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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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めめしくあれど、これが私たち

「……ですよね」とつぶやいて、リリーは食事を再開した。ナオコはひそかに安堵の息をはいた。山田の話題は出さないようにしよう。彼女の逆鱗だ。


「ナオコさんは、わたしが怖くないんですか?」


 ふいにたずねられて、ナオコはぽかんとしてしまった。リリーは水槽のなかを眺めるような目つきをしている。


「殺そうとした人間と食事ができるなんて、日本の人はずいぶんぬるいです」


「だ、だってリリーがお腹すいたって言うから」食事に連れていけ、という意味だと思っていたと伝えると

「ふうん。ぬるぬるですね」とリリーは大口をあけてハンバーガーにかぶりついた。


「ぬる?」


「ぬるいからぬるぬるです。みんな言っていましたけど、日本はとびきり甘いです。ナオコさんはそのなかでも飛びぬけて甘い。わたしがこっそり毒でも混ぜたらどうするつもりです?」


 ナオコは口からレタスを吹き出しそうになった。あわてて口元をおさえる。

「嘘ですよ」と嘲笑されたので、口内のものを飲みこんだが、あまりおいしく感じられない。


「やめてよ、そういうこと言うの……」


「警戒心がないんですね。このぶんなら、あんなふうに襲わなくても簡単にやれました」


 どんどん青ざめていくナオコをみて、リリーは「もう殺す気はないので心配しなくていいです」とツンとすました顔をした。


「意味がないです。こんなぬるぬる人間だと思っていませんでしたから……シホをたぶらかすくらいだから、てっきり胸の大きな気の抜けない美人だと思っていましたのに」


「胸は関係あるの?」


「アメリカだと、シホはだいたいそういう女性とお付きあいしていましたよ」


 思わず視線がリリーの胸元にむく。彼女は怒りの形相になった。


「おたがい様です」


「おっしゃるとおりです……」


 寄せてあげてのCカップには触れないほうが良い話題だ。


「……リリーがわたしを世話役に指定したのは、やっぱり山田さんの相棒だったから?」


「ええ、シホがアメリカに帰ってこないのはアナタが原因だと思っていたので。さっさと消すにかぎります」


「思っていた?」とオウム返しにすると、おかしそうに笑われてしまった。


「あんなにあっさりバディを解消するんですよ? わたしのカン違いです。だからもうナオコさんを殺す必要ないです」


 それはよかった、と思うと同時に虚しくなる。彼女の言うとおりだ。山田にとって自分は、ただの同僚にすぎない。ナオコはしゅんとして、バンズがしなしなになったハンバーガーを食べおえた。


「ごちそうさまでした」リリーが丁寧に両手をあわせた。


「まあおいしかったです。世話役としては及第点といったところですか。でも次はそうですね、アジア圏の食事が食べたいですね、せっかくなら」


 次があるのかと思いつつ「それはよかった」とナオコは返した。リリーは目を細めた。野良猫がこちらを見やるときのようだった。警戒心と好奇心の入り混じった視線だ。


「ナオコさん、良い人ですね」


「は?」


「ほめていませんよ。良い人というのは、なにも考えていない人、という意味です」


「あ、そうなの……」ほめられるほうが怖いので、こきおろされるぶんにはかまわない。


「もっとちゃんと頭を使ったほうがいいですよ。忠告です。わたしたちには遠く及ばなくとも、脳みそが入っているのですから」


 辛辣なセリフだが、ナオコはにやにやしてしまった。皮肉の言い方が山田に似ていると思ったのだ。


「なんですか、気色悪いです」


「リリーってやっぱり山田さんに似てるから。面白くて」


 リリーは支度をしながら「当然です」と言った。


「わたくしは、シホの妹ですもの」


「言い回しとか性格もそうだけど、見た目も似てるもんね」


 彼女は一瞬口をとざしてから「でしょうね」とつぶやいた。そして席をたち「それではナオコさん。ごちそうさまでした」と軽く頭をさげた。すたすたと去っていく後ろ姿に「ああ、うん。それじゃあまた」と手をふる。机のうえには伝票がまるまる残っている。


 ナオコはすこしのあいだ伝票を見つめてから、肩をすくめた。そして2人ぶんの支払いをして店を出た。

 帰路につきながら、リリーについて考える。彼女は良い子だとは言いがたい。そもそも人を殺そうとするような子が良い子なわけはない。

 ただ、普通の子だ。山田のことを抜きにすれば素直に話をしてくれるし、裏表がないぶん警戒しないですむ。


 ナオコは少しだけ元気づけられた自分に気づいた。そういえば、こうして職場の人間と食事をするのは久しぶりだった。以前は由紀恵としょっちゅうご飯に行っていた。それが息抜きになっていたのだ。

 夜空を見あげる。このあいだリリーに襲われたときよりも晴れた空だった。冬が徐々に近づいているからかもしれない。ああ、そういえばもうすぐ誕生日だなあとナオコは思った。


 どうにもならないことばかりだ。それでも前に進むしかない。

 はからずもリリーに元気づけられたことに苦笑しながら、ナオコは帰り道をのんびりと歩いた。



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