第40話 フラグ回収
自慢げに言った森羅が再びパソコンに向き直り続きを打ち込み始めたのを見て、あることに気付いた。
マヨネーズの材料と分量を打つだけにしては、ずいぶん時間が掛かっている。
料理のレシピならば、色々と手順があるが、マヨネーズは材料をただ混ぜ合わせるだけなのだから長く書くことなどないはず。
そんなことを思った直後、森羅は送信。と言いながらマウスをクリックして異世界にメールを送り込んだ。
「ずいぶん色々書いたな。マヨネーズってそんな大層なレシピだったか?」
「ん? ああ。いくらそのチートがあるとは言っても、やっぱり異世界はそれぞれ独自のルールとか文化があるから、その辺をちゃんと書かないとね」
そう言って森羅は自分のノートパソコンを回し、画面をこちらに向けた。
画面にはこの世界でも起こりうる、卵や油の生食による食中毒などの危険性だけでなく、この世界と異世界との違いによっては、あちら側の食事そのものが人体に有害な場合もあるという忠告が連なっていた。
確かに、物語の中では当たり前のように異世界で食事をしているが、現実にはこちら側世界の人間が食べられる物である保証などどこにもないのだから当然の忠告だ。
「後は、それも書いたからね」
それと言いながら森羅が指したのは秤が読んでいた異世界サポートマニュアルに記された一文である。
「万が一の場合でもこちらでは責任はとりかねます?」
「これだけは絶対書くようにって指示されてるの」
「後は自己責任でってやつか」
思わず苦笑する。
あらゆる分野で使われる定型句ではあるが、たとえ問題が起きても、どうしようもない異世界へのメールにまで律儀に使用するとは。
「こういうところは、お役所仕事だなぁ」
理由や効果を無視して、杓子定規に定型句を付け加える。
とにかく形式を大事にする役所らしい。
「お役所だもの。まあ、一応異世界帰還者として戻ってきたときの保険と考えることもできるけど力を持って増長した異世界帰還者なら、こんな定型句は無視するだろうし、意味がないと言えばその通りなんだけれどね」
異世界での記憶と共に戦う力も失っている(そもそもそんな力があったのかも不明だが)秤とは異なり、他の異世界帰還者は、あちらの世界で手に入れた魔法や陰陽道と言った超常の力のみならず、身体能力だけでも人間のそれを遙かに凌駕している。
「そんなのに逆恨みされたら洒落にならないな。やっぱり俺は遠慮しておくよ」
それほどの力を持って帰ってきた相手に狙われたら基本的に一般人と大差ない秤ではひとたまりもない。
ちょうどいい言い訳ができた。とマニュアルを閉じて、森羅のデスクに戻すと森羅は目を細め、唇を持ち上げた。
「大丈夫大丈夫。はー君には私がついているし、いざというときは私たち全員で制圧するから」
笑顔を浮かべているように見えるが、奥の瞳はまったく笑っていなかった。
なんと言えばいいのか分からず返事に窮していると森羅のパソコンからメールの着信を知らせる電子音が鳴った。
「もう返事来たみたい」
ノートパソコンを自分の元に向けなおした森羅は早速メールを確認するが、すぐに困ったように眉を下げながら画面を秤に向けなおした。
『そのときは俺の魔法で回復させればいいので問題ないです そっちの方が俺のすごさを分かってもらえるかもw 教えてくれてどうもまた何かあったら連絡します』
「……ずいぶん調子に乗ってるなこいつ」
「ある程度、異世界転生の知識を持ってて、力もあるとこうなる人もいるみたいね」
それもマニュアルに書いてあるよ。と続けられて、改めてマニュアルを見ると確かに注意事項の項目に、異世界転生者は強大な力を手に入れたことで気が大きくなる場合があるため、アドバイス内容や言葉遣いに注意するように。と記されていた。
「注意って言われてもな」
「結局のところ私たちはメールを使ってでしか異世界に介入できないから、下手に相手を注意したりして怒らせると、逆に意固地になって無謀な行動を採る場合があるってことらしいね。この前それで滴ちゃんがパソコン取り上げられてたよ」
「最近デクスワークしてないと思ったら。あいつは……」
この異世界サポートセンターとでも呼ぶべき業務は他にも仕事があって忙しい朝日を除いた三人、森羅、滴、小子の三人が担当している。
異世界の知識がない秤には業務は表向きの名称である情報精査室としての仕事だ)ここ最近は全員がデスクワークばかりだったのだが、先日から滴だけが席に着いていないことが多かったのでおかしいとは思っていたのだ。
「まあ、結局その人は暴走したことで一度で痛い目を見たらしくて、今では素直にサポートを受ける気になったみたい。滴ちゃんは余所の異世界係に仕事を押しつけられたから結果オーライだって言ってたけどね……」
「結果オーライって、それどう考えても浮いた分違う仕事回されるだけだろ」
「あー、やっぱりはー君もそう思う? 室長も同じこと言ってた。ただその場合滴ちゃんにもう一度任せるって言うのは、ねえ?」
流し目を向けられて、彼女というより朝日が伝えようとしていることを理解した。
「そういうことか」
いずれやってもらうかも知れない。と言っていたが、どうやらもうほとんど決まっていたらしい。
「ま、まあ。まだ新しい異世界送りは発生していないみたいだから、はー君が担当するとしてもいつになるかは──」
「待て! やめろ! そういう言い方をするとフラグが立つ」
ここ最近仕事のためといいわけをして、異世界物の小説を読み続けていたせいか、ついそんな言葉が口から出た。
「ふらぐ? 旗?」
対して森羅は単純にそうした話を知らないのか、それともそうした言葉が一般化する前に異世界に行っていたのか、本当にわからない。と言うように首を傾げた。
「フラグって言うのはな──」
説明をしようとした矢先。
何の前触れもなく、室長席に朝日が転移で戻ってきた。
いや、あるいはこの会話自体が前触れとなったのかもしれない。
なぜなら彼女の手には何やら分厚い書類の束が握られており、その視線はまっすぐ秤に向けられていたのだから。
「室長。まさかとは思いますけど。俺に新しい仕事を頼みたいって話じゃないですよね?」
「ご明察。レベルが上がって予知能力でも使えるようになったのかな?」
にやりと底意地の悪そうな笑みを見せながら書類を振る朝日を無視し、秤はため息を落としながら森羅に向かって説明した。
「思わせぶりに話すことでフラグが立ち、それが現実になる。これがフラグ回収って奴だ」




