第43話 サポート開始①
「……おはようございます」
異世界転生応援室の扉を開けて中に入る。
その声に覇気がないのは自分でも分かったが、空元気を見せる余裕もなかった。
「はよー」
「……おはよう」
今日は始業時間ギリギリにやってきたため、全員揃っているものだと思っていたが室内にいたのは滴と小子だけだ。
「珍しいな二人だけか」
「シツチョーとシンラは急な出張……ってなんだその顔。スゲー隈だな!」
最近になってようやく慣れたらしいスマホをイジっていた手を止めて顔を持ち上げた滴の緯線が秤を捉え、途端に驚愕の声を上げた。
「声がでかい。ちょっと寝不足なだけだ。調べ物が多くてな」
通勤用の鞄だけでは収納しきれなかった資料を入れたバインダーを持ち上げる。
ペーパーレスが叫ばれている昨今ではどうなのかとは思うが、市役所では未だに重要資料のほぼ全てがデータではなく紙媒体で保存されていることもあってか、上に提出する場合でも書類として纏めなくては、まともに決裁もしてもらえない。
そのため資料もわざわざ印刷したのだが、調べ物一つ一つに対して別の資料を用意する必要があり、それだけでも膨大な量となったのだ。
「ふーん。大変だな。回復魔法使ってやろうか?」
日ごろから不用意な魔法の使用を咎めている秤を皮肉るように、からからと楽しげに言う。
元をただせばすべての原因は滴にあるというのに、他人事のような言い方をされ、流石に苛立ちを覚える。
「お前な。誰のせいでこんな面倒な仕事する事になったと思ってるんだよ」
疲れのせいで頭が働かないこともあってか、苛立ちがそのまま口から出てしまう。
その言葉を聞いて滴は怪訝そうに眉を寄せたが、少し考えた後手を打った。
「それって異世界サポートのこと?」
「そうだよ。相手がめちゃくちゃ慎重な奴らしくて、質問ばっかり」
サポート対象である異世界転生者センドウモリタカは非常に慎重な性格であり、異世界に転生しチートと呼んで差し支えない能力を手にしてもそれに驕ることなく、より多くの情報を欲した。
少し前に森羅が頼まれていたマヨネーズのレシピの調査と同じようなものだが、あれはこちらの世界にしか存在しないレシピを異世界の住人に披露することで信頼を得たり商売をしたりするためのものだったが、センドウはそうしたもの以外にも、化学、物理学、医療知識や政治経済、軍事に至るまで、さまざまな状況を想定し、それに対応した知識を求めているようだ。
「今はネットで調べればいくらでもその手の知識は手に入るから情報集めは難しくないけど、一回あっちの関連部署に精査を受けないとダメだって言われて、慌てて準備してきたんだけど……」
それこそが秤が膨大な書類や資料を全て紙に印刷した理由だ。
異世界サポート業務のマニュアルによると、メールを送る前に他所の異世界係の承認を得なくてはならず、そのためには紙の資料と書類が必須となるのだ。
「室長がいないなら明日でも良かったな」
送る前に朝日に確認してもらうために書類作成を急いだのだが、出張とは間が悪い。
昨日の頑張りが無駄骨になったと知り、がっくりと肩が落ちる。
書類の重さが増した気分だ。
「えー。そんな面倒なことをしなきゃダメなんだっけ? アタシの時は適当だったけどな。どうせあいつらチートだっけ? アホみたいに強い力貰ってんだから。それでお陀仏になるなら、それはもう自殺みたいなもんだ。なあ小子」
呆れたように言う滴だが、その言葉にはどこか言葉にできない不満や憤りが混ざっていた。
それは同意を求められた小子もまた同じだ。
彼女は返答こそしなかったものの否定もせず、ただじっと秤の持つ大量の資料を見つめた。
その視線には羨みや妬みが混ざっていた。
二人の態度で秤も何となく気付く。
きっと自分たちが異世界にいた頃と比べ、現在の異世界転生者が、恵まれているとでも考えているのだ。それが怒りや羨み妬みとなって表れている。
彼女たちの異世界生活は想像以上に過酷なものだったらしく、それは時折雑談の中で語られる異世界での思い出からも推察できる。
そもそも異世界に不満がないのであれば、他の異世界転生者のようにそのまま異世界で暮らしても良かったはずだ。つまりこちらの世界に帰ってきたこと自体、その証のようなものだ。
だからこそ、ただでさえ強力なチート能力を貰っている異世界転生者を更に外部からサポートすることに、言葉にできない憤りを覚えているのだろう。
その気持ちは分からないでもないが、異世界での記憶も、こちらの世界に戻ってきた理由も忘れてしまった秤には関係がない話だ。
そもそも秤が自分の睡眠時間を削ってまで情報を集めていたのは、担当異世界転生者であるセンドウの為などではないのだから。
「良いんだよ。これは俺のためにやってるんだから」
「はあ? なんだそりゃ」
秤の返事に滴は眉を持ち上げ怪訝な顔を見せるが、すぐになにかを思い出したように、ああと一つ頷いた。
「ま。お前が後悔しないためなら勝手にすればいいけどよ」
どこか罰悪そうに会話を結んだ滴はそのまま自分のデスクを向き直る。
説明せずに済んだのは助かったが、これは滴が気を利かせてくれたおかげだ。
先ほど秤が彼女たちの反応から察しがついたこともそうだが、互いに相手の機微を理解できるようになったのは、この三ヶ月同僚としてやってきた積み重ね故だろう。
微妙な空気を引きずったまま自分のデスクに腰掛ける。
そのまま始業時間を迎えたが、滴は仕事を開始する気配はなく、人魚姿に戻って部屋の中をゆらゆらと漂い始めた。
朝日と森羅という面倒な目付け役がいないことをこれ幸いに仕事をサボるつもりらしい。
実際秤としても、自分の邪魔にならなければ咎める理由はない。とりあえず今できることをやろうと異世界に送る際のメール文面を考えるため、立ち上げたメールフォルダを見ると、新着メールが届いていた。
他所の異世界係から送られてきたもので、内容はセンドウが追加で調べて欲しいことがあるとメールが送られてきた。という内容だった。
「うわ」
内容を読み、思わず顔をしかめる。
自分のためと言い切った直後に、弱音を吐くのもどうかと思うが、それはそれとして仕事が増えれば、面倒なことは変わらない。
「今度は何だって?」
秤の嘆きを耳ざとく聞き取った滴が頭上から問いかける。
「石鹸の作り方を教えてくれってさ」
「石鹸? なんで?」
「異世界には未知の病原菌があるかも知れないから、人と接触する前に準備しておきたいんだと」
「えー。そいつ防御系のチートガン積って話じゃなかった?」
「全属性の完全耐性とか防御力とかはカンストしてるって聞いてるけど、それが病気やら細菌にまで効くかは分からないから、石鹸で予防したいってことらしい」
「……本当にめんどくさい奴だな」
「そこまでして死にたくないってのは、いいことじゃないか」
面倒なのは確かだが、先ほど口に出来なかった理由にも繋がるとあって声が弾む。
人の生き死にに関わるのが怖いから、そうならないようにできる限りのことをする。
それこそが秤が異世界サポートに力を入れる理由なのだ。
対してセンドウは自分が死にたくないから利用できるものは何でも利用しようとしている。
つまり、現状互いの利害は一致していることになる。
「さて。俺は仕事に入るから邪魔するなよ」
やる気を取り戻してピシャリと言い放つと、滴ははいはいと頷きながら、ヒレを振ってその場を離れていく。
その様子を見届け、秤は改めてパソコン画面と向かい合った。




