#03
それから、またボロボロと泣いてしまいました。ハンカチを出してくれましたが、私には受け取ることができません。
「……来週の土曜日、花を供えに来るよ。……どんな花が好きなんだ?」
泣いている私を気遣って、柴田さんが言ってくれていました。
――お花ですか?
「あぁ。」
――バラの花束をもらってみたかったんです。ダメですか?
場違いになってしまうかもしれませんが、少しだけバラの花束に憧れがありました。
「お供えの花にバラって、なんか不謹慎だな。……でも、まぁ、いいか。」
――約束しましたからね。
「あぁ。ただ、人生で初めて花を贈る相手が、幽霊になるとは思わなかったよ。」
私も同じことを考えていました。生きてさえいれば、悲しいことよりも幸せなことがあったのかもしれません。
「……また来るよ。」
そう言い残して柴田さんは帰って行きました。奇妙なドライブが終わって寂しい気持ちになりましたが、来週の土曜日を待ち遠しく感じています。
生きていた時は一日一日を苦痛に感じていただけなのに、幽霊になってから先のことに胸を躍らせることになってしまい、複雑な心境ではあります。
――よかった。戻ってこれたんだね。
――全然帰ってこないから心配してたんだよ。
――もしかして、送ってきてもらったの?
柴田さんの車が走り去っていたのを確認した先輩たちが駆け寄ってきて、私に声をかけてくれます。
驚かすために乗り込んだ車で送り届けてもらうなんて前代未聞の失敗だったとは思いますが、驚かすことだけには成功していたので報告しました。
ただ、先輩たちに私が泣いてしまっていたことがバレてしまい。
――どうしたの?……泣いてたみたいだけど。
また心配させてしまいます。生きていた時に気付かなかっただけで、こんな風に私の周りには優しい人がいてくれたんだと思えてきて、また涙が零れ落ちました。
――すいません。……色々と大切なことを思い出して、もっと生きていたかったなって余計なこと考えちゃったんです。
その言葉を聞いていた先輩たちはニコニコしながら私を見てくれています。
――余計なことなんかじゃないよ。すごく大切なこと。
――あなたは、まだ間に合うんだから。
私には全く意味が分かりませんでした。
意味が分からずに困惑している私に、先輩たちは説明をしてくれます。
私がここに来たのは、昨日の夜のことだそうです。
自らの手で人生を終わらせるために、この場所へ訪れたことは間違いないらしいです。そこで私は先輩たちに驚かされてしまい、崖になっている場所から転落してしまったのです。
先輩たちは、愚かな行為を思いとどまらせるために私を驚かしたみたいですが、やりすぎてしまったことを反省していました。
崖から落ちた私は、頭を強く打ったらしく意識を失ってしまい、一刻も早く発見してもらう必要があったみたいです。機転を利かした先輩たちが、肝試しで来ていた人たちを誘導して倒れている私を発見してもらったと聞かされました。
――だからね、今のあなたは病院で眠っているはずよ。
――ちょっと驚かして帰ってもらうつもりだったんだけど、ゴメンね。
――でも、今なら間に合うから大丈夫だよ。
先輩たちは、それぞれに優しく声をかけてくれます。
――どうして、そんなことまでしてくれたんですか?
そんな説明を聞いても、私は状況が理解できず、皆に問いかけてみました。
死ぬためにこの場所に来ていた私を幽霊たちが助けてくれたことになるのです。
――私たちも、死んでしまってから後悔したの。……どうして死んじゃったんだろうって。
――あなたと違って、しばらくはそのことに気付けなかったわ。……私たちは手遅れだった。
――でも、そのことにあなた自身が気付けないとダメなの。……心から「生きていたい」って思えていないと意味がなかったの。
そのために生きていた時のことを思い出す必要があったと教えられました。器だけになっている身体に心が戻らないと本当に私は死んでしまいます。
だから、車に乗せてみたりして、どうにかして記憶を呼び覚ますきっかけが欲しかったと聞かされました。
――幽霊だって、優しい人を道連れにしたくなんかないんだよ。
この人たちが『優しい人』と言ってくれたことを嬉しと感じて、絶対に忘れてはいけないと思いました。
本当は、幽霊が分かり易く車に乗り込んで驚かすことはあまりしないことで、時々「息抜き」程度にやっているだけらしいです。
――時間がないのに、帰ってこないから慌てちゃった。
――それでも、生きていたかったって自分から言えるようになって良かったね。
――辛いことばかりじゃないこと、思い出せて良かったね。
色々な感情が溢れだして、また涙が止まらなくなっていました。
今は、心から生きていたいと願うことができています。
――さぁ、もう泣いてないで、あなたの場所に戻りなさい。
――もう二度と愚かな選択をしないで。私たちみたいになっちゃダメだよ。
――私たちの分まで幸せな人生を過ごしてね。
私の頭を撫でてくれながら諭すように語りかけてくれました。
――はい。ありがとうございます。ありがとうございます。……ありがとうございます。
それ以外の言葉が出てきませんでした。もっと言わなきゃいけない言葉があったはずなのに、泣きながらお礼するしかできなかったんです。
私が辛いだけだと思い込んでいた人生は、こんなにも優しさに包まれていたのです。
次に目を開けた時、そこは病室のベッドの上でした。横には泣きながら見守ってくれている両親がいます。すごく不思議で、かけがえのない一夜の経験は終わったみたいです。
「……ゴメンね、お父さん。……ゴメンね、お母さん。」
こんなにも心配してくれている人がいたのに。そう思うと情けなくなってしまいます。
「……あのね、聞いてもらいたいことが……たくさんあるの。」
上手く言葉にできないかもしれないけど、生きている限り話をする時間はあります。焦らなくても良かったんです。悲しいこともあるかもしれませんが、その2倍も幸せなことがあるはずなんです。
信じてもらえないことがあるかもしれないけど、正直に沢山の話をしたいと思いました。
「どういうことなのか説明してもらえるんだよな。」
私の病室に入って来るなり、不機嫌そうな一言が放たれました。
一週間では退院することが出来なかったので、病室までお越しいただくことにしたのですが、バラの花束を持って病院内を歩いてきて恥ずかしかったようです。
「まぁ、生きていてくれたことは良かったけど……。昨日の夜、あの場所で君のご両親が待っているし、俺の名前まで知ってるし、昼間に病院に来てほしいって頼まれるし……。混乱しかないんだ。」
感動の再会を期待していた私としては、少し不本意な登場ではあります。
「すいません。……まだ病院から出られなかったので、両親に行ってもらったんです。」
それでも、素直に謝るしかありませんでした。
「……改めまして、早坂由梨です。」
たぶん病室の名札を見て知っているとは思いましたが、やっと名前を伝えることができました。柴田さんは笑顔で聞いてくれています。
「ちゃんと自己紹介できるようになって良かったな。」
当たり前のことが当たり前にできることを喜んでくれる人がいます。これも些細なことですが幸せなこと。
私は、嬉しくて涙を流しながら『はい』と元気に答えます。
約束通り土曜日の夜、バラの花束を持って来てくれたところを両親に待ち伏せしてもらいました。夜遅かったので、病院には日曜日の昼間に来てもらうようにお願いしたんです。
全く事情が飲み込めていないままで、来てくれたことは嬉しかったです。そして、何があったのか説明する私の話を黙って聞いてくれました。
「……信じてもらえないかもしれませんが、そんなことがあったんです。」
説明を終えた、私が言うと、
「幽霊だった君を見てるんだ。別に信じられないことなんてないさ。」
そう言われれば、柴田さんはもっと信じられないようなことを目にしていたんです。
「そうでしたよね。……本当にありがとうございました。」
あの時、出会ったのが柴田さんじゃなければ、私も手遅れになっていたかもしれません。それは間違いないことで、感謝していました。
「別にいいよ。……でも、生きていて良かったな。」
少しだけ照れくさそうに、でも、優しい声で言ってくれました。
「……はい。ありがとうございます。」
「……でも、まぁ、バラの花束を渡したんだから、約束は果たせたよな。」
たぶん、こう言われると予想はしていました。でも、
「えっ!?……まだ約束したことは残ってますよ。」
「そんなはずないだろ?他に約束なんてしてないはずだし……。」
他にも約束したことはあります。私が幽霊のままだったら無効になってしまう約束ではありますが、ちゃんと覚えていました。
「私が生きていたら、ドライブに連れて行ってくれるって言ってましたよ。美味しいコーヒーも飲ませてくれるって……。ちゃんと守ってくださいね。」
「はぁ!?……それは、あの状況だったから言ったことで。」
約束と言ってしまうには一方的なお願い事かもしれませんが、私は忘れていません。
「……守ってくださいね。……祟っちゃいますよ。」
少しだけ頑張って、強気に責めてみました。
「そんなことができるのか?」
「……ふふっ、先輩たちにお願いに行きます。」
先輩たちには申し訳ないのですが、もう少しだけ力を貸してもらいたいと思いました。心の中で『ごめんなさい』と言った私に、先輩たちは『しょうがないな』といった表情で微笑みかけてくれます。
「はぁ!?……それは、反則じゃないか?」
柴田さんは、それ以上何も言い返せなくなってしまいます。
「今度は、ちゃんと助手席に座らせてくださいね。」
大切なことに気付けた私は、きっと強くなれていたんだと思います。哀しいこともあるけれど、それ以上に幸せなこともあると信じられるようになっていました。
そして、いつか先輩たちの名前を呼んで、元気に頑張っている報告をしたいと思います。