#01
今、私がいる場所は有名な心霊スポット近くの道。季節は夏で、怪談にはベストシーズンです。
先輩たちに囲まれて指示を受けながら、その道を通りかかる車を待っていました。
これかの段取りは、まず最初に髪の長い先輩が道路脇の木の下に立って車を停止させます。車を停止させる段階では、驚かせすぎると事故を起こしてしまうので注意するように先輩からのアドバイスもあります。
そして、止まっている車に私が乗り込むことになるのです。運転していた人が周囲を確認するために車外に出てくるかもしれませんが、車を停止させる役の先輩は見つからないように隠れてくれています。
車に乗り込むタイミングは傍にいてくれる先輩が的確に指示を出してくれるはずなので安心です。
本当は一人で全部をこなすことになるのですが、初回は先輩から色々と教えてもらうことになります。教えてもらえるうちに要領よくできるように集中して覚えなければなりません。
ただ、今日は日曜日。日曜日の夜は通りかかる車が少ないので、難しいかもしれないと聞かされていました。
――あっ!一台来たみたいだよ。
傍にいてくれた先輩が声を掛けてくれました。私の緊張感は高まりますが、当然ながら心臓がドキドキすることはありません。
――スポーツタイプの車だから大変かもしれないけど、頑張って!
先輩は細やかなことも教えてくれます。事前の注意事項でも言われていたことですが、スポーツタイプの車は後部座席が狭いので隠れるのが大変らしいのです。
それでも、数少ないチャンスを逃すわけにはいきませんでした。
予定通り木の下の先輩が絶妙なタイミングで滑るように道路を横切って車を止めてくれます。停止した車からは男の人が降りてきて、先輩が立っていた周辺を調べているました。
緊張してあたふたしている私に『今のうちだよ』と声がかかります。私は止まっている車の後部座席に慌てて隠れました。
これからしばらく隠れておいて、運転している人が後ろの異変に気付き始めた頃を見計らって姿を現すのが効果的とのこと。
とは言っても、乗り込んでからは一人きり。意外に驚かすタイミングが難しくて、なかなか姿を出せませんでした。
声をかけるタイミングが悪いと驚かせすぎてしまい、事故を起こしてしまうことになり可哀想です。それでなくても、心霊スポットで熟練された先輩の姿を見てしまっているので、かなり動揺しているはずでした。
心霊スポットに出没する幽霊の大切な仕事は、人を驚かすことだと説明を受けていましが、やりすぎは良くありません。
運転中の男性はガコガコと忙しそうに動いているし、せっかく信号で止まっても私が迷っている間で青になってしまい、チャンスが見つかりません。
もっと慌てなければいけない状況なのに、のんきな私は車内でかかっている曲が素敵で聞き入ってしまっていました。
――こんな素敵な曲も知らないで、私は死んじゃったんだ……。
そう思うと悲しい気持ちになってしまい、余計なことばかりを考えて始めてしまいます。
結果、タイミングを見つけられないまま車はどんどん進んで明るい町中にまで来てしまっていました。気が付けばどこにいるのかも分からない場所になって、帰る方法も分かりません。
事の重大さにやっと気付けた幽霊初心者の私は焦ります。
――どうしよう……、どうしよう。
驚かすことなんて、すっかり忘れてしまっています。車がコンビニの駐車場に入った時、これが最後のチャンスだと思いました。
――あのー、すいません……。
私は申し訳なさそうに小声で話しかけます。
運転席では「うぁー!」と大きな声を上げてバタバタと驚いてくれていました。運転中に声をかけなかったことは正解だったと思い知らされます。運転中に声をかけていたら、間違いなく大事故になっていたでしょう。
男性は焦り過ぎていて、逃げ出そうとしてもドアを上手く開けることもできなくなっていました。
――すいません、すいません。危害を加えたりしませんから。
私の言葉を聞いて、男性は少しだけ冷静さを取り戻してくれました。
「な、な、何?……き、君は誰?」
こんな感じではありましたが、最初の驚き方に比べれば落ち着いてくれているんです。
話を聞いてくれる状況ができただけでも助かりました。
――あのー、たぶん、幽霊ってことになります。
幽霊として自己紹介するのは初めてのことでした。
「はぁ!?……幽霊?」
当然の返事ですが、間抜けなやり取りになってしまっているとは思います。
――驚かそうと思って乗り込んだんですけど、帰れなくなっちゃたんです。
恥ずかしさを押し殺して、私は正直に相談しました。
「えっ!?何、言ってるの?」
分かり易く混乱しているみたいです。それから運転していた男性が落ち着くのを待って、順を追って説明しました。
「……あそこに立って俺の車を止めたのは、君じゃないんだね?」
――はい。あなたの車を止めてくれたのは先輩です。
「幽霊の先輩って……。変な表現だな。」
――みんな生きていた頃の名前は覚えていないみたいなんです。
名前は覚えていませんが、生きていた時の辛かった記憶だけは鮮明に残っていました。
辛かった記憶があることで、自分が幽霊である事実が受け入れられているんだと思います。
――それで、あの場所って、どっちの方向に行けば戻れるんでしょうか?
「えっ?……あの場所まで帰るの?」
車が走っていた時間を考えれば、かなりの距離を走ってきたのかもしれません。でも、
――他に行く当てもないですし、あの場所に居たので……。
「どうやって帰るの?……一気に飛んで行けるとか?」
男性の質問に私は首を横に振りました。歩いて帰るしかないのですが、幽霊が歩くというのも変な気がします。もしかすると飛んでいける能力があるのかもしれませんが、幽霊になったばかりの私には分かりません。
泣きそうな私の顔を見ていた男性は『明日も仕事なんだけどな』と呟きながら、『ちょっと待ってて』と言い残してコンビニに入って行きます。そして、コンビニから出てきた男性の手には紙のコップが二つ。
「……戻ってあげるから、もう少し乗ってな。」
――えっ?いいんですか?……明日、仕事って。
「このまま放っておいて、祟られたくないからね。」
幽霊である私に下心を持っても全く意味のないことなので、好意には素直に甘えることにしました。元々、勝手に乗り込んだのは私の方なので、男性のことを疑うのも失礼な話です。
そして、買ってきたばかりの紙コップを後部座席のホルダーに置いてくれました。
――あのー、せっかく買っていただいたんですが飲めないですよ。
「……気分の問題だよ。俺だけ飲んでるのは気が引ける。」
――すいません。ありがとうございます。
「でも、お線香が仏様に香りを楽しんでもらう物だったら、幽霊でも匂いくらい分かるんじゃないかと思うんだけど?」
そう言われると、気のせいかもしれませんがコーヒーの匂いが漂っている気がしました。
生きていた時の私がコーヒーを好きだったのか、嫌いだったのかは思い出せずにいますが、いい香りがします。
「ずっと後ろの席でいいのか?」
――幽霊は基本的に後ろの席から驚かすって言われました。
これは先輩からの指導内容です。
「もう驚かされた後なんだけどね。」
本当は驚かするつもりはなく声をかけただけだったんですが、親切にしてくれている人に「あなたが勝手に驚いただけ」とは言えません。
――それに助手席に座っても、シートベルトが着けられないから、隠れておいた方がいいですよね?
その言葉を聞いた男性は、『お気遣い、ありがとう』と短く答えてくれました。
あの場所からコンビニまで1時間くらいは乗っていたので、往復すると2時間はかかってしまいます。既に日付が変わるくらいの時間になっていたので申し訳ない気持ちで一杯でした。
――本当にすいませんでした。……今回が初めてだったんです。
私としても恥ずかしいことでしたが、謝罪は大切です。
「まぁ、いいよ。運転中に声かけられなくて良かった。」
――ですよね。すごく驚いてました。
男性の答えを聞いて納得のあまり正直すぎる感想が漏れてしまいました。驚いてくれたことが嬉しかったのかもしれません。
「当り前だろ。あんな場所で女の人の幽霊を見た直後だったんだから。」
男性は少し照れたように言い訳をしましたが、私としても悩みがあります。
――あの先輩、すごく雰囲気ありますよね。……やっぱり幽霊って、黒髪ロングなんでしょうか?
次回からは自力で車を止めなければならないので、私にもできるかは不安です。
「すぐに車を止めたのにいなくなってたから、すごい怖かったよ。……黒髪ロングだけが幽霊じゃないと思うけど、君はセミロングってところか?」
――はい。……幽霊になってから髪の毛って伸びるんでしょうか?
幽霊として驚かすために乗り込んだ車で、こんな雑談をしていても大丈夫なのかは分かりません。
「それは分からないな。……俺も幽霊と出会ったのは初めてなんだ。霊感なんてない人間でも幽霊がハッキリ見えてることに驚いてるよ。」
――あっ!霊感はあまり関係ないみたいです。幽霊側の意思で見えたり見えなかったりするんです。
これは私も幽霊になってからの新発見です。
いつの間にか私も会話を楽しんで、車の中で流れている曲にも聞き入ってしまっていました。
――良い曲、ですね。
「あぁ、あまり有名な曲じゃないけどね。」
――はい。初めて聞いた曲です。
「まだ君が知らない良い曲なんて、沢山あるさ。」
――そうだと思います。……生きていたら沢山知ることが出来たんですよね。
曲だけに限ったことではなくて、私には知らないことばかりでした。たぶん、男の人とこんな会話をした経験も少なかったんだと思います。