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下賜姫は恥じています

エレノア視点です。

 食後に自室で休んでいると、ほどなくして図書室に案内してもらえる事になった。

うれしくなって廊下へ出ると、カルロス様が待っている。

その後ろには当たり前のようにクルスが控えている。

「さぁ、エレノア。行こうか。」

差し出される手にそっと手を重ねると、流れるような動作で自然に腕を組むように促されカルロス様の隣に並んだ。

クルスの先導で屋敷を歩く。

私はだんだんと熱の集まる頬をどうすることもできなくて、半歩下がるとわずかにうつむいて歩いた。

促されるままカルロス様の腕をとったが、男性と腕を組んで歩くことなど、数えるほどしか経験していない。

その数えるほどの経験だって、まだ元気だった曾祖父と庭を散歩した時や、社交界デビューで祖父に連れられて歩いた時や、その後の夜会で従兄弟にエスコートしてもらった時のことだ。

つまり、親族以外の男性と腕を組むだなんて覚えている限り初めてなのだ。

屋敷の中のたった数分の事なのに、心臓はバクバクと飛び出しそうに音を立てているし、カルロス様に預けている手が不自然に震えてしまいそうだった。

「ここだよ。」

そんな私の内心を知る由もなく、穏やかな雰囲気を崩さないカルロス様は立ち止まってこちらを振り返った。

顔を上げると、目の前に重厚感のある扉があった。

ここだけ他の部屋と違い布張りの扉になっている。

クルスが扉を開いてくれると、一拍遅れて廊下よりも少しだけ冷たい空気が私のほほを撫でる。

埃っぽいような薄暗い空気の中に大好きなインクの匂いが満ちていた。

「まぁ。」

思わず感嘆の声が出てしまうくらい、正に図書室というにふさわしい部屋だった。

天井までの背の高い本棚が整然と並んでいるが、その本棚一つ一つにきっちりと本が詰められている。

目を見開いたまま固まってしまった私の背中をカルロス様の掌がそっと押す。

それに励まされるように部屋に入り、辺りをゆっくり見回す。

素晴らしい蔵書数だ。

いくら伯爵家でも、好きでなければこれだけの本を集めたりはしないだろう。

私が部屋の様子に感動している間に、クルスがカーテンと窓を開き、新しい空気を部屋に招いていた。

強くも弱くも無い風が部屋を駆け抜けて、埃っぽさが軽くなったように思う。

「さぁ、好きに見ると良い。」

カルロス様の声に私は大きくうなずいた。


 たくさんの本は本棚ごとにジャンル分けされていた。

歴史、地理、哲学や算術など一般教養を身に着けるための本が多い。

私は物語の本が並んだエリアを見つけると、背表紙をゆっくりなぞりながら見つめた。

本の中でも娯楽小説をよく読む。

歴史や推理といったものよりも人生や恋愛を描いたものが好きで、何か贈り物をしてくれるという人には必ずそういった小説本をねだる。

アディソン家の図書室には私が親しんでいるような恋愛小説は少なく、あっても古典か、一昔前のものばかりだ。

古典と言われるほど古めかしい小説を読むのは根気がいるが、それも好きだった。

チラリと読むと言葉の使い方や表現が難しくピンとこないことも多いが、じっくりと読み進めると当時の生活や物の見方が垣間見え、時代をさかのぼっているかのような感覚を得られる。

私は数冊の本をパラパラと開いてみて、部屋に持ち帰る一冊を決めた。

そのタイミングで別の棚を見ていたカルロス様がひょっこりと顔を出し、何を読むのかと尋ねる。

「今日はこちらを借りていこうかと思います。」

そう言って表紙を見せるとカルロス様は目を細めて肯いた。

「エレノアは小説が好きなのかい?」

「はい。特に人間関係をテーマにした物語ならいくらでも読んでいられますわ。カルロス様はどんなものをお読みになられるのですか?」

「私は歴史が好きだよ。」

そう言って手に持っていた本を差し出す。

『王都建設の歩み』という題名の分厚い本だった。

「とっても難しそうですわ。」

「じっくり読むとそうでもないさ。歴史を学ぶと今の問題を解決するヒントが得られる。」

「……私も歴史も読んで学んだ方がよろしいでしょうか?」

心配になってそう聞くと、カルロス様はわっはっはと笑った。

「そう難しく考えることも無いさ。興味の無い物を無理して読むより、自分が楽しいと思うものを読めばいいよ。」

勉強を強要されなさそうな事にほっとしたのもつかの間、

「ここには最新の小説などは入っていないからね、エレノア好みの新書も、取り寄せる事にしよう。なぁ、クルス。」

そうカルロス様が話を振ると今まで黙って控えていた執事がお言葉ですがと返事をした。

「アディソン伯爵夫人たるお方が、歴史への理解が無いなどというのはいかがなものかと……。」

「クルス……。」

そのクルスの返事にカルロス様は驚き、そしてたしなめる様に低い声で名前を呼んだ。

「出過ぎたことを申しました。しかしながら、社交が始まる秋までには伯爵夫人に足る知識を備えませんと、奥様がお困りになるのではと杞憂いたしました。」

「言い方というのがあるだろう。すまないエレノア、クルスは少し偏屈なところが……」

カルロス様の言葉に私は小さく首を横に振った。

考えの足りない自分が嫌になる。

今までは自分の好きな事だけしていればよかったけれど、これからはそうはいかない。

伯爵夫人の無知は伯爵家の恥になる。

そんな簡単な事にも頭が回らなかった自分が恥ずかしくなる。

「私が無知であれば、カルロス様にご迷惑がかかるのですよね?」

「いや、それは……。」

「私頑張ります。今は苦手でも少しずつ勉強すれば秋までには……」

私の決意の言葉をカルロス様は苦笑いで止めた。

「そんなに必死にならなくとも、社交界には無理に出ずとも良いのだから。」

「えっ……?」

「昨年まで一人で出ていたのだ、今年だって一人で出たってかまわない。だからそんなに気負うことはないよ。」

優し気に微笑んだカルロス様の言葉に私は雷で撃たれたような衝撃を受けた。

社交界というのは結婚しているのなら、夫婦で参加することが当たり前の場所だ。

どんなに夫婦仲が悪かろうと、互いに公然の愛人が居ようと、貴族家として社交場に出る時は夫婦が一緒に出るものなのだ。

それに来なくて良いと言われることは妻じゃないと言われたも同然で、妻とは認めないと宣言されたようなものだった。

とても耐えられそうになかった。

私はせり上がってくる涙をこぼさないように目を見開いて、左様にございますかと返事をした。

「そろそろお部屋に戻ります。」

口の中でそうつぶやいてからカルロス様に一礼し、ほとんど走るように廊下に出た。

慌てたようなカルロス様の声が聞こえるが、振り返れるはずもない。

図書室を出たと同時に涙があふれて頬を濡らしていた。

胸に抱えた本に顔をうずめるようにして、私は自室に戻った。

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