第6話 手話姉さん陽子
ふと、伸一は手話の研究をしていた陽子姉さんのことを思い出した。
上島陽子。伸一の2個上の近所のお姉さんで、中学生のころから手話に興味を持っていた。その関心をもったまま、高校卒業後は京都の大学に進み、手話をさらに研究したいと大学院に進むことになったところまでは覚えていたのだが、それからどうなっただろうか。
文系の大学院は多くのところがそうだが、研究だけで食っていくのは簡単ではない。多くの人がバイトや講師などほかの仕事をしながら、なんとか研究を進めているというのが現状だ。
陽子も大学院生時代は日々、コンビニや居酒屋のアルバイトをしながら、生活費と研究費を稼いでいた。忙しく、とても手話通訳の研究を続ける余裕がなかった。
久々にアプリで陽子姉さんに電話をした。
「お久しぶりです」
『久しぶり~♪元気~?』
「元気ですよ。陽子ねえはその後、どうですか」
『私はね~』
陽子ねえは語り始めた。
あまりに生活が苦しい中、陽子は研究を続けるかどうか悩んでいた。
『こんなに生活が苦しいなんて』
いっそ、全部放りだして、実家に帰ろうかな。いや、でもせっかく親も応援してくれてたのに。
どうしよう。
そう思っていた矢先、あるニュースを知った。
『ベーシック法案可決?』
そうして、2か月後ベーシックが始まった。
今まで、掛け持ちで続けていたバイトも一つ減らし、その分研究に集中できるようになった。
学問的な研究はすぐに利益を生み出せるものではなく、長い年月がかかるものも多い。ベーシックによって、生活費をはじめとした短期的に必要なお金は支給されるようになった。つまり、すぐにはお金にはならないが、価値のある仕事もベーシックのおかげでできるようになったのだ。
『もう、本当楽になったわ。徐々に学会で発表でもできるようになってね。いまは手話通訳の体系化に挑んでるのだけど』
その後、陽子姉さんは手話の体系化に成功する。それだけでなく、日々海外から入ってくるあたらしい言葉も英語圏、ドイツ語圏、ロシア語圏から日本語の手話に訳せる手法を生み出した。これにより、国の垣根を越えて手話を通して、より多くの人々と会話できるようになった。