第52話 急転直下①
あの後、秤と滴は市役所の片隅にある粗大ゴミ置き場に設置された小さな社に出向き、掃除をしていた小子に手伝いを申し出たのだが、人手が増えたことで妙なやる気を出してしまったらしく、結局定時を過ぎても終わらないほど念入りな掃除をさせられることになってしまった。
その際、普段あまり使わない部分の筋肉を酷使したためか、朝起きると激しい筋肉痛に襲われたが、どうにかいつもと変わらぬ時間に登庁した秤は、三上から既に朝日と森羅が出勤していることを聞かされた。
余所で起こった異世界送りの後始末はもう終わったのか、それとも魔法を使って一時的に戻っただけで今日も出張するのだろうか。
そうであっても最低限、あちらのパソコンを操作して異世界からのメール受信だけはして貰えるように頼もうと考えながら、重たい身体を引きずって異世界転生応援室の前に立ったところで、室内から言い争うような声が聞こえたため、思わず足を止めた。
声の主は先に来ている森羅と朝日で間違いない。
「だから言ったじゃないですか! それなのに! 朝日さんが万全を期すって言うから」
「いつだってイレギュラーは起こる。そんなこと、君だってよく分かっているだろう?」
「分かっています。私が言っているのはそこじゃない!」
どうやら森羅が感情的になって突っかかり、朝日はそれを冷静に諫めているようだが、森羅は止まる様子を見せない。
このまま聞いているより、なにも気づいていない振りをして明るく中に入り話を止めた方が良いと判断し、扉に手をかけた瞬間。
「はー君にはわざわざ伝える必要ない。万全な体勢っていうのは、それも含めてじゃないですか」
自分の名前が出たことで、思わず手が止まる。
「三上くんほどではないにしろ、彼は人の感情を読むことに関しては優秀だ。隠していてもいずれ分かる。その方が信用をなくすと思うがな」
「それも分かってます。でも、今はまだ──」
「保護が過ぎるよ。森羅」
「っ!」
強い口調でピャシリと言い切った朝日は、言葉を詰まらせた森羅に向かって、声を落として続ける。
「センドウモリタカが死亡したのは誰のせいでもない。ただ運が悪かっただけだ。それを隠す必要なんて──」
最後まで聞くことなく、秤は思い切り扉を開けた。
部屋の中央に立つ二人が同時にこちらを見る。
森羅は驚愕に顔を歪め、朝日は涼しい顔をしていた。
「どういうことですか」
口から出た声は、自分でも驚くほどに低い。
「嘘。どうして? 遮音魔法は掛けていたのに」
呆然と呟く森羅の肩に手を置き、朝日が一歩前に出る。
「魔法の効果は精神力に左右される。今の君が相手なら、効果を消すのはそう難しくはない」
「貴女。はー君に聞かせるためにわざと」
「そんなことはどうでも良い! センドウが死んだってのはどういうことだ」
「そのままだよ。今朝早くセンドウモリタカの死亡が確認された」
「そんなバカな! あちらの世界とここでは流れる時間が違う。あっちの世界じゃ最後にメールを送られてから、まだ一時間も経っていないはずでしょ? それに、センドウにはチート能力だってある。そんな簡単に死ぬはずがない」
昨日滴とそんな話をしていたことを思い出して、そのまま口に乗せて問い詰めると朝日は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「後者に関してはともかく、前者は楽観が過ぎるな。異世界なんてところは平和な日本とは違う。一時間どころか一分後、命を落としても不思議はない。そんな危険な世界なんだよ」
やれやれと言いたげにため息を落とす朝日の言葉に何も言い返せずにいると更に言葉を重ねた。
「加えて、昨夜は例外的にこちらの世界と同じ時間が流れていたからね、それだけ時間があれば何があっても不思議はないさ」
「昨日って、どういう……」
「そのままの意味だよ。そもそも時間とは本来どんな場所であろうとも等しく流れているものだ。例外を作り出しているのは例のパソコンのおかげだ。あれがイビツな形で異世界と繋がっていたからこそ、異世界とこちらの世界で時間の流れが異なっていた」
「だったら! どうして──」
感情的に声を荒げて言いながら、はたと気づく。
朝日もはかりがある答えにたどり着いたことを理解したらしく、一つ頷いた。
「そうだ。パソコンとの繋がりで時間の流れが変わっている以上、その繋がりが途切れた場合、時間の流れは本来の物に戻る……昨日あちらで起こった異世界送りは落雷でね。死人は出なかったが役場も含めて大規模な停電が発生した」
「じゃあ、そのパソコンが故障したから」
「いや、故障はしなかった。しかし、どんなに特別な力があろうと所詮は電化製品。電気がなければ使えない」
朝日はその場で手刀の形を作った腕を振り下ろして、停電によって電気の供給がなくなったことを表した。
「それでも、すぐに復旧すれば被害は最小限で抑えられただろうが、あちらの役場はここよりずっと規模が小さいせいで、停電復旧の際の優先順位が低くてね。病院、インフラ、工場、公共施設とかの復旧が終わった後でないと直すことができないんだよ」
「またお役所仕事ですか」
順番が決まっているから、と臨機応変な対応ができないのはまさにお堅い役所らしい。
「役場を先に直そうものなら後で住民からなにを言われるか分かったものではないからね」
そう言って朝日は小さく肩を竦めた。
「異世界とこちら側との時間の流れが違う理由は、私たちも知らなかった。私たちが呼ばれた理由はパソコンの中にある世界改変の影響を受けていないデータを確保するためだったの。あちらにはパソコンに詳しい人がいないらしくて、停電でパソコンのデータが壊れたかもしれないと心配になったみたい。とりあえずパソコンからハードディスクを取り出して、バッテリーが残っていたノートパソコンにデータを移して、問題ないって確認は取れたから後は復旧の手伝いをしてたの」
これまで黙っていた森羅が身を乗り出して長々と言い訳のようなことを口にするが秤の頭には入ってこない。
「結局役場の停電が復旧したのはつい二時間ほど前。その後パソコンの中身を戻して電源を入れ、改めて異世界と繋がったことで、時間の流れは元に戻ったが、一晩の間……夕方からだから十五時間ほどか。異世界ではこちらと同じ時間が流れたことになるわけだ」
朝日は言葉を切ったが、その続きは言葉にするまでもない。
先ほど朝日が言ったように、何が起こっても不思議ではない異世界で、十五時間もの時が流れた。
その間にセンドウは身に何かが起こり、チート能力があるにも関わらず死亡した。ということだ。
理解はできても、感情が追いつかず、なんの反応も示せない秤に業を煮やしたのか、森羅は肩を掴んで無理矢理顔を上げさせると、正面から顔をのぞき込んだ。
いつもにこにことしている彼女らしくなく、辛そうに表情が歪んでいる。
「だから。これは誰のせいでもない。ましてやはー君に責任なんてあるはずがない」
「……っ」
先ほどまでの台詞は彼女が言い訳をしていたのではなく、秤を気遣っているのだと気づき、何か言おうと口を開いた時、森羅が掴んでいる方とは逆の肩にも手が乗せられた。
「そういうことだ。今回の結果は残念だったが不幸中の幸いと言うべきか、センドウ某以外の異世界サポート対象者の無事は確認が取れた、これを教訓に今後は役場内に非常用の発電器を設置の申請も出すそうだからもうこんなことは起こらない」
森羅と異なり、表情を一切変えないまま淡々と告げられた台詞に何故かは分からないが血の気が一気に引いていく感覚を覚えた。
一度言葉を切った朝日が再度、今度は軽く肩を叩き、同時に口元に薄い笑みを浮かべて告げた言葉を聞いてその理由が分かった。
「だから、彼のことはもう忘れなさい。切り替えていこう」
ごく当たり前に朝日は言い、視界の端で森羅も頷いた。
頭では理解していたはずだったが今回本当の意味で気付かされた。
彼女たちは、自分とはまるで違う思考回路を持っているのだと。
それを理解した瞬間から、森羅の慰めもどこか遠くから聞こえた。




