戦争と俺は私用
「実物を使っての訓練は禁じられている。知っているな?」
「あくまで訓練の話だよな」
ケビンは飄々とこたえた。
「俺はそんなものをしているつもりはないんでね」
ナオコの手からナイフが抜き取られ、突き飛ばされた。よろめいて壁際によった彼女を、ギャラリーたちが受け止める。
金属がかみ合う音が部屋に響きわたった。山田がケビンの刃を受けている。
「……もとからこのつもりか」
「そうとも。あんた、直接の果し合いなんてしたこたねぇだろ? ならっ」
ケビンは空いた左手で山田の胸倉を引き寄せた。
「エサをまくしかねえよな?」
瞳を爛々とさせる獣のような男を、山田は苦々し気に見つめた。
「おい中村!」と、ケビンがほえる。
「は、はい!?」ナオコは目を白黒させながら、反射的にこたえた。
「ロシア人はこうする!」と叫ぶと同時に、切っ先が鋭く山田の胸元をねらう。
全員が息をのんだが、彼は身をひるがえして切っ先をかわし、獲物を奪い取ろうとした。
「さすがブージャムだな」とケビンが笑うと、山田の目が驚きに見ひらかれた。
「聞いたぜ。俺たちだって馬鹿じゃねえ……まじで化物だったとは思ってなかったが」
攻撃をつづけながら、彼は話しつづけた。
「なぜ黙ってたんだ? 隠しとくのがカッコいいとでも思ってたか? あの〈虚像〉がアンタを呼んだとき、なにを考えていた?」
だんだんと熱のこもっていく攻撃を、山田はただ受けつづけるだけだった。
「ぶーじゃむ?」と、ナオコの背後でだれかがいぶかしげにつぶやいた。
「なんの話をしてるんだ、あいつら」
ナオコは彼らを止めなければと思っていたが、攻撃は激しく、つけ入る隙はなかった。
「なあ、おまえとケビンで喧嘩してたんじゃなかったのか?」と、話しかけられたが、返す言葉がない。判明しているのは、ケビンが山田と戦うために自分をダシに使ったらしいことのみだ。
「特段隠してはいない」
山田は攻撃をうけながら、そう話した。
「ただ俺たちがそうであることは、おまえたちに関係ないことだ」
「ああ、そうだとも。これまではな」
ケビンは執拗に攻撃をくりかえす。
「アンタのそれ、誰に教えてもらったんだよ?」
山田は右から飛来した刃をかわしながら、目をほそめた。たいするケビンは、好戦的に口角をあげ「グリーンベレーかどっかの訓練受けたみたいな動きだぜ」と言った。
「……あてずっぽうでものを言うなよ」
ケビンの腕を山田がつかむ。にらみあう二人のあいだで、ナイフが悲鳴をあげる。
「あたりか? マニアなもんでな」
ケビンは嘲るように言葉をつづける。
「まあ、どうでもいいんだ、そんなこと。アンタがブージャムだろうが、特殊作戦部隊に関わりがあろうが、どうでもいい」
山田がケビンを投げとばした。巨体が宙に浮かぶ。特に抵抗しなかった彼の顔面に、してやったりと言いそうな笑顔がうかぶ。
落下する手が、山田の襟首をつかんだ。
ケビンは勢いを利用して、山田を床にたたきつけた。くぐもったうめき声に、部屋にいた全員が息をのんだ。山田が一本取られるとは、だれも思っていなかったのだ。
「気に食わねえのはな、アンタがそういうつまらねえ顔で戦うことだ。力があるのに振るおうとしない」
山田の首元に刃が突きつけられた。
「なあ、生まれつき強いやつに分かるのか? 俺たちは全部を投げ出さなきゃ、力が手に入らないんだ。アンタみたいに余裕ぶった顔をする方法を教えてくれよ。そうすれば、冷静にすべてをこなすことができるのか?」
ケビンは真剣な表情でたずねた。床に倒れていた山田が、今しがたなにかに目覚めたかのように、ケビンをぎろりとにらんだ。そして左手で、首元にかかげられた刃を握った。
ナオコは小さな悲鳴をあげた。
「……生まれつき強い?」
床に血が垂れるのもかまわず、彼は独り言のようにつぶやいた。瞳孔が開いて、虹彩がにじんだ。
「おまえはなにも分かっていない」
生唾を飲みこむ時間さえなく、ギャラリーの目の前でケビンの身体が吹っ飛んだ。山田は野生の動物が命を懸けて攻撃するように、怒涛の勢いでケビンの腕をつかみ、近くの壁に叩きつけた。部屋全体が揺れた。全員が凍りついた。
山田は先ほどの仕返しとばかりに、ナイフをぐったりした彼の横に突き立てた。左手から血がしたたり落ちている。
ナオコは山田の様子がおかしいことに気づいた。右手が胸元をつかんでいる。
「もし本当にそうだったならば、新藤は死んでいない」と、山田は悲痛さを押し殺して言った。
「だがアンタは、俺たちよりもずっと優秀な遺伝子を持っているんだろ?」と、ケビンがむせながら言った。
「どういう気分なんだ? 馬鹿な人間だって思うのか? 中村をかばったときも、弱くて小さな人間ちゃんを守ってやろうって気分だったのか?」
ケビンは挑発の言葉を止めなかった。
「なあ、俺はアンタが死にもの狂いで鍛えてきたモンだとてっきりカン違いしていたぜ。本社の〈芋虫〉は幼いころからキャリアを積むんだろ。それこそ映画のなかみたいな命がけの訓練のたまものなんだろうってな。だが現実はどうだ? あんたは、たんに自分の産まれにおごっているだけの化物だった」
山田は口をはさまなかった。その顔には、どんな表情もよぎらなかった。ただナオコだけは、つぶさに彼の様子を観察していた。なにかがおかしい気がしたのだ。
ケビンは、彼のやりきれない憎しみそのものを向けるかのように、刃先を山田へと突きだした。
「あわれな俺たちにも分かるように教えろよ。あんたはなんだ? なにを考えている?」
ナオコは違和感の正体に気付いて、真っ青になった。山田のシャツの下に、首を這う灰色の文様が見えた。
「話せよ、化物だとしても立派な口がついてんだろうが」
山田はなぜか拍子をつかれたような顔をした。
ナオコは意を決して飛びだした。「おい中村! やめとけ」と、後ろから伸びてきた手を振りはらう。
腕をつかんで「山田さん!」と呼ぶ。彼女は、その無表情に苦痛の色をみると、もう耐えられなくなった。