人避けの札みたいに適当なところに貼って帰るのはだめなのか?」
応援室全体を保護している人避けの札のように離れたところでも効果が出るのなら、病室を調べ、こっそりと部屋のどこかに貼れば済むと思っての問い掛けを、滴は護符を挟んだ指を振って否定した。
「だめだめ。こいつは特別製で回復力も普通の護符より高いが、それでも上位存在の神気に弾かれることも考えて、空間じゃなく身につけた個人にだけ効果があるように設定してある。そもそも誰彼構わず治るようだと、他の患者が入ってきたらその瞬間ガンも治っちまうからな」
「ああ、そうか。普通の入院患者は神気が無いから回復効果をモロで喰らうもんな」
患者にすれば有り難い。いや、ここにいる患者が皆末期癌だというのなら命を救うことになるが、それは許されない。
そんな真似をすれば当然医者が怪しむ。万が一、護符の存在に気づかれればそのまま異世界帰還者の持つ異能の存在を世に知られることに繋がってしまう。
朝日の推論では上位存在は、そうした力が世に知られることを嫌っているからこそ、異世界送りの後、世界改変で記憶や記録を操作するのだから、そんなことになっては、その瞬間世界改変が起こりかねない。
「ってことは、やっぱり何とかしてあそこに忍び込んで本人に直接渡すしかないってことか」
結局話はそこに戻る。
「昨日ずっと監視してたけど、出入りのチェックがかなり面倒くさそうなんだよな。受付もそうだけど入館証とか看護婦の付き添いとかさ。アタシがこっちにいた頃は入院患者の面会なんて適当だったけどな。受付くらいはあったかもしれないけど、患者が抜け出して外で買い物ーとかも結構あったし、ていうかアタシが昔やったし」
唇を尖らせた滴が病棟の建物を睨む。
彼女が異世界に旅立つ前はそういう時代だったのだろうが、現代ではそうはいかない。
秤にも覚えがある。
もっともそれは病院ではなく、秤が以前住んでいた児童養護施設コモレビのことだ。
様々な理由で親元を離れ、預けられた児童たちにも、親や親戚、場合によっては卒園した先輩などが会いに来ることは多々あった。
その際にも当然のように病院と同じような手続きを踏むのだが、古株の職員が卒園生に手続きをとらせている最中、昔はこんなことをしなくてもよかったのに。と不満を口にしながら謝っていた。
それは、かつてコモレビを家として過ごしていた者に他人行儀な手続きを取らせなくてはならないことへの憤りだったのだろう。
小さな児童養護施設ですらそうなのだ。
一つのミスが人命に関わりかねない病院ではなおのこと厳しい管理が必須となる。
「それも時代だよ。今は──」
「監視社会、だろ。もう聞きあきた」
こちらの言葉を遮り、呆れたように鼻を鳴らした滴だが、不意に何かに気づいたように目を細めた。
「どうした?」
「神気が移動してる。さっきはあの天辺辺りにいたはずだけど、今は少し下に動いたみたいだ」
挟んだままだった護符を矢印代わりにして建物上部を指した後、ゆっくりと下に移動させる。
カガヤカオルの神気はまだ微弱なものらしいが、感覚の鋭い滴ならばその位置を把握できる。
これからその探知を使ってカガヤカオルの正確な部屋、つまりは入院している病室を調べる予定になっていた。
「病室を変えるのか。まさか、また容態が急変したとかじゃないだろうな」
昨日自宅からここに運ばれたときのように、体調が悪化し、専用の処置室に運ばれたのではないかと考えたが、滴が即座に否定する。
「いや、それにしては動きが遅い。歩いて移動してるな」
「とにかくもう少し近くに移動しよう」
秤たちがいるのは病院に隣接している自然公園だが、ここは病院と直接繋がっているのではなく、広い駐車場を挟んでその奥に病院の建物がある。
駐車場までは出入りが自由だが、病院に入らずに駐車場にずっと居るわけにはいかないと少し離れたこの自然公園に待機していたのだが、相手が移動しているというのなら、こちらも近づく必要があった。
秤と滴はとりあえず病院の駐車場に移動したが、その間もカガヤカオルは病院の中を時折立ち止まりつつもゆっくりと移動を続けていた。
「一階まで降りたみたいだけど、入り口の方じゃないな」
「やっぱり売店か何かで買い物じゃないのか」
ホームページに載っていた大まかな建物配置図を確認しながら言うと滴もスマホをのぞき込み、首を横に振った。
「そっちじゃなくて、今はこの辺り。ここも入院患者用の病棟なのは間違いないけど、なにも書いてないな」
大ざっぱな配置しか載っていない画像の一点、水色に塗りつぶされ、入院患者スペースという一文が説明として載っているだけの場所を指しながら、舌を鳴らす。
「詳しい地図を載せると、それこそ悪用されかねないからな」
「面倒くさいなー……ん?」
「どうした?」
「また移動した。こっちの方に」
言いながら指を滑らせていく。
カガヤカオルの向かう先にあるのは、正方形に近い病棟内で唯一出っ張りのように飛び出た部分であり、そこは秤たちがいる駐車場と隣接している正面入り口とは逆方向にある場所だ。
このまままっすぐ移動すればそこで行き止まりとなる。
「……ここだけ林とくっついてるな」
駐車場部分を除いて、緩和ケア病棟は林に囲まれているが、病棟の直ぐ傍まで木々が生えている訳ではない。
林を示す深緑色の部分と、灰色で示された病棟部分の間には、黄緑色に塗られた入院患者の散歩用コースとして整備された区画が存在しているのだ。
しかし、その出っ張り部分だけは林を示す深緑色となって建物と直接繋がっているように見える。
「!」
小さなスマホ画面をのぞき込んでいた頭を持ち上げ、顔を見合わせた二人は同時に声を上げた。
「脱走だ!」




