第35話 木林森羅①
「二人で行かせて、良かったの?」
去っていくトラックを見送り、土砂の中に向かって歩く森羅の背後から声が掛かる。転移を使って現れたらしいその声の主に、彼女は振り返ることなく答えた。
「相手が彼女ですから、今回だけは特別許してあげます。今回だけは」
今回だけ。を強調して言う森羅の鼻に、タバコの煙が届き、自然と眉が寄った。
「……そう言えばあの娘も釣合くんと同じ施設出身。つまり君とも仲良しってことか」
タバコの煙を吹かしながら、森羅の横に立った朝日はニヤニヤと不快な笑みを浮かべている。
「仲良しじゃないです。いつもいつも、私とはー君の間に割り込んでくる不愉快な小娘でした。まああっちもそう思っていたでしょうけどね」
顔に近づく煙を魔法によって発生させた風を使って自分の下に届かないようにしていると、朝日は薄く笑ったまま、土砂に向かって歩き出した。
その後ろに着いて歩きながら、森羅は思い出す。
数年間の異世界生活と比べることすら烏滸がましい、色褪せることのない輝かしい記憶。
児童養護施設コモレビに預けられ、そこで出会った少年との蜜月の日々。
そこに無理矢理割り込んできた柊沙月は、彼女と森羅は同じ相手を愛した恋敵でもあり、自分と彼との輝かしい記憶に割り込んで来る染みのような存在でしかない。
仲が良いわけではないどころか、むしろ敵でしかない以上、今回のように二人きりにさせてやる必要は一切ないのだが、朝日に言ったように今回だけは見逃す。
そう考えた理由は二つ。
一つは、既に彼女は上位存在の世界改変によって、彼のことを忘れているため敵対する必要がないこと。
そしてもう一つは。
「あの娘が、上位存在の呪いを振り切ってはー君のことを思い出すようなことがあれば、はー君も同じように私のことを思い出してくれますから」
そう。
森羅としては業腹だが、これほどの力を手に入れた森羅たちと比べても、格が違う存在である上位存在が使用した世界改変の効果は絶対だ。
可能性としては、以前ハカリに語ったように、彼自身のレベルを上げることによって記憶操作や魔法効果解除系の魔法を覚えることで記憶を取り戻すこともあるかもしれないが、異世界帰還者ではなく、三上のような異能持ちですらない、ただの一般人である沙月に打ち破れるはずがない。
だが、漫画やアニメでは強い恋愛感情により奇跡が起きて記憶を取り戻すといった展開は良くあるものだ。
そんなことが彼女に出来るのならば、同じ相手をそれ以上に愛していると自分でも同じことができるはずだ。
そう考えたからこそ、彼らが最後に交わしたというドライブの約束を守らせてみることにしたのだ。
そうしている間に土砂の中を進んでいると(魔法によって靴や服には泥が着かないようにしているが)車道の真ん中に巨大な泥の塊が映った。
その中身が何なのかは、直ぐに分かった。
本来は一期一会。あの免許センターで別れた後は二度と会うはずがなかった沙月がこんなところにやってきた要因だ。
「まったく。人のバイクをこんなにしてくれちゃって」
指を弾くと、魔法が発動し風が泥を吹き飛ばし中から、黒いビックスクーターが姿を見せた。
現在は沙月がコモレビに内緒でここに隠していた物であり、その前はハカリが使用していた物だが、さらにその前、というより一番最初にこのバイクを買ったのは森羅だ。
高校生になってすぐに購入したこのバイクは、森羅が異世界に行くまでずっと使っていた物だが、世界改変によって買ったこと自体が無くなったのではなく、別の児童が購入したことに改変され、それをハカリが受け継いだ。
ここまでなら、自分とハカリの愛と絆の強さによって起こった奇跡だと考えているところだが、そのハカリも異世界に送られたことで、今度は沙月の手に渡ってしまったことは不愉快極まる。
「完全に泥がエンジンまで入ってるね、これじゃ直すより新品買った方が早いな」
こちらは魔法を使っていないのか、スーツを泥まみれにして付いてきた朝日がしゃがみ込んでバイクをのぞき込む。
確かに元から、購入してかなりの時間が経っていることもあり、既に型落ち品で在り、これを直すくらいならば、新しく買った方が時間的にもそうだが、金銭的にも安上がりだろう。
「……朝日さん。ちょっと離れててください」
「どうする気?」
楽し気に笑う朝日を無視して、手を差し出しバイクに触れる。
風で泥を吹き飛ばそうとも内部まで入り込んだ泥までは排除できない。
だからこそ、森羅はバイクそのものの時間を巻き戻す、物質回帰の魔法を使用する。
白色の粒子が弾けた後、完全に泥が消えてバイクは元通りになるが、このままだと怪しまれるので、内部に泥を入れないように気を付けて風を操って泥を飛ばし、車体を汚しておく。
「さっきからポンポン魔法使って、良いの? 釣合くんに怒られるよ」
バイクを起こす森羅に朝日が忠告する。
確かに、魔法の存在が公になることを嫌っているハカリは良い顔はしないだろうが、今回はそれを気にする必要はない。
「どうせ対策はしてあるんでしょう?」
「まあね。いざとなれば僕があの土砂ごと魔法で吹き飛ばそうと思っていたから、他所の異世界係に頼んでこの周囲に結界を張ってもらっているよ。みんなには言うなよ? こういうことができるって知られると、滴くん辺りが調子に乗るから」
この周囲に不可視の結界が張られているのは気づいていた。
だからこそ、局所的とはいえ轟音が発生したであろう土砂崩れによって近隣の住人たちが出てくることがないのだ。
「言いませんよ。はー君が自分で私のことを思い出してくれるためには、もっともっとも異世界送りをしてレベルを上げてもらわないといけないんですから。それまでこの部署が無くなっては困ります」
「……もう直接言えばいいのに。自分は釣合くんと同じ施設で育った幼馴染で、異世界に送られたせいで、釣合くんが忘れてしまっているだけだって。上位存在の世界改変を解除するよりそちらの方が手っ取り早いだろうに」
回りくどい。とでも言いたげにため息を吐く朝日に対し、森羅もまた冗談じゃない。と口にはせずにバイクを元の位置に戻した後、鼻で笑った。
そのとき、突然上空から光が降り注いだ。
いつの間にか雨が上がり、雲の隙間から太陽が覗いていた。異世界送りが終わった途端、現れた太陽は、まるで上位存在の瞳であるかのように感じられた。
こちらを見下ろしているような太陽を睨みつけて、森羅はニヤリと笑みを浮かべ、太陽に向かって指を伸ばして告げた。
「それじゃ私たちの絆があの屑に負けているみたいじゃないですか。そんなことはあり得ませんよ」
だから多少時間が掛かろうとも、彼は記憶を取り戻し、元の関係に戻ることに意味がある。
そのときこそ、本当の意味で自分たちの運命を狂わせた上位存在に勝利する瞬間なのだから。




