#02
「あの場所に居た幽霊ってことは……。」
――たぶん、そうだと思います……。
この男性が考えていた通り、私は自らで命を断ってしまったんです。幽霊になった私が最初にいた場所は、そんなことで有名になった場所なので理解することができました。
あの場所の近くにある林で、私と同じような選択をしてしまう人が多かったことが心霊スポットになっている原因でした。
生きていたら、もっと沢山のことを知る機会があったのかもしれません。それでも、生きていくことが辛いとしか感じられなかった記憶だけが残っていて、そんな愚かな選択しかできなかったんだと思います。
「……やっぱりね。」
――はい。すいませんでした。
「俺に謝る必要なんてないよ。……いつ、あの場所で?」
――分かりません。でも、つい最近だと思います。
運転席から『まだ若いのに……』と囁く声が聞こえてきました。幽霊になった自分の姿を見ることはできませんが、辛い記憶を抱えている私は大学生でした。
――でも、幽霊になるとは思っていなかったので戸惑ってるんです。
「成仏できなかったんだ……。そりゃぁ、恨み事もあるか。」
――いえ、特に恨んでいたりとかはないですよ。
それは本心でした。辛かった記憶はありますが、恨んでいるとか、そんな感情はありません。
ただ、心にあったのは寂しさだけだった。
「それなら、どうして俺の車に乗り込んで、驚かしてきたんだよ?」
――……そういうものだって、言われました。
「先輩の幽霊に?」
――はい。みんな、そうやってきたんだって言われたんです。
ただ、驚かすはずの人に送り届けてもらう失敗をした幽霊は、私が初めてではないかと思うと少し恥ずかしいです。
ぶっきらぼうな話し方ですが、最初に通りかかってくれた人が、この男性で良かったかもしれません。
――この車、ガコガコと忙しそうですよね。
「ガコガコって……、マニュアル車だよ。」
――運転好きなんですか?
「まぁね。仕事のストレス発散かな。」
――そんな時にすいませんでした。……明日も仕事なんですよね?
「今日は用事で出かけてただけ。……仕事も少しくらい寝不足でも問題はないよ。」
そんな会話の中で、ふとした瞬間に生きていた頃の映像が頭の中に流れてきました。
今と同じように運転席の後ろから話しかけている映像でしたが、私は幸せそうに笑っていました。運転席は男性で助手席は女性が座っていて、たぶん両親との時間だと思います。
「……どうした?」
涙を流していた私に気付いて、運転席の男性が心配してくれました。私は、突然甦った記憶の一部に戸惑いながらも、今見えたものを男性に伝えました。
――この車よりは、後ろの席が広かったです。
「悪かったな、そういう車なんだよ。家族ができれば広い車にするさ。」
――家族……ですか?
「君が家族と過ごした幸せな時間の証拠だよ。」
もしかすると、私が自らの命を断った原因が家族との関係ではなかったことを伝えてくれたのかもしれません。それは、幸せなことのはずだったんです。
――幸せな時間もあったんでしょうか?
「当り前だろ、本当に君の人生は辛いことしかなかったのか?」
断片的に残っていた記憶は、大学で知り合った男性を好きになって、一生懸命に仲良くなろうとしていたことから始まっていていたんです。私は、その男性が高校からの友達と付き合い始めたことを知りませんでした。でも、その友達は自分の彼氏に手を出されたと思い込んで許してくれません。
そこからは嫌がらせを受け続けることになり、楽しくなるはずの大学生活には苦しさしかなくなってしまいました。
――そこまでで記憶は終わってます。
「……そうなんだ。……でも、それだけが君の記憶の全てじゃないだろ?」
――えっ?……でも、思い出せているのは、それだけなんです。
この人の言葉は私の記憶を呼び起こそうとしてくれていました。幽霊になった私のどこに記憶が保管されているのか謎ですが、何かが残っているのは間違いないことでした。
「思い出せていない記憶の中には、幸せだった時間もあるはずだろ。」
――思い出せていない記憶……ですか?
「今、君が語ってくれた記憶だけが、君の人生の全部じゃないってこと。」
20年近くは生きていたはずで、それだけの人生の記憶が辛いことだけではなかったと思います。辛いことだけに縛られてしまい、忘れていただけなのかもしれません。
「世の中には、本当に辛いことだけしかない人生で、自ら命の断つ人もいる。」
――はい。
もちろん、そういう人がいることは知っていました。
「君が辛いと感じていたことを、他人の俺が『そんなことで』とも言わない。」
――はい。
「でも、君は他の手段を選べたかもしれない。……逃げ出すことだってできたかもしれないんだ。」
――はい。……そうかもしれません。
一人で悩み過ぎて、そんなことにさえ気付けなかったのかもしれません。
「『喜怒哀楽』って、言葉の半分が幸せな気分のことを表現してるんだ。」
――『喜び』と『楽しみ』のことですか?
「そう。哀しいことの倍もあるんだ。……君の人生は違ったのか?」
――分かりません……。でも、幸せな時間も沢山あったんだと……思います。
そんな話をしていると、色々な記憶が甦ってきました。
家族との時間、友達との時間。笑っていたり、怒っていたり、泣いていたり。この人が言っていたように、私の記憶の中には幸せな時間が沢山ありました。幸せな記憶も沢山残っていたんです。
――どうして、こんな大切な思い出を忘れていたんだろう……。
「辛いときなんて、そんなもんだよ。」
――ただ、辛いだけだと思っていたんです。
「そんな時もあるさ。……でも、そんな時だけでもなかったはずなんだ。」
運転席から静かに諭すように語りかけてくれました。
――生きていたら、素敵な曲を聞きながらドライブにも行けたんでしょうか?
「あぁ、そうだね。」
――生きていたら、美味しいコーヒーも飲めたんでしょうか?
「あぁ、そうだね。」
――生きていたら、助手席に乗せてくれましたか?
「あぁ、あまり乗り心地は良くない車だけどね。」
死んでしまってから大切なことに気付くことになったみたいです。取り返しのつかないことをしてしまっていたんです。
思い出さない方が良かったのかもしれませんが、いつかは思い出していたはずのこと。自分の中には間違いなく幸せな記憶があったのだから、いつかは自分の愚かな行為を悔いることになったと思います。
ボロボロと泣いてしまいました。生きている間にできなかったことが、幽霊になってからできたんです。
――生きている時に、あなたと会っていたかったです。
「……俺もだよ。……ゴメンな。」
本当に優しい声で、申し訳なさそうに言ってくれました。
この人は何にも関係ないのに……。
この人が責任を感じる必要なんてないのに……。
そんな話をしていると、車の窓から見える景色は見覚えのあるものになっていました。カチッ、カチッとオレンジ色の光を点滅させて車は止まりました。
生きていたとしても出会うことはなかった人かもしれませんが、死んでしまった後に出会ったことは寂しいことでした。
「さぁ、着いたよ。」
――はい。……ありがとうございます。本当に、すいませんでした。
「あぁ。」
――あの、おじさ……おにいさんの名前、教えてもらえませんか?
「柴田隆也。……まだ、25だから、おじさんではないな。」
――あっ、すいません。
律儀に車から降りて、助手席側のドアを開けてくれました。シートを前に倒して、下りるスペースを作ってくれます。幽霊の私に、そんなことをする必要ないのに。
それでも、スポーツタイプの車は『こうやって下りるんだ』と変に感心してしまい、そんなことも知らないまま死んでしまったことが悲しくなってしまいました。
――もっと生きていたかったな……。
「そうだな。」
思わず漏れた私の言葉に、柴田さんは寂しそうでした。生きていた時に言えていたら全てが変わっていた言葉でした。
――勝手ですよね、自分で選んだことなのに……。
「……でも、生きていたかったと言えたことは、無駄じゃないと思うんだ。」
辛いと思って投げ出してしまった人生が、今は素晴らしい物だったことに気付かされました。心配してくれていた両親や友達に感謝することができるようになりました。
こんな簡単なことを生きている時に気付けなかった自分が悪かっただけなんです。
――あのー、また、この場所、通ってくれますか?
「えっ!?……ここ通ったら驚かされるんだろ?」
――はい。……でも、通ってくれなかったら祟ります。
「せっかく送ってあげたのに、祟られるのかよ。……でも、そんなことできるのか?」
――今日は初めてで色々失敗しましたけど、これから幽霊として経験を積みますから。
「……俺を祟る方法もか?」
――はい。
素直に『また会ってくれますか?』とは言えませんでした。
たぶん、幽霊にそんなことを言われても嬉しくないはずだから言えませんでした。
「分かった。……でも、あの先輩、本当に怖いから君が全部やれってくれよ。」
私が立っていれば柴田さんは車を止めてくれる。
幽霊でなければ、そんな何気ない出来事を幸せと感じることができていたのかもしれません。