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「アイ、作戦は覚えてる?」
「うん、ケンが教えてくれた作戦、忘れる訳がない」
アイを見つけたケンは競馬場まで戻って来るとレース開始までの間に作戦確認をおこなっていた
「なら念の為、もう一回確認しておこうか」
「分かった」
ケンがアイと作戦確認をしていると後ろからドドドッと激しい足音が迫ってくる
「おいケン!さっきはよくも好き勝手な事を言いやがったな!」
「あっ、脳筋ケンタウルスのワクシーじゃないか、どうしたの?」
「俺は脳筋じゃねえ!」
パドックでの紹介が終わってからワクシーはケンの事を探し回っていたのだ
「覚悟しろよケン!もう好き勝手な事が言えないようにしてやるからな!」
指をボキボキと鳴らしながらケンに迫っていくワクシー
「ケンに手を出すのは、アイが許さない」
その前をアイが立ち塞がり、ワクシーを威嚇するように前足を鳴らす
「こんなところで脳筋の相手なんでしたらダメだよアイ!レース前に怪我したらどうするの!」
「ケン、アイのこと心配してくれてるの?」
「そんなの当たり前だよ」
「・・当たり前・・ふふ、当たり前・・」
ケンの言葉がよほど嬉しかったのか、何度も噛みしめるように呟くアイ
「人を無視して話してんじゃねえ!」
「ワクシーも落ち着きなよ、ここで問題起こしたら出走停止になる事くらい分かるだろ」
「なんだと!そんなの聞いてないぞ!」
「俺はきちんとルール説明したよ、その時に出走予定のケンタウルスは喧嘩などの問題を起こしたら出走を停止するってルールもきちんと伝えたでしょう?」
「た、確かにパドックに行く前にケンがルール説明はしていたけど・・そんなルール言ってたか?」
「何、ワクシーは聞いてなかったの?アイは聞いてたよね」
「うん、ケン言ってたよ」
「なっ!ぐっ、マジでそんなルールがあったのかよ・・」
(そんなルール、言ってないけどね)
自信満々に言うケンとアイの態度にワクシーは自分が聞き逃したものと勘違いしていく
「おい、ワクシー、何してんだよ?」
「ヘロドが!ちょうど良かった!お前、ケンからのルール説明覚えてるか!」
第一レースの8番で出走するヘロドも来たようでワクシーがルール確認をしようとする
(げっ!?ヤバい!ヘロドがそんなルールないって言ったらワクシーの奴にボコられる!!)
「ケンからのルール説明〜?そんなの聞いてる訳ねえだろ」
「くっ、そうだよな・・聞いてる訳ねえよな」
(結果的には良かったけど・・なんかな・・)
自分のルール説明なんて聞いてなくで当然とばかりの二人の態度に釈然としないケンであった
「それより、レース前にケンなんて馬鹿相手にしてねえで、さっさとコースに向かおうぜ」
「・・そうだな、俺は絶対に一着にならなきゃいけねえんだ、ケンなんて相手にしている場合じゃなかった」
ワクシーはこのレースで一着になって兄弟の中で自分を売る事に決めた父親に自分の実力を見せつけて後悔させてやろうと意気込んでいた
「そうだよ、こんなところ俺の相手する元気があるならレースを頑張りなよ」
「ちぃ!レースが終わったら覚えてろよ!」
(良し!レースが終わったら速攻で逃げよう!)
「そういえばケン、お前レース出ないんだってな」
ヘロドがニヤつきながらケンに聞く
「当たり前でしょう、俺は実況があるんだから」
ケンは初めてケンタウルスで行う競馬を開催するにあたって、何かあった場合にすぐに対応出来るようにレース出走は回避して実況者となっていた
「くくくっ・・ケンにしては賢明な判断したじゃねえか」
「どういう意味?」
「お前みたいなノロマが出走したところでビリ確定だからな、うまい理由を見つけて逃げたって事だろ」
(逃げたってわけじゃないだけど・・まぁ、俺が出てもビリになるっていうのは間違いじゃないけど)
「走る勇気もねえとはな!やっぱりてめえはケンタウルスの恥晒しだよ!」
言いたい事だけ言ったワクシーとヘロドはそのままコースに向かっていく
「あいつら、ケンをバカにして!許さない!」
ケンの事を馬鹿にしたワクシーとヘロドの事をアイが怒りを顕にして追いかけようとしていた
「ダメだよアイ!喧嘩したらダメってさっきも言ったでしょう!」
「ん?けどそんなルール決まってなかったよ?」
アイはケンのルール説明を一文一句、聞き逃がす事なく聞いており、喧嘩禁止のルールが無いことを分かっていた
「決まってなくでも出走するケンタウルスは喧嘩したらダメなの!」
(そんなの当たり前だと思っていたからルール説明には入れてなかったんだよ!)
「いいかいアイ、レース中に今みたいな挑発を受けても掛かっちゃダメだよ」
「掛かる?なにそれ?」
「えっーと、掛かるって言うのはようするに他のケンタウルスに挑発されたとしてもペースを乱したらダメって事だよ」
「ペースを乱さない・・?」
「そうだよペースが乱れたりしたらせっかくアイと立てた作戦が台無しになっちゃうからね」
「作戦が台無しに!・・分かった、アイ絶対に掛からない!」
「うん、信じているからねアイ」
・・・・・・
レース開始の時間になりコースに向かったアイと別れ、ケンが解説席に向かうとそこには用意されていた椅子に腰掛けたチェスターがレース開始を待っていた
「チェスター様、もう来ていたのですか?」
「ええ、これほどの数のケンタウルスがいっぺんに走るところはめったに見れませんからね」
レース開始が楽しみで待ちきれない様子のチェスターの言葉にケンは少し疑問に思う
「そうなんですか?チェスター様はお持ちのケンタウルスでレースをさせたりはしないのですか?」
「ケンタウルスはあくまで移動用、競走などをさせて怪我をさせるわけにはいきませんからね」
貴族が馬車を引くケンタウルスを大切にしている理由は、怪我等をさせてしまったら、それだけでケンタウルスの健康管理も出来ない3流貴族だと舐められてしまうからだ
当然、有力商人であるチェスターも貴族達に舐められないようにその点は気を付けているのである
「前にどちらのケンタウルスが速く走れるのかとライバルだった馬鹿な商人に挑まれた事がありましたが、その時は2頭を庭で競走させたくらいです・・もちろんその時は私のケンタウルスがぶっちぎりで勝ちましたけどね」
「そ、そうですか・・」
「それを8頭いっぺんに走らせようなんて・・くくく、聞いてた通り、面白え野郎だな・・」
(えっ、なに!?背筋に妙な寒気が!?)
1番最後のニヤリと笑った顔があまりにも怖く、ケンはすぐにこの場を立ち去りたくなったがそこはなんとか堪えていた
「けど、8頭でも多いんですね・・」
(本当は16頭で走らせようと思っていたんだけど、多すぎると走っている時にぶつかる危険性があるからってキャロさんに止められたからな)
「チェスター様はどのケンタウルスに賭けたんですか?」
「私が賭けたのは3番と6番に金貨10枚・・」
「金貨10枚ですか!?」
「7番に金貨30枚・・」
「さ、30・・」
「4番に金貨50枚」
「ワクシーに金貨50枚も!?」
「最後に8番に金貨100枚を賭けさせていただきました」
「・・へ、ヘロドに、金貨、ひ、ひゃく・・・・」
ケンはチェスターのあまりに破天荒な賭け方に啞然としてしまい、言葉を無くしていた
「4番と8番で迷ったんですけどね、パドックで4番の意気込みが強過ぎる気がしましたので8番に100枚にしておきましたよ」
「だ、だからってそんなに賭けたんじゃ、当っても元手が返ってこないんじゃ・・?」
「そうですね・・ですが、8番のケンタウルスが勝てば少なくとも2倍にはなりますからね、元手は戻ってくる計算ですよ」
ニヤリと口元を歪めるチェスター
(だからって金貨100枚も賭けるなんて、この人どんだけ金持ちなんだよ!)
「私が賭けなかったのは肉付が悪いケンタウルスと明らかに緊張してガチガチになっていたケンタウルスですね」
モノクルを動かしパドックでのケンタウルスの様子を思い出すチェスター
「アイには・・1番の女性ケンタウルスは賭けなかったんですか?」
「1番ですか、確かに肉付にも無駄がなく、緊張のない歩み、パドックの中でも一番状態は良かったですね」
「そうですよね!アイは無駄な肉がついてなくて、度胸も据わっているし、足たってトップスピードなら他のケンタウルスにも負けてませんよ!」
アイを褒められ、自分の事のように喜ぶケン
「ですが・・女性ケンタウルスである以上男性ケンタウルスには体力で勝てませんからね、たとえトップスピードでは勝てたとしてもゴールに着く頃には最下位になっているでしょう、それが私が1番に賭けなかった理由です」
チェスターの言ってる事は間違っていない、元々体力の少ないアイにとってレースで男性ケンタウルスに勝つのは不可能なのだ
「そうですか・・けどチェスター様・・」
「なんですか?」
「競馬はね、普通に速いのが勝つとは限らないんですよ」
そう自信満々に答えるケンの髪は強い南風に吹かれ、バサバサとなびいていた