1部2善 闇夜に湖
「一緒に寝ようゼンイチ」
珍しく甥が夜、自分の部屋にニコニコ笑顔でやって来た。
「パパとママと寝なくていいの?」
普段は親子3人で寝ているので抜け出してきたんじゃないかと不安はあった。もちろん自分が怒られてしまうのではないかという不安だ。
「大丈夫だよ、ゼンイチ。お兄さんと寝てきなさいって言われたから」
「そうか。じゃあ、こっちに来なさい」
ニコニコと答える甥に毒気を抜かれたのか、それとも怒られないと安心したのかピカピカな笑顔で甥を隣に寝せた。
「ゼンイチおやすみ」
「はい、おやすみ」
甥の眠りを妨げないように、カーテンを隙間なく閉め、ついていた灯りもすべて消し隣に小さな温もりを感じながら目を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、隣に人がいると緊張してしまう性分からか、早めに目が覚めた。甥はまだすやすやと幼い寝顔をさらしていた。
そっと布団から出ようとするも、ふとどこか懐かしい温かさを感じ、冷や汗が背中を伝った。恐る恐る毛布をめくると濃厚な硫黄臭と、ズボンに円形の枯れた湖の跡地があった。
「うっっっ……」
きついにおいとこの歳でやってしまったのかというかなしさに思わず涙が出そうになる。それでも幸せそうに眠る甥を起こさぬように、また、自分のなけなしのプライドを守るため、噂に聞く忍のような隠密技術を発揮しなんとか、部屋を抜け出した。
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「おはようございます。お兄さん」
が、洗面所にいく手前、丁度起きてきたのか弟の嫁さんが挨拶をしてきた。
「おっ、おはよう。嫁さん」
反射で振り返ってしまった勢いを後ろ足で加速させ一回転することで湖を晒すことを防いだ。
「どうしたんですか?あっ、そろそろオイを起こしにいってもらってもいいですか?昨日一緒に寝ていただいてありがとうございました」
首をかしげるも嫁さんはいつもの奇行かと思いスルーして息子を起こすことを頼んだ。
「いえいえ、じゃあ起こしてきますね」
話している間に濡れてる部分を引っ張りあげて上着を下に思いっきり伸ばして隠れるように細工をした。感づかれる前にそそくさと二階にある寝室に向かった。
「どうしたのかしらね?」
お尻が食い込むかのようにズボンをキツキツにはいている兄に思わず首をかしげる。
「?なんか、ここら辺におうわね」
ゼンイチがさっき立っていたところから嫌な臭いがしたがすぐなくなったので、気のせいだと思い朝食の準備のため台所に向かった。
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急いで寝室まで走り、部屋のなかで息を整えていた。
「危なかった…。俺の尊厳は守られた!」
思わず大きい声をあげてしまい、寝ていた甥が目を覚ます。
「ん……。おはよう。ゼンイチ」
半開きの目で甥は視線を辺りに飛ばす。
「おはよう。オイちゃん。さあ、朝だから下に降りようか。」
甥は毛布を勢いよく吹き飛ばしてそのまま飛び降りて難なく着地した。
「ん?なんか濡れてる。それにくさいよ」
ズボンを触りながら顔をしかめてゼンイチの顔を見た。
「ありゃ~オイちゃんやっちゃったね。取り合えず服脱いでお母さんのところにいってきな」
甥に下にいくよう言って、早速布団カバーを洗えるように外していく。
「ママ~。漏らしちゃったよ~」
大きい声で漏らしたことを宣言しながら降りていく勇者の声を聞きながら思わず笑みをこぼす。
「俺が漏らすわけないしな。いや~冷や冷やしたよ」
鼻歌まで歌いそうな勢いで洗えるように布団を風呂に持っていく。
「まぁ、実際ズボンは冷たいけどね」
尊厳が守られただけであり、特に良いことがあったわけではなく、ましてや布団をびちゃびちゃにされたのにも関わらず彼は自分の幸福?を噛み締めながら布団を洗った。
その後、普段よりも若干幸がありそうな顔をしながら朝食を食べるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝食後、また二人だけになり、甥にオムツをはかせたり、濡れた布団一式をほしたりして、家族が帰ってくるまで暇を潰していた。
「「ただいま」」
今日は珍しく四人揃って帰ってきたので、そのまま夕食となった。
「そういえば、洗面所に洗濯物溜まっていたので、私が後でやっておきますね。いつもやっていただいてますし」
そういえばすっかり忘れていたなと、申し訳ないと思いつつもお願いすることにした。してもらうだけでは悪いと思い、食器洗いのために台所に向かった。
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「ちょっと、お兄さん!」
二階で椅子の修理をしていると、嫁さんに呼ばれた。
手を止め、何かあったかなと記憶を探りながら嫁さんがいるであろう洗面所にいくと、目を細めてこちらを睨み付ける女性がいた。
その手には見覚えのある染み付きズボンが握られていた。慌ててそれをとろうとすると、腕をあげてかわされゴミを見るような目で見られた。
「見覚えがあるんですね。これはなんですか?」
これが最終確認だと悟って、あくまで平静を装った。
「これは誤解なんです。オイちゃんが『あくまで言い訳ですか、見損ないましたよ。これ、ご自分で洗っておいてくださいね!』」
捲し立てるように弁明を遮られるが、これ以上いっても聞かないだろうと泣く泣くズボンを受け取って風呂場で洗った。
よく考えれば、甥が隣で漏らしたのが原因で自分の股が濡れてるのはおかしいといまさら気付いた。
情けなさすぎる自分の蛇口を思わずフルスイングで殴ってしまい、「うっっっ…」と呻きながらいらぬ余韻をあじわうことになってしまった。
それでも、悲しみは晴れなかった。
「そうか、俺も漏らしていたのか…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ゼンイチ!今日も一緒に寝よ」
わんぱくな甥が既視感を覚える台詞とともに現れた。
「ママとパパとい『いいの!早くねよーよ』」
相変わらずの甥に呆れつつ肩を落としながら乾ききってない布団に入った。
香る生乾き臭に顔をしかめながら毛布をかけた。
「ゼンイチ!歌聞きたい」
まだ眠れないのか、甥が体を揺らしながら子守唄をねだった。
しょうがないなと気付かれない程度のため息をはいて、甥の頭を撫でながら歌う。
「陽にめぐまれた 森林地帯
夜に揺れるは 黒い木々
雨が降らぬ 枯れた地は
寂しげに反射 第二の太陽…」
下手とも上手とも取れない子供の頃に父親がよく聞かせてくれた歌を優しい声で歌ってると甥は既に寝息をたてていた。
意図せず社会的に追い詰める天真爛漫さが鳴りを潜め無防備な幼い弟譲りのきれいな顔を見ながら、穏やかな気持ちで目を閉じた。
「布団からゼンイチのにおいする」
やはり、甥は甥だったようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
寝返りをうまくうてなかったのか、静まり返った夜中、目を覚ました。
体の上に重みを感じたため見てみると、甥がうつ伏せでお腹の上で寝ていた。
「すごい寝相だな」
驚きながらも甥を隣に静かに動かし、自分もまた寝ようと目を閉じかけたとき、はっと気づいた。
甥は昨日も寝ながらお腹の上に来て、そこで漏らしたのだと。だから、自分の股も濡れてしまったのだと。やはり、漏らしてなんかいないんだと!
それでも、今からそれを家族に説明するのは何処か情けなく感じたため、全て飲み込んでしまうような闇夜に真実を溶かすことにした。
本日も読んでいただきありがとうございました。
次の更新は明日の18:00です。
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