回想
プロローグ
私は雑踏を掻き分け、駅のホームを進み、停車していた寝台車に飛び乗った。
空席が目立つ車内で腰を下ろし、本を開く。何度も何度も繰り返し読んでヨレてしまった文庫本はほんの少し埃の匂いがした。
「君は横田くんじゃないか」
唐突に声をかけられ、顔を上げた。前に立っているのがアパートの隣人だとわかった。普段よく立ち話をするわけでもなく、たまに挨拶をする程度であって、すぐには彼とは分からなかった。「斎藤さん?」
ここは寝台車、車内は混雑しているわけでもなく、人がまばらに座っているだけ。当然とばかりに斎藤は私の横へ座った。
「まさかこんなところであうだなんて、不思議な縁ですね。」私は言う。
「えぇ普段近くに住んでるからってわざわざこんな場所でも一緒にならなくて良いのに。」
斎藤は静かに微笑んだ。彼の手の指輪は車外の光を反射し、明るく瞬いた。
隣人と言っても私達は互いのことをよく知っているわけではない。彼が結婚していたことを私は知らなかった。「あぁ僕婚約したんですよ二年付き合った彼女と」斎藤はぼんやりと呟き、遠くを眺めていた。
「それは残念ですね」
「えぇ残念です。とても。とてもね。」彼はただ呟いた。
車両は右へ傾き、速度が増していく。走行音は高くなり、甲高い音を鳴らした。私達は死んでいる。
それが失火なのか放火なのかはわからなかった。気づいたら周りを火に囲まれていたのだ。最後に何を思ったかも覚えていない。もしかしたら何かを思う暇もなかったかもしれない。
まだ列車は走り始めたばかり、終点は未だ遠い。