第21話 感情の色味
いつもより早い時間に市役所に到着したハカリは、通常の職員用の入口ではなく、更にその奥にある大型物品用に作られた裏口から中に入った。
異世界転生応援室の者たちは、正体の露見を防ぐ意味でも現代生活マニュアルが完成するまで他の市役所職員との接触を避けるように言われているため、こうして裏口から入る決まりになっているが、それとは関係なしに、業務開始時間よりかなり早いせいか、市役所全体に人の気配はない。
市役所の館内に通じる通路脇に設置された入り口に向かう前に、肩を落として息を吐く。
また昨日のことを思い出してしまった。
それは怒りや憤りではなく、自分に対する嫌悪感だ。
あの後ハカリは市役所には戻らずそのまま直帰した。
一応朝日にメールは入れたが、彼女はスマホ操作に慣れていないらしく『わかったおつかれさま』と全てひらがなでメールが返ってきた。
詳細を聞かれなかったことに安堵しつつ家に戻り、一人になって考えてあのとき森羅に抱いた感情の正体らしき物を捕まえることが出来た。
要するに。
「覚悟の問題だよな」
これは朝日が何度となく口にしていた言葉だ。
その言葉自体は、日常でも使うありふれた物だが、その本当の意味と重さを、ハカリはまるで理解できていなかった。
上位存在が異世界に人を送るために起こす天災を未然に防ぐためとはいえ、何の罪もない人間を殺すことへの覚悟なのだからそれも当然だ。
朝日たちもその覚悟の重さを、身を持って経験しているからこそ、ハカリに時間を掛けて折り合いをつけるように言ってくれた。
それなのに昨日の森羅は、沙月の記憶を餌にしてハカリに決断を迫るようなやり方をした。
ハカリに異世界送りをしなくていいから一緒に居たいと言った森羅がそうしたやり方を採ったことに話が違うと憤っているのかと問われれば、そうではないと断言できる。
結局自分は折り合いをつける気もなくて、ただ見て見ぬ振りをしていただけだ。
時間を掛けて考え、覚悟決めることができるかを確かめる。
働く際に朝日がハカリに出した条件だ。
それを実行している最中に急かすような真似をされたのなら、あるいは正当な怒りだと言っても良い。
だがハカリは、考えることすら放棄していた。
面談をしなくてはならない。
魔法の使い方を考えなくてはならない。
その上で現代生活マニュアルを制作しなくてはならない。
これは朝日から頼まれた仕事であり、全ては異世界帰還者である彼女たちが、この監視社会で平穏無事に生活できるようにするために。
そんな風に彼女たちを言い訳に使い、肝心の覚悟について考えないようにしていた。
それを森羅に見透かされたような気がして、誤魔化すために声を荒げたのだ。
「完全に八つ当たりだよ。ちゃんと謝らないとなぁ」
「何でも良いから考えごとなら受付を済ませてからにしてくれ」
突然声を掛けられて、盛大に身体がビクつく。
声は荷物の搬入口でもあるこの裏口と、市役所を繋ぐ扉のすぐ脇に建てられた守衛室から聞こえた。
恐る恐る近づくと、守衛室の小さなガラス戸の向こうで、警備員の三上がこちらをジロリと睨め付けていた。
「早いですね」
いつもであれば三上は奥の休憩室に篭もっており、大声で呼ぶか電話を掛けでもしない限り奥から出てくることはない。
その三上が所定の位置に座っているだけで驚かされる。
「今日は珍しく、他にも早く来た奴がいたからな。戻ろうとしたら君が入ってきたから待ってたのに一向に来ないからさ」
「先に? それ、誰です?」
まだ正式始動前ということもあって、滴以外の職員も基本的に業務開始ギリギリにやってくる。
ハカリはマニュアル作りのデータ纏めなど、デスクのパソコンがないと出来ない業務があるのでいつも皆より早いのだが、今日はそれより更に早く来た。
そんな自分より先に来ている職員と聞いて、先ず思い浮かぶのは昨日もめ事を起こした相手である森羅だが、予想は外れた。
「あの暴力的な小娘だよ」
段差になって見えづらい部分に本を立てかけているらしく、視線を下に向けたまま本の頁をめくる三上が答えた相手は滴のことだろう。
その言葉を聞いて驚きより先に安堵した。
一番遅く来るのが常の滴が既に出勤している理由は不明だが、森羅でないのなら──
「分かりやすく安堵してるな。謝る相手は他の奴か?」
「え?」
「そんな色をしてる」
こちらの心を見透かすように三上が言う。
「色? そういえば前も言ってましたね」
初めて会ったときだ。
その色ではここで働くのはキツい。というようなことを言われた。
あのときは意味が分からなかったが、実際に精神的な疲労を感じている現状、三上の言葉に嘘はなかったことになる。
「俺は他人の感情を色で見ることができるんだ」
ようやく本から視線を外した三上が事も無げに言う。
「感情を、色で?」
少し前までのハカリであれば、なにをバカな。と一笑していただろうが、異世界の存在を理解している今、疑う理由はない。
実際朝日も三上にはなにか特別な異能の力があるようなことを言っていた。
だからこそ心配になる。
「今度は警戒色が混じったな。安心して良い。連中の読心魔法とは違って、なにを考えているかまでは分からないから」
それだけでも十分脅威だが、どう取り繕っても今度は嘘の色が混じるだけだろうと否定はせずに話を進める。
「三上さんが異世界の話を信じたのはその力が理由ですか」
椅子の背もたれに体を預け、三上は思い出すように視線を上向けた。
「とはいえ最初は驚いた。あんなヨタ話しているくせに一切嘘の色が無いんだから。集団洗脳でも食らったのかと思ったが、その後あの暴力娘に人魚姿を見せられて信じるしかなかった」
視覚で訴えてくる滴の人魚姿のインパクトは身をもって理解していたため、同意を示して本題に入る。
「……最初に会ったとき、俺の色ではここで働くのキツいって言ってましたよね」
「言ったな」
「……それは今でも変わってないですか?」
天井を見上げていた三上が、今度はまっすぐにハカリを見て頷いた。
「変わってない。ただ、勘違いしないでくれよ。それは悪いことじゃない。むしろ気持ち悪いのはあの女たちの方だ」
「え?」
「あいつらは揃いも揃ってえげつない色をしてる。俺も今までいろんな人の色を見てきた。一度殺人犯を見たことだってある。だけど、そいつだってあいつらほどは濁った色はしていなかった」
これまで接してきた三上は、なにを話していても冷めていて、常にどこかふざけているような態度をとっていたが、これは違う。
心底嫌そうな表情と併せて、本気で言っているのだと気づき、思わず唾を飲んだ。
「異世界がどんなところかは知らないが、あんな気持ち悪い色が普通の世界なら、俺は転生なんかしたくないね」
「そういえば、三上さんみたいな異能の力を持っている人は狙われやすいって話でしたね」
「ああ。だから、どうせならこんな気楽な異世界に行きたいもんだ」
そう言って、三上は手元の本とは別の本を引き出しから取り出して小窓の前に置いた。
カラフルな色合いの表紙には、剣を持ち皮の服を着込んだ少年とドレス姿の少女が描かれていた。
タイトルにはお気楽異世界冒険譚という文字の後、小さな文字で長い副題がついている。
「小説ですか?」
「ああ。異世界転生に関係する仕事に就いたってことで読んでみた」
「へぇ。今流行っているらしいですね。面白かったですか?」
さほど興味があるわけではないが、社交辞令として聞いたハカリの問いに三上は、んー。と少しの間考えるような動作を見せると、そのままスライド式の小窓を開けて、本を差し出した。
「え?」
「貸して……いや、やるよ。俺はもう読み終わったから」
「でも」
見るからに新品の本は、コミックや文庫本とは違う大判サイズ。
こうした本の値段は施設育ちのハカリにとっては大金だ。
それを何の見返りもなく貰うことに抵抗があった。
「いいよ。どうせ俺一度読んだ本は捨てる主義だし、手間が省ける」
ほら。と再度押しつけてきた本を三上は手放す。
バランスを崩し、縁から落下する本を思わず手に取ると三上はニヤリと笑って手を引っ込める。
「そいつは俺よりお前が読んどいた方が良い。お前が何に悩んでいるのかは知らないが、創作だとしてもヒントくらいにはなるだろ」
図星を突かれ、手にした本を握りしめる。
(確かに。みんなには聞きづらいこともあるしな)
特に異世界での人死関連は、本人たちの口も重くなっている。
それも当然だ。
もしこの中に、そのヒントがあるのなら──
「……三上さん。この本、ありがたくいただきます」
深々と頭を下げる。
「はいはい。いい加減上行った方いいんじゃないか? あの小娘暇すぎて、役所内探索とか始めかねないぞ」
ハカリの礼とは対照的にヒラヒラと軽く手を踊らせた三上は、次いでニヤリと意地の悪い笑みを見せた。
あり得ないとは言い切れない。
むしろ、止める者が居ない状況で滴を一人置いていれば、そうなるのが当然という気さえしてくる。
「俺、行きます。ありがとうございました」
「うーい」
手元の本に視線を戻したまま、三上は手を上げた。
森羅に会うのはまだ気が重く、本一冊とはいえ、物理的にも重さが増したはずだが、わずかに光明が見えたせいなのか、足は少しだけ軽くなった。




