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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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俺と戦争をしよう


 ケビンが元気になって良かった、とナオコは考えていた。あの病院での会話を通して、彼とのあいだにあった気まずさは解消されていた。

 ただ一つ懸念だったのは、彼が放った「見てろよ」の一言だった。なにかを企んでいる気がした。


 気を揉みながらすごしていたのだが、数日たっても 彼の様子におかしなところはなかったので、ナオコは心配しすぎだったか、と胸をなでおろした。




 その週の金曜日、宿直だったナオコとケビンは一仕事を終えると本社へ帰ってきた。

 これまでだったら、玄関口で別れていたのだが、ケビンが「トレセン行かねえ?」と誘ってきた。


「ひさしぶりに組手しようぜ」


 ナオコは非常に驚いたが「もちろん!」と喜んだ。


「システマの復習? いちおう基礎トレーニングは続けているけど」


「いや」ケビンは笑った。

「今日はちっと面白いことやろうぜ」


 彼の物言いに違和感を感じた。しかしこうやって誘ってくれるだけでも進歩だと思い、彼女は意気揚々とうなずいた。

 報告書を書きあげてから、トレーニングルームへ向かった。

 MR室では仕事を終えた四、五人の〈芋虫〉たちが訓練をしていた。

 ナオコに気付いた一人が「中村おつかれ」と声をかける。それに応えてから、一足先に来ていたケビンを探す。彼は部屋の端にしゃがみ、なにやら準備をしていた。


「MR使うの?」


「うんにゃ」と彼は首を横にふった。


 彼はリュックから頑強そうなガンケースを取りだし、開けた。大小さまざまな箱が収まっている。同じ大きさの細長い箱を二つ掴む。


「今日はこれ、使うぞ」


 ナオコに箱が手渡された。フタをあけて青ざめる。ケビンかガキ大将のような笑みをつくる。


「……ちょっと待って」


 それはナイフだった。刃渡りは短いが、銀色の刀身はぎらぎらと光り、使いこまれていたのかグリップの文字はかすれている。


「これ、本物じゃ」


「そうだが? にせもの使ってもなんの意味もねえだろ……ああ、俺がアメリカで使ってたやつだが、銃刀法はクリアしているから安心しろよ」


「そんなこと心配してないけど!?」


 ナオコは慌てふためきながら、壁際のロッカーを指さした。


「レプリカを使おうよ! なんのために用意されていると思ってるの? 訓練で怪我しないようにでしょ」


 ケビンはしらけた顔をした。


「そりゃ銃なんかはモノホン使ったら御用だが、ナイフは大丈夫だろ」


「いや、大丈夫じゃないから! ケビン、わたしのこと殺すつもりでしょ!」


 勢いあまったナオコがそう叫ぶと、彼は口を真一文字に結んだ。そして、狂暴な笑顔をうかべて立ち上がる。


「そうだっつったら?」


「え?」


 ナオコは飛びのいた。足元にナイフが突き刺さっていた。とっさに避けなければ、つま先を貫いていた。心臓がばくばくと鳴っている。


「……見ていてむかつくんだよな、中村って。お人よしぶってよ、そのくせ由紀恵のことはすぐに忘れちまってさ。とんだ偽善者だ」


 ケビンはゆっくりと腰をかがめ、ナイフを床から引き抜いた。


「ケビン……?」


 彼は顔面蒼白のナオコをみとめると、ひとつうなずいてからウィンクをした。まかせとけ、と口元が動く。彼女はよけいに混乱した。どうやら本気ではないようだ。

 ケビンは息を大きく吸いこむと「中村、覚悟しろ!」と大げさに叫んだ。訓練に励んでいた〈芋虫〉たちが驚いてふりかえった。

 彼が駆け寄ってきたので、ナオコはあわててナイフを構えて、床にころがった。


「俺たちは由紀恵を助けられなかった!」


 ケビンが大声で言う。


「俺たちが生きていていい理由はねえんだよ! みんな死ぬべきだ!」


 彼の背中側にまわって体制を整える。振り向きざまに切っ先をを受ける。刃と刃が重なり、ぎりりと音をたてた。

「どういうつもりなの?」と彼女がたずねると「ちぃと待てよ」と、ケビンがかすかな声でささやいた。


 刃が弾かれる。距離があいて、彼がこちらをにらむ振りをした。視界のすみでギャラリーができているのが確認できた。騒ぎを聞きつけてきたらしい。

「なにしてんだ、あいつら」「相浦がご乱心だよ」「おい、ブツ持ってんぞ」と、ざわめきが聞こえる。ケビンは彼らをちらりと見て、再びナオコに肉薄してきた。刃が腕をかすめた。悲鳴を唇をかみしめてこらえる。


「はっ、防戦一方か?」


 彼は嘲笑するようにナイフを突きだした。


「だからいつまでたっても甘ちゃんなんだよ!」


 彼が本気でないことは分かった。しかし、その目の色は興奮と冷静のあいだを行ったり来たりしている。

 ナオコはナイフを逆手に持ち直すと、彼のふところにもぐりこんだ。柄であごを狙う。ギャラリーがどよめいた。


「だれが甘ちゃんだって!?」


 ケビンはすんでのところであごを引くと、楽しそうな笑い声をあげた。


「やるじゃねえか!」


 ケビンが後ろに倒れる勢いのまま宙返りをした。床が揺れる。巨体をかがめ、低いところからナオコの足を蹴り飛ばす。

 ナオコの視界がかたむいた。どうにか姿勢を保とうとしたところで、背中にだれかの腕がまわる。


 部屋が静まりかえった。ナオコは目をぱちぱちとさせた。信じられない状況になっていた。

 ケビンが思惑通りと言いたげな満足気な表情をして「よう、ヒーロー」と気取ったセリフを吐いた。


「……どういうつもりだ」


 山田はグリップごと握ったケビンの手を離すと、ナオコを抱えて立ち上がった。その横顔は冷静そのものだったが、ナオコがぞっとしてしまうほどの怒りが見えた。


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