穢の子
マルコは生徒をほめる教師のようなほほえみをうかべた。
「意外と動揺していないね」
ナオコはかぶりをふった。だが彼の言うとおりだ。想像以上に冷静でいられるのは、驚きよりも納得する気持ちが強いからかもしれない。これでリリーの発言に説明がつく、と彼女は考えた。彼らが特別であるとは、そういうことだったのだ。
「……アルフレッドは実験をしていたんだ。〈虚像〉という精神体が現実に及ぼす影響力、時空を超えて現れる強力なエネルギー、そういったものがいったいなんなのかって。だから彼女を保護して子供を産ませた」
「……産ませた?」
「別世界の人間だからって、生殖機能まで異なるわけじゃない。普段は化物じみた〈虚像〉としか相対していないから、実感がわかないかもしれないけど……ことアリスにかんしては、こちら側の人間とそこまで変わらない。まあ遺伝子に重要な違いはあるんだけど」
「その違いが、ブージャムが特別である理由なんですか?」
マルコはうまい説明を考えているようだった。
「ブージャムが『スナーク狩り』から来ている言葉ってことは知っているよね?」
「はい」とナオコはうなずいた。
「アリスの子供たちは、本社ではスナークと呼ばれている。一部の上層部しか知らないけど〈芋虫〉の1割近くはスナークだ……ひどい話だよ。自分たちで生んでおいて、彼らは化物あつかい」
「じゃあブージャムは? リリーは自分がブージャムに覚醒した、と言っていましたが……」
彼は陰鬱な表情になった。
「……スナークはただの人間と変わりない生命なんだ。ごく普通の子供。アルフレッドにとっては残念なことに」
マルコはなにかを宙に発見したように、ふっと口を閉じた。そこには事実が丸い円盤となって浮かんでいるようだった。端的な事実だ。ナオコにも、それが見える気がした。
「スナークたちは一つの目標をもって生まれる。化物とさげすまれる彼らが、唯一持つ目標」
「ブージャムに覚醒すること?」リリーの言葉を思いだした。「どういうことなんですか」
「ブージャムは人類の進化そのものなんだよ、ナオコくん」
マルコは静かに告げた。
「スナークは普通の人間と変わりない。ただ可能性を持っているんだ。人間よりもはるかに優れた生命になる可能性をね。身体能力、知能レベル、どれをとっても上をいく。……芋虫から蝶へと進化するさなぎのように、長い冬を超えた存在がブージャム」
「〈芋虫〉には、そういう意味もある?」
マルコはほほえんだ。
「むこうの人間はね、言葉遊びが好きなんだ」
洪水のような情報の多さだった。だがナオコには、彼が嘘をついているとは思えなかった。
思えば山田もリリーも普通の人間にはこなせないようなことを難なくこなす。アメリカ育ちなのに日本語をすぐ覚えたし、並外れた身体能力を有している。ふと彼女は、山田とケビンと由紀恵の4人で居酒屋へ行っことを思いだした。いくら飲んでも山田だけ素面だった。あれもそういうことだったのか。
「……納得しました」
マルコは彼女の落ち着きっぷりを不思議がって「冷静だね」と言った。
「はい。いえ、びっくりはしています。でもそれで、山田さんやリリーのなにが変わるということではないので……」
それは本心だった。仮に異世界の人間を母親にもっていようとも、彼らのなにかが大きく変わってしまうわけではない。
マルコは目を細めた。
「人間じゃないんだよ? 彼らは」
「人間……じゃないんですかね。でもわたしには、山田さんもリリーも人間に見えるから」
「見えるものがすべてとは限らない」と、彼は警句めいたものを述べた。
「もちろん、見えないものがすべてでもないけれど」
「ブージャムにはどうやってなるんですか?」とナオコは疑問を呈した。
マルコは首を横に振って「そこまではぼくには分からない」と言った。
「スナークだけに伝わる方法がある。もし知りたかったら、山田くんかリリーくんに聞いてみるといいよ」
「じゃあ、いまアリスはどうしているんです?」
「死んだよ。つい最近」
ナオコは言葉をなくした。
「死んだ?」
「アルフレッドが亡くなる一週間前のことだ。彼女の生命維持装置の電源が切られた。使い道がなくなったんだって、幹部のやつらが話していた」
まるでモノのような扱いだ。ナオコは嫌な予感を感じながら「アリスは保護されていたんですよね?」と質問した。
「うん。そうだよ。動物園で絶滅危惧種を保護するようなものさ。檻の中に入れて、うまく繁殖させる」
彼女はその説明で、使い道がなくなったという言葉の意図を理解した。マルコはあえて口にしなかったが、人道に反する行いへの悲痛を目にやどしていた。
ナオコはこれ以上この話をつづけるのを辛く感じたが「スナークたちの父親は」とたずねた。
「HRAの研究員だよ。より優秀な知能を授ける必要があるからって……まあ、どこまでが本当かは分からない」
「じゃあ山田さんのお父様は、現トップの……山田秀介さんなんですか?」
マルコはふいと視線をそらした。
「それはわからないんだ。彼に聞いてみて……ただ、ぼくは違うと思う。おそらく山田って名前の研究員が他にもいたんだろう」
ひととおり話おえて、彼は身内の恥を話し終えたような顔をしていた。嫌悪感がにじんでいる。
「わかるかい、ナオコくん。HRAはそういう組織なんだよ。アルフレッドはそこのトップだった。ぼくはそういうことを知っていて、見ないふりしていたんだ。そして今となっては、つけを払わされている」
「……つけ、ですか」
「うん、つけ。いろいろね」
彼は話すべきことを語り終えたのか、口をとざした。
ナオコの心にあったマルコを疑う気持ちはすっかり消え去っていた。もしかすると彼はまだ自分に話していないことがあるかもしれない。しかし山田やリリーがたとえ普通の人間と異なっても、それでも彼らに違いないように、マルコもマルコだと彼女は思った。
自分の見ている彼らこそが、信じられるすべてだ。
ナオコは頭を下げた。
「マルコさん、ごめんなさい」