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エメラルドの姫君  作者: 宮瀬ひさな
本編
2/3

メルディアの前世

「ふう……」

 深く息を吸って吐いたあと、後ろの方を振り返った。

 窓から見える学園から遠くに建つ時計塔の針は、もうすぐ九時をさそうとしている。

 なかなか進まない時間の流れに嫌気がさし、またため息をつく。手に持ったグラスを回すと、残ったジュースを一息で飲んだ。



 もし前世で縁があった誰かとめぐり逢えたなら、それはこの世でもっとも美しい奇跡と言えるだろう――。

 いつ読んだか覚えていない、ずっと昔に読んだ小説。屋敷の本棚にあった、ひどく哀しい物語。

 母親や使用人に読み聞かせてもらったわけではなく、毎晩難しい文面と睨み合っていた。

 タイトルや結末はおぼろげな記憶の中にあるものの、メルディアはその一節を鮮明に覚えている。


(あなたは今、どこで何をしているの?)


 誰にも聞かれないよう、口に出すことなく問いかける。

 当然メルディアの問いに答えが返ってくるはずもなく、周囲のパーティーを楽しんでいる音だけが耳に届いた。





**********





 ――これからは、二人で幸せになろう。

 ありきたりな言葉で、彼はメルディアを愛すると誓ってくれた。そしてメルディアも、彼を愛すると誓った。

 これからは彼といっしょにいられる。そう考えただけで、胸がいっぱいになった。

 だが―――これからと言う未来を、迎えることができなかった。

 挙式で着るウェディングドレスはどれにしよう、あの人も式に招こう。

 幸せな未来の一歩を、進もうとしていた矢先のことだった。





「今日もいい天気ね。おかげで洗濯物もすぐに乾くわ」


 よく晴れた、昼下がりの頃。

 白い小さな家の住人であるアリシア――後世にメルディアとなる女性が、鼻歌交じりに乾いた洗濯物を取り入れていた。

 容姿も声もまったく違う、メルディアであり、そうでない女性。

 物干し竿に吊り下げられ、風に煽られている白いシャツを手に取った。女性が着るには少し大きいサイズのものだ。

 躊躇ったが周囲に誰もいないことを確認して、布の一部を顔に近づける。

 軽く息を吸うと、石鹸のにおいとともに愛しい人のにおいが鼻をくすぐった。


「ん~……幸せ」


 目をつぶると、まるで愛する人が近くにいるような心地がする。もう少しこのまま――というように目を閉じていたが、すぐに目を開けて顔を離した。


「やだ私、なんて恥ずかしいことを……!」


 一連の行動を思い出し、真っ赤になった顔を両手で覆う。

 彼に見られていたら、きっと笑われたことだろう。


「照れてる場合じゃない! 今夜はお義父様とお義母様がいらっしゃるんだから!」


 結婚前の最後の挨拶ということで、仕事帰りの彼とその両親が一緒に家に来ることになっている。夕食をともにするということで、いつもよりも早く支度しなければならない。

 今は一秒たりとも時間を無駄にできない。


「これで……最後ね。よし、洗濯終わり!」


 バスケットに入った衣類を見下ろすと、満足げに頷いた。取り込んだ洗濯物を丁寧に畳み、もとにあった場所にしまう。


 そこからは大忙しだった。

 いつもよりも多めにシチューを作り、四人分の食器を洗う。部屋の掃除も隅々まで念入りに、塵一つないように。

 (スペンサー)と義両親が家に家に着いた頃には、アリシアはくたくただった。


「アリシアちゃんのシチューはおいしいわねぇ」


「スペンサーのお嫁さんがきみでよかったよ」


 スペンサーと義両親が家に着いたのは夕食の用意がちょうどできたところだった。木製のテーブルを隔て、アリシアが作ったシチューを褒めた。


「そうだろう。アリシアが作った料理はどれもおいしいんだ」


 愛する恋人を褒められ、嬉しそうにスペンサーが答えた。


「ええ、スペンサーにはもったいないくらいだわ。アリシアちゃん、あたしにこのシチューの作り方教えてくれない?」


 スペンサーの母の冗談に、スペンサーとその父が笑う。だがアリシアだけは、その冗談に笑えなかった。


「どうしたんだい? 顔色悪いよ」


 少し俯いたアリシアを、心配そうにスペンサーが隣から尋ねた。スペンサーが言った通り、アリシアの顔は少し青ざめている。


「なんか……シチューもサラダも、味がしないの」


 か細い声で答えたアリシアを見て、三人は顔を見合わせた。


「それはきっと疲れてるんじゃないかな。休んだ方がいい」


 義父の提案に、義母も賛成だと頷く。


「片づけはあたしとスペンサーでしとくから、心配しなくていいよ。もうすぐ結婚式があるんだから、体調を崩すのはよくないわ」


「でも、それではお義母様に迷惑が……」


 それでも申し訳ないからと引き下がらないアリシアに、スペンサーは首を横に振った。


「迷惑じゃないよ。むしろ、きみの体調が悪化する方が心配になる」


「……わかった。お義父様、お義母様、今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます。それじゃあ……おやすみなさい」


 ふらつく体をスペンサーに支えてもらいながら、アリシアは寝室に戻った。そんなに疲れていたのかと自分でも驚いた。



 ただ今思えば、これが前兆だったのかもしれない。

 そのあと原因不明の高熱にうなされ、アリシアが息を引き取ったのは、二週間後のことだった。

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