第32話 三つの偶然
朝日からの忠告通り周囲を見回す。
真後ろに関しては、車内にあるバックミラーで確認できるが、サイドミラーには雨粒が付いているせいで左右の方が確認できず、ハカリ側のパワーウインドを少し下げて、直接確認してみるが特に異常はない。
その様子を見て、自分もと考えたらしく、森羅も窓を下げて顔を覗かせた。
左側は直ぐ先が崖になっているため異常があるとは思えなかったが、突如森羅は窓を更に下げて、窓の外に顔を出した。
「何かあったか?」
「あそこに、バイクが止まってる」
「バイク?」
こんな場所に何故。
シートベルトを外して三人掛けシートの真ん中に手を置いて身を乗り出し、森羅越しに窓の外に目を向けた。
停車帯の端には交通安全を訴える看板が並んでおり、その看板の裏側に、確かに灰色のカバーが掛けられたバイクが置かれていた。
まるで周囲から隠すように置かれたバイクのカバーは風のためか一部がめくれあがり、前輪と車体の一部が露出している。
ぱっと見はスクーターのようだが、ハカリはそのバイクを見て、ただのスクーターではなく、ビッグスクーターと呼ばれる排気量の大きいバイクだと分かった。
ひと目見ただけで、気付けたのには理由がある。
「あれ。俺のに似てるな」
「俺の?」
「ああ、いや。正確には俺が施設に置いてあったのを直して使ってたやつだけど。同じ型だ」
「……もしかして本当にはー君のバイクだったりして」
「まさか。そんな珍しいやつじゃないし、だいたい俺のバイクは転生したときに──」
笑って言いながら、背筋に冷たいものが流れた。
異世界送りによって、この世界から存在が消滅した際、世界は改変されるが、それは記憶と本人の持ち物に関しての話。
存在しないことでより大きな問題が発生する場合などは、多少の不都合があってもそのまま残るそうだ。
ではあのバイクはどうか。
あれはハカリの物として名義変更も済ませてあるが、元々は卒園した先輩が購入したものだ。
つまり、ハカリの痕跡が初めから無かったことになれば、先輩の物に戻ることになる。
結果、バイクは世界改変でも消えずに残ったが、卒園した先輩のところに移動するのではなく、ハカリではない別の誰かに譲る、あるいは卒園する際に置いていくという形に改変され、そのままコモレビに残されたのではないか。
そして、今の持ち主がバイクをここに運び込んだとすれば辻褄は合う。
問題なのはそれは誰かということだ。
候補は何人かいるが、最初に思いついたのは一昨日免許センターにバイクの免許を取りに来た沙月だ。
「あのバイクが俺のなら、ここに置いたのは多分、沙月だ」
口に出すと同時に、ハカリは視線を前方に戻して目を凝らした。
下り坂が続く道路には、相変わらず人や車の姿は確認できない。
もともとこんな行き止まりにわざわざ近づく物好きはいないからこそ、作戦決行の場所に選んだのだ。
だが、もし一昨日免許を取得した沙月が、バイクをコモレビに持ち帰るべく取りに来てしまったら、前提が崩れる。
「沙月って。免許センターに居た……」
「ああ! アイツならこの場所を知ってる」
施設を抜け出した先にある林から、この場所はよく見える。
相変わらずの雨で見えづらいフロントガラス越しに、更に目を凝らす。
(この雨の中、あんな危ない道を通るはずがない。となれば──)
コモレビからここまで上がってくる経路はこの一本だけだ。
更に目を凝らそうと身を乗り出すが、ぐいと肩口を掴まれ、強い力でイスの背もたれに体を押しつけられた。
「な!」
「はー君。もう時間が無い! エンジンを掛けて準備して。沙月ちゃんは私が捜す」
ハカリの抗議を封殺し、一気に告げる。
確かにその通りだ。
目標到着まではこく一刻と迫り、天災に至ってはいつ起こるかも分からない。
そもそも、エルフである森羅の視力、聴力は人間を凌駕している。
ハカリが捜すよりは確実だ。
「……頼む」
それでも。
大切な妹であり、家族である少女の危機を人任せにしなくてはならない。その複雑な感情が想いとなって声を震わせた。
「任せて!」
強く頷いた森羅は窓を全開にすると頭に被っていた帽子を脱ぎ捨て、意識を集中させ始める。
その様子を肌で感じながら、ハカリはトラックのキーを回し、エンジンを動かした。
(早く来い)
天災や沙月が来る前に。
先ほどまでできるだけゆっくり来ることを望んでいたというのに。
自分勝手な想いを抱きながら、ハカリは転生予定者が現れるのを待つ。
そして──
永遠とも思えるほど永く、短い時間が過ぎ、それは訪れた。
『行くぞ』
『来たよ』
「居た!」
ただし、三つ同時に。
綺麗な声はたとえ雨の中、三人同時でも聞き分けられるらしい。
こんな時だというのに、そんなことを考えている自分に驚く。
それはある種の現実逃避だったのかもしれないが、それでも自分の中に冷静な部分があることを利用して、即座に思考を巡らせ始めた。
三つの声はそれぞれが、目標である転生予定者が目標地点に行くこと。上位存在の行う異世界送りである天災が来ること。そして沙月が森羅の索敵範囲に居たこと。の三つを示している。
「っ!」
ハカリは当然のように三つ目を優先して、転生予定者が出てくる通路ではなく前方を見た。
沙月が現れるとしたらこの道から上ってくるはずだが、姿は見えない。
「そっちじゃない!」
鋭い声に驚いて隣を見ると、森羅は目を閉じていた。
意識を集中するためか、両手を胸の前で組んで頭をわずかに下げている様は祈りを捧げているようにも見えるが、それも一瞬のこと。長い耳が大きく動いたかと思うと、森羅は全開になった窓の外に手を伸ばして数十メートル先のガードレールを指さした。
「あそこ! ガードレールの向こうから音が聞こえる」
瞬間、先ほどあり得ないと切り捨てたもう一つの経路を思い出す。
「あのバカ!」
意識せず口から出た怒りは、沙月に対してだ。
ガードレールの向こうは沙月のお気に入りである裏山の大ケヤキに繋がっているが、そこは道などでなく、比較的緩やかな斜面があるだけだ。
当然、階段や手すりもなく、こんな雨の中登るなど自殺行為でしかない。
ハカリ自身、一度近道をしようとした結果、転がり落ちて足を骨折したことがあり、それを間近で見ていた沙月も大いに取り乱していた。
以来二人ともそこを通ることはなくなったはず。とそこまで考えてから気がつく。
現在の沙月にはハカリの記憶がない。
そのせいで彼女はあの場所の危険性を認知しないままとなってしまったのだ。
「沙月ちゃんは私が保護してくる。魔力は流しておくから、はー君は異世界送りを!」
森羅がダッシュボードに手を当てて鋭い声で言った。
車内では魔法を使えないが、トラックを降りれば話は別、魔法の力を使えば沙月を保護することができると考えたのだ。
「分かった。頼む」
車体が薄緑色に輝き始めたトラックのハンドルを握りしめ、外に出ようとする森羅の背中に声をかけるが、ダッシュボードの上に置かれたスマホから制止の声が響いた。
『やめろ! 天災が来るって言っただろ! 目標が近くに居るんなら、飲み込まれるぞ。あれにはアタシたちの魔法も利かないんだから!』
そうだ。
これも以前聞いていた。
上位存在の力を宿した物に魔法の力は通じない。
それは上位存在が異世界送りを実行するために使用する天災でも同じであり、当然、森羅の魔法も受け付けない。
「じゃあどうすれば──」
『前を向け!』
「え?」
これまで会話していた滴ではない、別の声に釣られて視線を前方に移すと、いつのまにか透明なビニール傘をさした少年が、坂道を駆け下りているのが見えた。
目標の少年だ。
『上位存在より早く異世界送りを完遂させ、フィナーレを迎えよう。それで全て丸く収まる』
舞台役者のような芝居かがった声は朝日のもの。
この場面にはそぐわないが、だからこそ染み渡るように言葉の意味を飲み込むことができた。
「あ……」
「そうか。異世界送りさえ終われば、天災が起こったとしても、それに上位存在の力は宿ってないただの自然現象。私の力でなんとでもなる。はー君!」
「ああ!」
こちらの思考を代弁した森羅の指示に従って、ハカリはサイドブレーキを解除して、アクセルペダルを踏み込んだ。
濡れた地面上での急加速にタイヤが取られ一瞬滑りそうになるが、ハンドルを回して持ち直し、更にペダルを踏み込みながら一気に加速する。
坂道であることに加え、荷台の重さも手伝って一気に加速していく。
目標までの距離はあるが、それでもこのままの速度を維持すれば一分とかからない。
滴の言っていたとおり、目標はイヤホンを刺しているらしく、こちらに意識を向けている様子はない。
この分では相手に気づかれることなく、異世界送りを実行できる。
後の問題はただ一つ。
このトラックの衝撃力だけで、異世界転移を実行できるかどうかだ。
積み荷は限界まで乗せているため、これ以上衝撃力を高めるには速度を上げるしかない。
更に強くアクセルを踏もうとした瞬間。
「後ろ」
「え?」
「……後ろが、光ってる」
視線がバックミラーに吸い込まれた。
トラックを駐めていた停車帯の先は行き止まりであり、周囲には民家もなく、拓けたむき出しの地面がわずかにあるだけなのだが、その地表面が薄緑色の光を放っている。
直後、地面にヒビが入り、そこから一気に泥水が噴き出した。




