第12話 第一回異世界講座①
翌日の市役所。
ハカリにとっては初勤務となるその日。始業開始の三分前、最後に入ってきたのは案の定というべきか滴だった。
「おはよー。ギリギリセーフっと」
悪びれた様子もなく入ってきた滴が、そのまま自分のデスクに着こうとすると朝日が咎める。
「滴くん。制服に着替えてから座りなさい。もちろん始業時間までにね」
この部屋に着替え用の更衣室は無いため、どう考えても残り三分で着替えられるはずもない。遅刻確定だと思った次の瞬間。
「はいはいっと」
片手を持ち上げて指を弾くと同時に青色の粒子が散り、彼女の着ていた私服が消え始めた。
いや、その言葉は適切ではない。
薄い青を基調とした私服が、全員が着ている同じ飾り気のない真っ黒なスーツに塗り変えられていったのだ。
これも魔法の一種だろう。
昨日あれほど軽々に魔法を使わないように言ったはずだが、今回は余人のいない室内だ。何を言っても無駄だろう。
「これで良い?」
「あまり良くはないが……ま、その話は後だ。座りなさい」
そう言った朝日の視線が一瞬、こちらに向けられた。
朝日も魔法を軽々に使用することを快く思っていないのかもしれない。
「さて、改めて。昨日は皆ご苦労様。おかげで初めて天災の発生を防ぐことができた。急なことだったが異世界転生応援室が正式稼働する前に良いテストができたと考えよう」
先日、朝日を捜して市役所内をたらい回しになっていたときに、土木課の職員が四月から新しく課ができるが、正式な発表がされていないためよく分からない、と言っていたことを思い出す。
「今日から四月までは基本的には準備期間になるわけだが……その前に、釣合くん。昨日は大丈夫だった?」
「昨日?」
一瞬、水神丘古墳のことかと思ったが、あの件はまだ報告していない。
全員揃ってからの方が良いだろうと滴を待っていたが、結局業務開始時間ギリギリに来たため報告できなかったのだ。
「社宅だよ。何か不便はなかった?」
「ああ。そのことですか。大丈夫です準備金もありますし」
ハカリの立場はアルバイトだが、次の給料が入るまでは一ヶ月近くかかる。
しかしハカリは財布も持っておらず、次の給料が入るまでの生活費すらない状況だったので、生活準備金という名目で市から借入をしていた。
「戸籍もすぐにできるだろうから、後で銀行の通帳も作っておいて。給料は手渡しじゃなくて振り込みだから──って今の時代はそれが普通か」
かつては給料袋に現金を入れて渡していた時代もあったらしいがだいぶ昔の話だ。
昨夜滴が小子以外は皆わりと最近転移したと言っていたが、彼女にとっては昭和も最近に入るのだろうか。
そんなことを考えていたハカリに隣のデスクに座っていた森羅が顔を寄せる。
「室長の言うことは話半分で聞いていた方が良いよ? 年齢を知られたくないらしくて、自分が転生した時代とか異世界にどれくらい滞在したとかは絶対教えてくれないんだから」
秘密主義だよねー。と森羅はこっそりと言う。
彼女たち四人は、全員が別々の時代から異世界に転生したため、一般常識に付いて隔たりが存在するが、朝日はそれを逆手に取ってわざと古い時代の話をしたり、逆にごく最近の常識を話したりすることで、特定を避けているそうだ。
「ちなみに森羅はいつ異世界に行って、どれくらい向こうにいたんだ?」
少し意地悪い質問を向けると、森羅は考えるような間を空けてから、にっこりと花の咲いたような笑みを浮かべた。
「んー。私も内緒で」
「ええ?」
秘密主義どうのこうと言って於いて、悪びれもせずそんなことを言う森羅に呆れて声を上げると、彼女はもう一度笑った。
「ふふふ」
「そこ。イチャつくのは後にしなさい。話の途中だよ」
「いや、別にイチャついているわけでは──」
「はーい。イチャつくのは仕事が終わってからにしまーす」
「ダメだシツチョー。シンラにその手の忠告は無意味だって」
「そうらしいね」
「私、隠し事はするけど、愛情表現はストレートにする主義なので」
そう言ってから、森羅は大きな瞳を爛々と輝かせてハカリを真っすぐ見つめてきた。
愛情云々に対する返事を期待していることは言われずとも分かった。
昨日の反応や、秤を引き留めるために、自ら導具制作を依頼して異世界送りを行おうとしたことも含め、森羅がハカリに何らかの強い感情を抱いているのは明らかだが、その理由は不明なままだ。
だからこそ、なんと言っていいのか分からず、秤は話を逸らすことにした。
「そう言えば、みんなが行っていた異世界ってそれぞれ別の世界なんですよね?」
あからさまな話題変換に森羅は目を細めて不満気に唇を尖らせる。
「ああ。アタシの世界は陸のほとんどが水没してたから、普通の人間って奴は居なくて、人魚ばっかりって感じだった」
そんな中、こちらの意図に気付いているのかいないのか、滴が話に乗った。
「私の世界はいわゆるファンタジー世界だね。魔法が使えてエルフはもちろん、ドワーフとか獣人とかのいろんな異種族がいるおもしろい世界だったなぁ」
話の方向が完全に流れたことを察したのだろう。滴に続いて森羅も過去を懐かしむように言うと、朝日も続いた。
「僕のところは更に一歩進んで、ゲームのようなではなく、完全にゲーム内の世界だね」
「ゲーム? それってレベルとかステータスみたいな概念があるってことですか?」
「それもあるけど、それ以前に元ネタというか、僕はゲームに詳しくないから人伝で聞いた話だけど、登場する人物や星の名前がそっくりそのままのゲームが実在していたらしくてね。その中に入り込んだんだとみんなが言っていたよ」
「ゲームの世界に入る? そんなこともあるんですか?」
驚くハカリに朝日は眉を下げて首を横に振る。
「違うよ。実際にはゲームの中に入った訳じゃなく、その異世界がゲームそっくりに作られていた感じだね。上位存在の数だけ異世界は存在するからそういうこともある」
「偶然ってことですか? 流石にそれは」
あり得ない。と続けようとした言葉を飲む。異世界転生という普通に考えてあり得ない現象を目の当たりにした後では説得力のない言葉だからだ。
「……そうだね。昨日は途中で終わってしまったし、今日はまだ急ぎでやる仕事もない。改めて話の続きをしようか」
今日から業務が始まると意気込んで来たハカリとしては、急いでやる仕事がないというのもなんだか肩すかしをくらったような気分になるが、異世界についてまだ何も知らないハカリとしてはより詳しく知っておく必要があるのは間違いない。
朝日の提案にハカリも即座に頷いた。
話をするのにデスクは味気ないと、昨日と同じく談話スペースに移動することになった。
座る位置はもはやこれが定位置だと言わんばかりに森羅がハカリの横に座り、滴も前回同様一人掛けのソファに腰を下ろすと、即座に足を人魚に戻した。
「あー。やっぱりこの方が楽。この世界マナが薄いんだよなー」
気の抜けた声で言いながら、気持ちよさそうに下半身を振る。
彼女の周りの空気だけ水のような粘性を持ち、ヒレがゆっくりと揺らめいていた。
全員が同じスーツ姿ながら、他の三人はパンツスーツなのに対し、滴だけがスカートで、ストッキングやタイツも履いていないのは、本来の姿である人魚に戻ったときのためなのだと今更ながら気付いた。
「ではでは。第一回異世界講座ー」
パチパチと口に出して言いながら手を叩く森羅に、朝日は率先して加わったのに対し、小子は冷めた様子で、滴に至ってはヒレで地面を叩いて拍手代わりにする。
「先ずは上位存在が異世界に人を送る理由から話した方が分かりやすいよね」
「理由とかあるんだ」
思わず呟いたハカリの声を朝日が拾う。
「昨日僕が言っただろ? 少なくとも、この世界の上位存在が送り出した者たちは、全員同じ目的のために送り込まれている」
「目的ですか?」
「そう。月並みだが、送られた異世界を救うためだ」
どこか自慢げに朝日はニヤリと笑みを浮かべた。




