直線の男とへにょへにょ女
「んだよ、人がせっかく……」
ケビンが文句を言いかけた。
「ねえ、どうすればいい?」
ナオコが身を乗り出し、真剣な面差しをする。
「わたしさ、どうすればいいと思う?」
「はあ?」
「もうね、ぜんぜん分からないの。自分がなにを考えているかすら分からない。山田さんのことがいつのまにか好きだったし、でも彼氏のことも好きな気がするし」
「なんだよ、気がするって」
「……気がするんだよ」
ナオコはしゅんとした。
「ケビンはさ、いつも一直線じゃない。ずーっと由紀恵さんばっかり見てさ」
「見てねぇよ」と怒り口調で言われる。照れているのだ。
「見てたよ。〈芋虫〉でケビンが由紀恵さんのこと好きだって知らない人、いなかったもん」
「え、そうなのか」彼は愕然とした。
「でもね、わたし、フラフラしちゃうんだよね。どちらも大切だし、でも山田さんのことばっかり考えちゃうし……どうすればいいのかサッパリで」
ナオコは情けない自分自身に肩を落としていた。
「25にもなってなにを言っているのかって思うけどさ、ケビンはなんで由紀恵さんが好きだって分かったの?」
彼は困惑したように「そりゃ、好きは好きだろ」と答える。
「だから、その好きってなに?」
「こう、胸が苦しくなるっつーか、きゅんとするっつーか」
そこまで話して、彼はなにを言わせるんだとばかりに彼女をにらみつけた。
「第一な、そういうのは言葉にできるもんじゃねえだろ。彼氏がいるのに山田が好きだと思うんなら、それは山田のほうが好きなんじゃねぇの?」
「……そうなのかなあ」
ケビンは煮え切らない様子の彼女に、心底うっとうしそうな視線をむけた。しかしこれで面倒見が良いのが彼で、目をぐるりと回すと「あのよ」とベンチにすわりなおした。
「俺が思うにだ。おまえは良いやつだが、いかんせん日本人的すぎる。だれかを傷つけたり押しのけたりできなさすぎるんだよ」
ナオコは「そんなに買いかぶってもらっても……」と唇をすぼめた。
「ほめてねぇよ。傷つけられないってことは、なにかを選べないってことだ。選ぶっつーことはなにかを犠牲にしなきゃならねえ。人にしろ、モノにしろ、自分の意志がないのと一緒だ」
ついこのあいだリリーにも似たようなことを言われた、と思いだす。
「そうかも」
ナオコはしょんぼりしてしまった。言う通りだと思った。
「そうだろ? その彼氏と山田で迷うんなら、どちらかに決めねぇとダメだ。それか、決めねぇことを決めないとダメだな。ま、そっちはオススメしねえが」
二兎を追うものは一兎も得ず、と彼は得意げにつづけた。
「その基準は中村、おまえが決めるんだよ。俺がどうこう言うこっちゃない」
ナオコは泣きそうな顔でケビンを見上げた。気がゆるんでいたので「どうこう言ってよ。ケビン基準でいいから」とすがってしまう。
「だから、その甘えた態度がダメだっつーんだよ」
彼はスパルタだった。苦虫を噛み潰したような顔で「だいたいな」とつづける。
「おまえ25だって言うが、そろそろ26だろ? 去年の誕生日、由紀恵たちと祝ったの、今頃だったよな?」
「そうだけど……」
「アラサーの女が好きかどうか分からないなんて、みっともないぞ。もうちっと頑張れ」
その言葉は彼女の自尊心にぐさりとささった。ごもっともである。中高生がほおづえをついて悩んでいれば可愛らしい悩みだが、いい年をした自分が頭をかかえていいような悩みではないかもしれない。
「がんばります……」
彼女はあからさまに落ちこみながらも、そう言った。
「……ちなみに聞いとくが、いまはどっちがより好きだって思うんだよ」
ナオコはすんと鼻をならした。
彼女はしばらく考えたあと「茨の道と平坦な道があったとして」とふと口に出した。
「どっちも同じ場所にたどりつくなら、ケビンはどっちの道を選ぶ?」
「はあ? なんだそれ」彼は顔をしかめた。
「マルコさんにね、このあいだ聞かれたんだよ」
彼はあのときのナオコと同じく、けげんそうに「着く場所が一緒なら、道は楽なほうを選ぶだろ」と言った。
ナオコは視線を落とした。いまならマルコの意図がわかる気がした。
「茨の道を選ぶのは、そっちに進みたいからかも」
彼女はまばたきをした。まだ日の残る庭に、かすかな朱色が差しこんでいた。
「傷が深いほうが、ずっと好きでいられるもんね」
後悔しても、もう遅い。ナオコはそう思った。
大きなためいきをついて、全身で伸びをした。すっきりした気持ちだった。
「ダメだなあ、わたし」
ケビンは彼女の様子をみて不思議そうにしていたが、ふいに真正面をむいて、立ちあがった。
「中村」
「なに?」
「システマを思いだすんだ」
彼はにやりと口元をゆがませると、びしりと指をつきだした。
「傷を負った痛みは受け流すもんだ」
ナオコは目を丸くした。
「ロシア人はケガなんて恐れない……まあ、見てろよ」
「……なにを?」
彼は質問には答えずに、ふてぶてしく笑うだけだった。