直線の男がさえぎれなかったもの
ナオコは彼の告白に、一瞬だまりこんだ。そして、なにが伝わるとも思わなかったけれども、ケビンの目をのぞきこんで「わたしもそうだよ」と言った。
好きの意味が違うことは分かっている。だからこそ、彼の言葉をそう受けた。
「由紀恵さんも、ケビンが好きだった。そうでしょ」
彼女が心からケビンを大切に思っていたことは事実だった。彼が怪我をしたとき、由紀恵は本当に落ちこんでいた。彼女は言った。HRAの仲間こそが自分の世界で、生きる意味なのだと。
「こんなん自己満足にすぎねえだろ」
彼はそう吐き捨てたが、言葉の乱暴さとは裏腹に、目は真剣だった。
「山田の言ったことは正しい。俺に義務だ責任だなんて高尚なモンはない。由紀恵は死んじまった。それは事実で、もうどうしようもない……」
彼は「でも」と、つづけた。
「そう分かっていても、知りたいんだよ。由紀恵があきらかにできなかったことを、俺が知りたい。そう決めたからには、行くとこまで行くっきゃねえ」
彼はナオコのほうを向いた。
「協力しろ、とは言わねえ。中村には中村のやることがあるだろ」
「……うん」
だまってうなずく。
「わたしは、そうだね、わたしは……」
彼はじーっとこちらを観察したあと「おまえよ、本当に山田とバディ解消したかったのか?」と、ふいにたずねた。
ナオコはうろたえた。
「それは、そうだよ。特殊警備部全体として考えても、山田さんはリリーと組んだほうが良かっただろうし。わたしだってケビンとのほうが……」
声はどんどんとしぼんでいった。
「……ごめん」
言い訳がましいと分かっていた。リリーからの脅しに屈してバディを解消したことを、これ以上ないほど後悔しているのは、自分が一番理解していた。
「でも、これはどうしようもないよ。今のほうが、前よりもうまくいっているし」
特殊警備部と山田たちの溝は埋まっていないが、全体として仕事は円滑だ。山田とリリーに関してはお互いさえいれば、よそなんて関係ないだろうし、結果的にこれで良かった。
「おまえ、それ本気で言ってんのかよ」と、ケビンがにらんできた。
「そんな死んだみてーな表情で言うことじゃねえぞ……おまえ、山田とタッカーが一緒にいるときに、自分がどんな顔してるか見たことねえから、寝ぼけたことが言えるんだ」
「そんなこと言っても、自分の顔は自分じゃ見れないし……」
苦し紛れの言葉は「うるせえよ」と一蹴された。
「山田と前よりうまくいってたんだろうが。それを解消するって言いだしたから、酷い仕打ちでも受けたんだと思っていたが、そういうわけでもないみたいだしな。他になんかあったんだろ」
ナオコは再び黙ってしまった。殺されかけたとは言えなかった。言えないことだらけの自分が情けなかった。
ケビンは大きなためいきをついた。
「中村は優しすぎるぜ。いろんなことに配慮しすぎなんだ……もっと自分の望みに正直になれよ」
「なっているよ」と言いかえす。
「わたしは山田さんとバディを組むべきじゃなかったんだよ。彼の足ばかり引っ張っていたし、分不相応だった。もちろん一年間ちかくバディを組んだことを後悔なんてしていないよ。たくさん勉強させてもらったし、最近は少しは仲良くなれてよかったって……」
顔のまえでパチン、と音がして面食らった。ケビンは猫騙しをした両手をさげて、唇を曲げた。心底不服である、という表情だ。
「あのよ、おまえ優等生ぶって楽しいのか?」
彼は呆れかえったように言った。
「スピーチじゃねえんだぞ。正直に言えよ。おまえ、素直なことくらいしか取り柄ねぇだろ」
バカにしたような言い草に、ナオコは目じりをつりあげた。
「正直に言ってるけど」
「いーや、嘘をついている。俺にはわかる……ロシアの血がそう告げてんだよ」
「ロシアの血、便利すぎるでしょ。第一、わたしが山田さんとバディ解散してケビンだって助かったじゃない」
彼だってリリーとうまくいっていなかったのだから、文句を言われる筋合いはない。
ナオコが半目になってにらむと、ケビンは「そりゃそうだけどよ」とほおをかいた。
「でも、おまえずっと山田のこと目で追ってるぞ」
「え?」
「だから、オフィスにいるとき、ずーっと山田のこと見てんだろ」
顔のなかのヒーターが、突然点火したようだった。
「みてない……」とつぶやくも、説得力は皆無だ。視線を外そうとしても、どうにも気になって目で追ってしまっていたのだ。
ケビンは顔を真っ赤にしたナオコをまじまじと見ると、急にうれしそうな笑みをうかべた。
「なるほどなあ、そういうことか」
「やめて、言わないで。お願いだから」
「あれ、中村って彼氏いたよな? しかも、わりに最近付き合いはじめたんじゃなかったか」
傷口をえぐられたような気分だった。昨日飯田が見せた傷ついた表情を思いだす。
「山田のほうがいいのか」と物知り顔でうなずくので「だからなんにも言わないでってば!」と、大声をあげてしまった。庭にいた患者たちに迷惑そうに見られ、あわてて口元をおさえる。
「山田は無理だぞ、中村……おとなしく諦めろ」
彼は仲間うちの恋を面白くおかしくからかう調子で、話をつづけた。
「男の目線から言わせてもらうとな、山田は女にまったく興味ねえタイプだ。遊びが激しいのは、相手の人格に興味がないからだな。本気で恋愛したりしないから、それにたいしてなんか思ったりしねえんだよ。むかつく野郎だ」
「……わかってるよ」
否定するのをあきらめたナオコは、がくりと肩を落とした。
「彼氏に落ちついとけ。由紀恵から聞いたが、普通のサラリーマンなんだろ。そういうやつの方が傷つかずにすむ」
「……わかってる」
それでも落ちこんでいる彼女に、ケビンは少々からかいすぎたと思ったのか、得意げな表情をひっこませた。
「山田のなにがいいんだよ。顔か? でも、そんならマルコさんのほうがイケてるだろ」
「……わかんない」
「おまえなあ」
判で押したような返事に、ケビンはため息をついた。
「だって本当にわからないんだよ。わたしだって」
彼女は目を伏せた。言葉にするつもりはなかった。してはいけないと思っていた。それでもケビンがあんまりにもたやすく心打ちを見透かしたために、するりと言葉が落ちてしまった。
「好きになるつもりじゃなかった」
言葉にしたことで、気持ちに納得してしまった。どれだけ否定しても、否定しきれない。気づかなきゃよかった、と彼女は心から思った。それでも意志と気持ちは相反して、いつも苦しさが胸をしめつける。
「……ま、そういうもんか」
ケビンは彼女の様子をみて、ぽつりとつぶやいた。
「俺も由紀恵に言えなかったし」
ナオコは顔をあげた。
「ケビンは、なんで言わなかったの」
「そりゃあ言えねえだろ。あいつには彼氏がいたし、それに」
彼は言いよどんだ。後悔が目のうちに宿っていた。
「そういう目で見てねえって分かってて、自分も相手も傷つけにいけるほどの決意がなかったんだよ」
ケビンはふいに「そういや、俺もあいつのことが最初は嫌いだった」と、言った。
「由紀恵は腹の立つババアだったよ。やれ戦い方がなっていないだの、言葉遣いをきちんとしろだの……俺のことを、弟みたいに思ってたんだろうな」
姉と弟のような由紀恵とケビンを、特殊警備部の人々は面白おかしく見守っていた。由紀恵にやきもきする彼を、悪意なくからかった日々がなつかしい。あのときは、だれもがこんな結果になるなんて想像もしていなかった。
「えらい目に遭いながら生きてきたみたいだし、口うるさいのはしかたねえ。そんな風に思っていたら、いつのまにか好きだった」
空を見上げる彼の表情は、どこまでも透明だった。悲しみを通りこして、ただそこにある感情だけを見つめている。彼が慕う女性は、もうこの世界のどこにもいないのだ。
「ケビン……」
ナオコはなんだかいじらしくて、彼の背中を思いきり叩いた。
「いてぇ!」と彼が叫んだ。少々力をこめすぎたようだ。