第33話 異世界転移
天災と化した土砂混じりの泥水が加速度的に水量を増し、怒濤の勢いでトラックを飲み込まんと迫りくる。
地面に沿うように流れる土砂に飲み込まれたら、このトラックでもまともには動かないだろう。
「クソ!」
もう間に合わない。と思わずはき捨てる。
例え上位存在より早く異世界送りを成功させたとしてもこの土砂が消えてなくなるわけではない。
この勢いだとガードレールの向こうにいる沙月も巻き込まれてしまう。
先ほど森羅が指したガードレールまでは後少し。
せめて沙月がこの土砂に気づいて引き返してくれれば。
そんな願いもむなしく、ガードレールの向こう側から見知った顔が姿を現した。
長い癖髪を団子状に纏め、ネズミ色の安っぽい寝間着の上から半透明のレインコートを着た沙月がこちらを見ていた。
トラックに隠れて土砂が見えないのか慌てた様子はなく、むしろ不思議そうに目を丸くする。
全てのタイミングが悪い方向でかみ合い、最悪の事態に転がり落ちていく。
これはもはや、偶然ではないと直感した。
こんな最悪な偶然などあるはずがない。
(これが天罰、って奴か)
それは神に等しい力を持った者を上位存在などと呼んで蔑んだことに対する罰か。それとも仕事を奪おうとしていることに対する罰なのか。あるいは何の理由もなく、ただの気まぐれかもしれない。
だが、だからこそ。
「森羅!」
「え? あ、はい!」
「アイツを。助けてくれ」
ハカリはそんな気まぐれを起こした神、否。上位存在に逆らうことを改めて決めた。
具体的な方法を説明している時間はない。
それでも森羅なら分かってくれると信じて、ただ目を見て訴える。
長々とわき見運転をするわけにもいかず、視線を向けたのは一瞬だったがそれで十分だった。
「うん! 私に任せて! はー君はそのままアクセル全開でよろしく」
『おいおい。何する気だよ?』
滴が掛けてきた言葉を無視して告げる。
「これ以上速度出して体は大丈夫か!?」
「問題なし。これぐらいのスピード、私には止まって見えるよ」
森羅ではなく沙月の体のことを心配しているのだが、そこまで含めて言っていると信じよう。
「幅寄せはこれがギリギリだ」
「了解!」
力強い言葉と共に森羅は全開になった窓から身を乗り出した。
それも手や頭を少し出す程度ではなく、上半身を完全に外に露出させ、太ももを窓枠に引っかけて体を固定する。速度と併せ常人ならば、踏ん張りが利かずそのまま外に放り出されそうな大勢だが、異世界帰還者である森羅には関係がない。
「え?」
一瞬ガラスの向こう側に写った沙月は突然の行動に驚き、逃げることも忘れて口を開いた。
「しっかり捕まってね!」
ゲフ。ともグハ。とも聞こえる驚愕混じりの悲鳴の後、ガードレールの向こうに立っていた沙月の姿は消え失せた。
「ちょ! なに!? なんで!」
代わりに森羅側の窓から聞こえてきた困惑の声。
狙い通り、トラックの窓から身を乗り出した森羅がすれ違いざま、沙月の体を抱きしめてガードレールの向こう側から運び出したのだ。
映画でもあるまいし、こんな無茶ができるのは森羅の持つ人間離れした膂力と、こちらの走行速度とタイミングを合わせる技術によるものだ。
これで少なくとも、沙月が天災と化した土砂に巻き込まれることはなくなった。安堵を胸に仕舞いつつハカリはハンドルを戻し、再び目標を狙ってアクセルを踏み込んだ。
沙月は救えても、転生予定者がこの世界にいる限り、天災は治まらないのだから。
視線を前方に戻した途端、少年が何事か叫んでいる。
「あれだけやってれば流石に気づくよな」
できれば何も気づかないまま異世界に送りたかったが、先ほどの急なハンドル操作によるドリフト音でトラックの存在に気付いてしまったようだ。
運転手が自分に気づいていないと思ったのか、それとも背後から迫りくる土砂から助けてもらおうとしているのか、大きく手を振ってアピールを続けている。
しかし、その手はすぐに止まり、代わりに信じられないものを見たとばかりに表情を歪めた。
運転席に座っているハカリが自分を認識している、もっと言うのなら自分を狙っていることを理解したらしく、慌てて地面にバックを投げ捨てて走り出そうとするが、その動きでバランスを崩してしまい、足を滑らせ盛大に転んでしまう。
慌てて起き上がろうとするも、痛みからか、それとも恐怖からか、立ち上がることは出来ず、少年はただ茫然とこちらを見上げた。
雨の中、傘はすでに飛んでいき、顔を含めて全身ずぶぬれだというのに、彼が泣いているのが分かった。
驚愕、恐怖、戸惑い、怒り、懇願、あらゆる感情がごちゃまぜとなり、最終的に涙となって流れ出たのだ。
その涙を見た途端、今まで忘れていた、いや忘れようとしていた森羅たちが魔法の力を使って調べあげた彼のプロフィールが一気に頭を駆け巡っていく。
彼、転生予定者トウノタカトは四月から二年生となる十六歳の男子高校生。成績は中の下。所属している部活は卓球部。春の大会に向けて休みの間、朝から晩まで練習を続けている。卓球の腕前だけでなく、社交的な性格もあわせて、部活内では一年生ながら一目置かれる存在で、将来の部長候補だという。家族は四人、両親は離婚しており、母と妹が二人。彼が唯一の男手ということもあるのか、部活が休みの日には遊びにも行かず、家の修理や日曜大工を嗜んでいる家族想いの少年。
──そんな彼を、これから殺さなくてはならない。
異世界転生ではなく転移なので殺人ではない。というのは、都合の良い言い訳にすぎない。
例え異世界で生き残り、こちらの世界に帰ってきたとしても、家族は彼を覚えていない。
それはこの世界に於ける死と同義だ。
しかし、上位存在に選ばれた時点で、彼の命運は尽きていたことも事実なのだ。
何もせずとも天災という形でより多くの人々を巻き込んで死亡することが決まっているのだから、犠牲を少なくするために行動している自分たちは正しいことをしている。
そんな風に考えていたが、彼の涙を見て自身にそう言い聞かせていただけなのだと気づかされた。
死が運命づけられていたとしても、天災という自然現象で命を落とすのと、トラックに付け狙われて轢き殺されるのではまるで違う。
人は天災に遭遇してしまった場合、どこかで諦めが湧いて出るものだからだ。
怒りや悲しみが存在しないわけではないが、感情をぶつける先がないからこそ、心が勝手に諦めを選択してしまう。
事実、半年前のあのバス事故で巨大な落石が転がり落ちてくるのを見たハカリは何もできず、ただイスに座ったまま笑ってしまった。
だが、彼は違う。
自分は何もしていないのに、理不尽に命を奪われようとしている。その恐怖は、怒りは、悲しみは、如何ばかりか。
加えて彼はその負の感情を抱えたまま、人生の終わりを迎えるのではなく、自分を知っている者がだれもいない異世界で、新たな人生を歩むこととなるのだ。
それを理解したとしても、ブレーキを踏むことはできない。
ここで止まってしまったら、これまでの全てが水の泡になってしまう。
「いい加減に下ろすか、乗せるかしてよ!」
窓の外で捕まれたまま怒る沙月の声が聞こえ、彼女が森羅に抱えられたまま、未だトラックの外にぶら下がっていることを思い出す。
とはいえこれからのことを考えるとこのままでいてくれた方が良い。
森羅ならば沙月を落とすことも傷つけることもないだろう。
いつの間にか彼女をこんなにも信頼している自分に気付き、自然と笑みが零れる。
その笑みを、トウノタカトはどう解釈したのか。
未だ立ち上がることのできない少年は、涙を流したまま憎悪を込めた瞳でハカリを睨みつけてきた。
「それで良いよ」
ハカリを恨んでくれて良い。
許しを請うつもりも謝罪するつもりもない。怒りや憎しみを抱いたまま、彼を異世界に送り出す。
これでハカリを恨み、復讐すると誓ってくれても良い。
そうした感情を原動力にすれば、異世界で生き残る可能性が上がるはずだ。
「上位存在によろしくな」
だめ押しとばかりにニヤリと唇を持ち上げ、更にアクセルを踏み込んで──
異世界転移トラックはトウノタカトを送り出した。




