魔女の怪我と人間の憤慨
「なぁ、おい。」
「何ですか。」
魔女の頭を丁寧に一房一房洗いながら、男は返事を返す。
その行為をやめて、今すぐ風呂場から出ていこうとしないことに魔女は息を吐いた。
なぜこうなったかと言うと、ことの始まりは魔女が魔法でゴーレムを使った実験のせいであった。
確かにきっちり洗わなければ、まだ髪の中には泥が潜んでいるかもしれない。
だが、やけに丁寧に洗いすぎではないかと魔女は疑う。
それに何より、視線の先が髪ではない気がする。
「さっきからどこ見てるの?」
「髪ですが。」
「嘘つくなイチ。目線が違うぞ。」
魔女は軽く振り向くとその目線の先を追った。
その場所に到達すると、魔女は水飛沫が上がる勢いで胸元を両手で隠した。
「どこ見てるんだイチ!破廉恥だぞ!」
「見てません。」
「嘘をつけ!私の豊満な胸を見ていただろ!」
「見てません。」
「見、て、ま、し、た!」
「見てません。興味もありません。」
「なんだとおぅ失礼な!見ろよイチ!」
「どっちなんですか。」
今度は、ザブンと風呂から身体を出して両手をばっと広げた。
確かに一般としては豊満な胸が軽く揺れる。
どうだ!っと胸を張る魔女を、頭のてっぺんから爪先までざっと見ると、男は息を吐いてそばに置いてあったタオルを魔女に投げた。
「興味ありません。」
「おいぃぃ!いぃぃちぃぃ!」
スタスタと振り向きもせずに風呂場を後にした男は、魔女が着るであろう服と、先程まで着ていた服を見比べた。
彼女の着る服は決まっている。
白の服に黒のパンツ。
デザインもサイズも、すべて一から手掛けている男は、少しの汚れやほつれでも気がつく。
今回のように、服が大きく破れた場合が例外になることはない。
さっき見た限りで傷はなかった。
魔女ならすぐに治ってしまうのだろうが、血痕もない。
おそらく、何者かが服を引っ張り破れたことで魔女を守るゴーレムが反応し、慌ててそれを破壊して泥まみれ。
それが男が推察したここまでの出来事だ。
「(まだあの人に手を出す馬鹿がいるのか……。)」
男はその事実に奥歯を噛み締めると、破れた服を手に今度こそ脱衣所を出ていく。
ここ二、三百年で東の魔女は改心したともっぱらの噂だった。
故に、東の魔女は便利な薬師、医師として親しまれたり、強い魔獣を追い払う手伝いをしたりと、いい魔女として活動している。
以前の最悪とは打って変わって、人間といい関係を気づいていた。
それもそのはず、二、三百年前とは別人の魔女なのだから。
前の魔女を気まぐれにも倒してしまった魔女は、そのまま新しい東の魔女として君臨してしまったのです。
その後も魔王倒したり、龍と渡り合ったりうんぬんかんぬん。
「(東にあの人がいなければ、ここに住む人間は皆無事ではすんでいないのに。)」
魔女は、実を言うと何度も東地域一帯を救っていた。
その様々な脅威は、時には全世界を巻き込むほどだった。
それをいつも魔女が解決していたのだ。
それを能力あるものの定めだと魔女は受け入れているが、人間が感謝していないのは別の話だと男は思っている。
これは魔女への同情や哀れみではない、同じ人間として恥ずかしいと言う思いだ。
そもそも魔女は、人間のことなど意に返していない。
自分がしたいからしている。
「(あの人にとって、人間はちっぽけな存在にすぎない。)」
握りしめていた拳に気がつき、ゆっくりと力を緩める。
今から近隣の村にいけば、泥まみれを手がかりに犯人を探せるかもしれない。
夕食まで時間は十分にある。
「なんだ今日は暇なのか?」
着替え終えた魔女が、首をかしげてたっていた。
いつも世話しなくあれやこれやとやっている男が、珍しいらしい。
「夕食の買い出しに行ってきます」
「そうなのか?なら、いつものケーキも買ってきてくれ。三時までに頼むぞ」
夕飯食べられなくなるからなと、笑うと濡れた髪のまま自室の方に歩いていった。
まるで見透かしたように歪められた口元は、男の見間違いではない。
「(読めない人なのに、人の心はお見通しだな……。)」
「読んでるんじゃなくて、お前が分かりやすいんだ。」
振り向きもせずにそう言うと、今度こそ自室の方へ歩いていってしまった。
自分よりずいぶん小さくなった背を眺めて、静かに息を吐く。
救っても傷つけられ、無干渉でも揶揄され。
どれほど男が成長しようと、周りからの魔女への攻撃が男を苛立たせた。
村の厄介者であった男は、魔女に拾われた頃よりはるかに成長している。
人も、魔物も、魔族も、たいていの敵は返り討ちにできるよう鍛練に鍛練を重ねた。
だが、以前魔女の言った復讐とやらに、男は今でも興味を持っていない。
やり遂げたいことはただ一つ。
「(人も、魔物も、魔族も、誰も彼女を傷つけない日々を……。)」
男は魔女の安息への第一歩に、買い出しへと出掛けていった。