第20話 見知らぬ再会
(どうしてこうなった)
「ふぅん。一発試験っていっても本免許試験の後、講習も受けないと行けないんだ。しかも十時間って、面倒だね」
「仮免許を取った後、事前に講習を受けることもできるから、本試験までに終わらせておけば、その日のうちに免許は発行されるよ。私はそうしたから今日中に免許を持ち帰れるわ」
ハカリにしか分からない程度に自慢げに沙月が言う。
同時に、ここに来る前に読んだ一発免許の攻略本にも同じようなことが書かれていたことが、自動的に思い出されていく。
通常の運転免許用の教本ではなく、一発試験を実際に受けた人物が記した体験記のような本で、表紙には妙に自信に満ちた髭面の男が腕を組んでいる写真が載っていた。
一発試験は受ける者も少なく、公式的な書籍もほぼ存在しないため、必然的にそうした個人の体験を基にした書籍を参考にするしかなかったのだ。
(って、そんなことはどうでも良い!)
頭の中で勝手に現実逃避が始まったことに気付く。
いや、そうした逃避も含め、ハカリの脳内では複数の思考が並列して動き出していた。
普段であれば頭がオーバーヒートして何も考えられなくなっていたような状況でも平然と思考を続けられるのは、森羅に掛けられた魔法の効果なのだろうが、正直迷惑でしかない。
出来ることならば全ての思考を放り投げてしまいたい。
それほど現在の状況は混沌を極めている。
なにしろ、記憶から消去され忘れているはずのハカリと正真正銘初めて会った森羅が、沙月を挟んで横並びに座り会話を交わしているのだから。
端から見れば、それほどおかしい光景ではないだろうが、ハカリにとっては相手があの沙月であるという一点だけで、これ以上ないほど異常事態だ。
柊沙月という少女は、共に生活している施設の者にも心を開かず、学校でも当然のように友達は一人も作っていない。
誰彼構わず威嚇し続け、不用意に近づけば牙を剥く狂犬のような性格だ。
そんな彼女が、初対面の(ハカリとはあの裏山で一度会っているが沙月の性格上、一度会っただけの者を記憶しているとは思えない)相手に突然話しかけられて普通に会話することなどあり得ない。
となると答えは一つ。
(これも森羅の魔法か。なんのつもりか知らないが、余計なことを)
そもそも、ハカリは彼女に声を掛けるつもりなどなかった。
朝日が以前言っていたように、上位存在によって一度異世界に送られた者は、その存在や痕跡が消えている。
目の前で子供を殺された親でさえ、一瞬にして我が子のことを忘れてしまったほどだ。
沙月だけが都合よくハカリのことを覚えているはずがない。
そう考え、声をかけることなく見て見ぬ振りをするつもりだったのだが、ハカリが止める間もなく、森羅が沙月に声を掛けに行ってしまった。
その結果がこれだ。
「しかし、バイクかー、貴女はバイク好きなの? いいよね。私も昔好きだったなぁ。今回は車の免許だけど、今度はバイクの免許も取りに来ようかな」
森羅がご機嫌取りのような口調で話しかける。
その問いに、並列して働く思考の内、一本が同意を示した。
沙月が一発免許にしようとしているのは、原付を除き、バイクの免許は十八歳になってからというコモレビの独自ルールがあり、教習所に通うことができないからだろうが、その理由はわからない。
行動範囲を広げたいとか、バイトで必要だというのなら(申請さえすればバイトは可能だ)原付免許で十分だ。
あれなら実技試験すらないので、学科の勉強だけしていればそれこそ一日で取れる。
そうなると原付ではなく、中型のバイクそのものに興味があることになるが、そんな話を彼女から聞いたことはなかった。
恐らくはハカリが異世界に飛ばされてから今日までの数ヶ月間に興味が出たのだろう。
誰かの影響なのだろうか。
もしかしたらハカリの存在が消えたことで、それを保管する形で誰か別の人物があてがわれたのかもしれない。
そこまで考えて苦笑する。
我ながら女々しいにもほどがある。
森羅が何を考えてこんなことをしたのかは知らないが、これ以上沙月と関わりを持つ気はない。
適当なタイミングで切り上げよう。
そう考えたあたりで、沙月がようやく森羅の言葉に反応した。
いや、長い間考えていた気がしたが、実際にはごく僅かしか間は空いていなかったのだろう。
これも森羅の魔法でハカリの思考速度が上がっていたためだ。
「興味ないよ」
独り言のような台詞は言葉足らずだが、バイクに興味はないという意味であり、沙月なりの森羅への返答だ。
「ならどうして中免? 原付じゃダメなの?」
沙月の言葉だけでは分かりづらいかと思ったが、森羅は気にした様子もなくあっさりと意図を読んで、更に問いかける。
「…………原付だと、車と一緒に走れないでしょ」
熟考と言えるほどの間を空けて、沙月は言う。
「車?」
「そう、車。免許を取ったら一緒にドライブに行こうって言った奴がいた……と思う。でも私は、隣にただ乗っているだけなんて絶対に嫌。だから車と並んで走れる足が必要なの」
それはかつて車の免許を取ったばかりのハカリが沙月に言った台詞だった。
「──それを言ったのは、友達? それとも家族?」
「私に家族はいない」
これも沙月がいつも言う台詞だ。
両親を失い、コモレビに入居して以後、ずっとそう言い続けていた。
それはハカリに対しても同じ。
意地っ張りの彼女のことだからきっとそれは強がりで本当は自分だけは家族だと思ってくれている。
内心でそんな風に予想していたが、直接聞くのはなんとなく怖くて、ついぞ本当のことは聞けず仕舞だった。
「でも──」
言葉を切った沙月はようやく視線だけこちらに動かして、森羅ではなくハカリをまっすぐに見つめてこう続けた。
「あれは家族が言ったのかも」
・
森羅より先に試験と手続きを終えたハカリは、一人で運転免許センターを後にした。
市役所から一番近いこの免許センターは周囲にバス停や電車の駅などはなく、車がないと不便な場所に存在した。
ハカリも当然ここから徒歩で一時間は掛かる最寄り駅まで歩く必要があった。
すでに森羅の掛けた魔法の効果は切れているため、並行思考はできず、思考速度も元に戻っている。
一人で帰ることにしたのは、こんな状態ではまともに対応できないと考えたためだ。
(いや。これも言い訳だな)
本当の理由は言うまでもなく、今の状態で森羅と顔を合わせたくなかったからだ。
あのとき、森羅が沙月に話しかけたこと。それが全ての発端なのだ。
もっとも、話しかけた直後に連れ出せば問題なかったので、ハカリ自身沙月ともう一度話してみたい気持ちがあったことは否定しない。
どちらにせよ、冷静になって自分の中で答えを出してからでないとまともに話はできない。
そのためにも今は一人になりたい。
そう思って先に出たというのに──
「いたいた。酷いよー、置いていくなんて」
後ろから近づいてきた足音が、ハカリを一度抜き去り、その後ターンして正面に立つ。
こちらの気も知らず、また魔法を使ったのか、それとも基から体力は有り余っているのか、息一つ乱さず笑い掛けてくる森羅に、ハカリの中で何かが切れた。
「──さっきのアレ。どういうつもりだ?」
「え?」
「沙月のことだ。魔法を使っただろ」
「ああ。うん。でも安心して。洗脳とか記憶改変じゃなく、少し素直になる程度の思考誘導魔法だから。害はないし、念のため私たちと会話した記憶も消しておいたから大丈夫だよ」
そういう問題じゃない。と怒鳴りたい気持ちを押し殺し、別の質問に切り替える。
「沙月のことは朝日室長から聞いたのか?」
朝日は病院に来る前から、ハカリのことを調べていたと言っていた。
その中にはコモレビの入居者も含まれていただろう。
ハカリとほぼ同時に入居した沙月のことを知っていても不思議はない。
「それは……」
なにか言い掛けたが、結局答えずに口を閉じた。
「そもそも! なんで沙月は俺との約束を覚えていたんだ? 上位存在の力で俺の存在が消えたんじゃないのか?」
「……室長はあの現象を世界改変なんて仰々しく呼んでいるけれど、私から言わせれば、あんなものは記憶改変を基本とした、ごく一部の状況改変に過ぎないよ。それこそ私たちでも出来るようなもので、完全じゃない」
「状況改変?」
嫌悪対象である上位存在のことだからなのか、今度はスラスラと語り始める。
「人一人が消えるということは、単純にその人の痕跡や所有物がなくなるだけでは済まない。その人が歩んできた歴史一つ一つに到るまで全てを書き換える必要が出てくるの」
聞いたことがある。
バタフライ・エフェクトというやつだ。
蝶の羽ばたき一つをとっても、時間経過や状況によって、その影響がどこまで大きくなるか、未来にどんな影響を及ぼすかは誰にも分からない。
タイムマシンものの創作で、過去に及ぼした小さな改変により、未来が大きく変化してしまった際などに使われる言葉だ。
「でも、この間はー君が見たとおり、人が消えても世界そのものには大きな変化はなかった。あの家だって、四人家族で住むには大きすぎるでしょう?」
朝日が異世界に送り出した中学生とその家族のことだ。
確かに、本当に全ての事柄に対して過去改変が起こったなら、そもそもあの家族があそこに家を建てることはなかったかもしれない。
つまり、世界そのものの改変というよりは、あくまで関わりのあった一部の者の記憶だけが変わったということだ。
「沙月は俺のことを記憶していないけど、約束そのものは形を変えて、それこそ誰か別の人間としたことになっているってことか?」
「そうじゃない! 形に残らない約束は、本来記憶改変でどうとでもなる。でも沙月ちゃんは微かではあっても覚えていた。あの娘にはなにか特別な才能があるのかも」
「特別な、才能?」
「そうよ。はー君のことを少しでも覚えているなら、それをとっかかりにして記憶を取り戻せるかもしれない」
心臓が跳ねる。
この世界に戻ってからそれなりに時間は経ったが、ハカリは未だ地に足が着いていないと言うべきか、ふわふわと流されるままに生きている自覚があった。
それはやはり、自分のことを知っている者が誰も居ないのが一因だ。
(沙月の記憶を取り戻せる。もしそうなら──)
しかし続く言葉で、その思考は途切れることとなった。
「私たちみたいな他人では無理でも、はー君自身が魔法を使えるようになれば、きっと」
どこか焦っているような物言いに、頭が急速に冷えていく。
「……そういうことか」
「え?」
「免許取得に着いてきて魔法を使って合格させたのも、沙月に近づいたのも、俺のモチベーション上げのためってことだ。レベルを上げれば魔法が使えるようになるんだろ?」
以前森羅自身が言っていたことだ。
レベルが上がればハカリでも魔法を使うことは出来る。
そのためには、ゲームでいうところの敵を倒して経験値を稼ぐ必要があるが、この世界で合法的に経験値を稼ぐ方法など無い。
別に敵を倒すやり方でなくても経験値を稼ぐことはできるらしいが、それも異世界に関連しているものに限られる。
その中で、実行した後対象の存在そのものが消えるため罪にならない異世界送りは、異世界に関連した経験を積むと同時に対象を倒すことによる経験値も貯めることができる一石二鳥の方法だ。
「沙月の記憶を取り戻すためなら、異世界送りで人殺しをする覚悟だって決める。そんなところか?」
ハカリとしては、いくら罪にならないとは言え、行為としては人殺しでしかない異世界送りの手伝いをする覚悟はできない。
このままズルズルと時が経てば、やはり自分には無理だと当初の約束通り、市役所を辞めるかもしれない。
だからこそ、ハカリに好意を持っている(未だ理由は不明だが)森羅は沙月を使ってその理由を作ろうとしたのではないか。
「そんなことは──」
「じゃあ、なんだよ」
先ほどより強く問うが、森羅は再び黙り込む。
その様子を見てため息を漏らすと、同時に森羅がおびえたように身を竦ませた。
「っ!」
だが、これでも否定はしないところをみるに、やはりハカリの想像は間違いではなかったようだ。
悔しいとも悲しいともつかない正体不明の感情が沸き上がり、唇を噛みしめた。
「悪いけど、俺はそこまで単純に出来てない。少し一人で考えさせてくれ」
それだけ言うと、そのまま森羅の横を通りすぎる。今度は追いかけてくることはなかった。




