めめしく食べて
「なんでリリーこそ、こんな時間に」
リリーはナイフを壁から引き抜いて「べつに? ひまつぶしです」とかえした。
「ひまつぶし……山田さんとごはんとかいかないの?」
ナオコはそう聞いてから、要らないことを言ったかと青ざめた。リリーが虫でも見るような目つきになったのだ。
「シホは忙しいんです。いくら異常種の出現が少なくなったとはいえ、彼にはべつの仕事もありますから」
おそらく人間へと進化した〈虚像〉の対処のことだろうと検討をつけ「リリーは、手伝ったりは……」とたずねる。
「もちろんしますよ。でも、シホは心配性なので」彼女はうっとりとした。「たいていのことは自分で片付けたがるんです」
「ああ……そう……」
ふと精神分離機の副作用は大丈夫なのだろうか、と不安になる。だがリリーに直接たずねてもいいものだろうか。ねえ、リリー。ちゃんと山田さんはあなたの血を吸っている?
聞けるわけがない。ナオコは質問をあきらめた。
代わりにリリーが話題を変えてきた。
「ねえ、ナオコさん。わたしお腹すきました」
「は?」
「だから、お腹がすきました」
「……食堂、まだ開いてるよ」
夜の20時までなら食堂は開いている。時計を指さすと、リリーはむくれた。
「あなたはわたしの世話係でしょう? お腹がすいたと言って、気の利いた言葉がそれですか?」
その設定はまだ有効だったのか、とナオコは驚いた。殺しかけた人間を目の前にして、おまえは世話役だなんてよく言えたものだ。逆にすがすがしい。そういえば自分も夕飯はまだとっていない。家に帰ってから昨晩の残りのカレーでも食べようかと思っていたが、外で食べてもいいかもしれないなと彼女はリリーに視線をやった。彼女はなにかを期待するような目をしている。
ナオコはしかたがなく「近くに有名なハンバーガー屋さんがあるけど」と言った。
「ハンバーガー?」リリーは目をきらりとさせた。「女性の名折れですね、こんな夜にハンバーガーなんて! でもまあ、ナオコさんが食べたいというのなら付き合ってあげましょう」
リリーはしゃきしゃきとMRカメラを外し、カバンを持った。そして「さっさと準備してください」とナオコを急かした。苦笑しながらリリーの後を追う。
店は本社から少し歩いた住宅街のど真ん中にあった。こじんまりした店で、アメリカのダイナーのような店構えだ。ディナータイムは客入りが悪いのか、客は学生が一組だけだ。陽気なBGMが鳴っているが、リノリウムの光る店内では少々もの寂しい感じがする。
2人は窓際の席にすわって注文を終えた。リリーは興味深そうに店内をながめている。
「ほんとうに、ここBurger shopなんです?」
「そうだけど」
「ずいぶんきれいなんですね」
「……こっちきてから、なに食べたの?」
「お寿司とてんぷらとソバは食べろっていわれたので、初日に制覇しましたよ」
典型的な日本食だ。「ほかは?」とたずねる。
「Cup noodles。おいしいです」
どうやらろくなものを食べていないようだ、と思いながら「リリーって社宅を借りてるんだよね? ごはんとか自分で作らないの?」とたずねる。
リリーはむっとした顔をした。
「料理なんて無駄なことしません。おいしいものなんて外で食べられるんですから」
でもカップ麺しか食べていないんだよね、とナオコは続けられなかった。思えば彼女は上京したての大学生のようなものだ。料理なんてしないのかもしれない。
これでもナオコは自炊が得意だ。共働きの両親の手伝いをしたかったので、よく夕飯を作っていた。バイトで居酒屋の厨房に立っていたこともある。
「肉じゃがとか、そういうのは食べてない?」
「ニクジャガ?」リリーは首をかしげた。「Mick Jaggerなら知ってますけど」
「ローリングストーンズの話じゃなくて」
注文したハンバーガーが運ばれてきた。ナオコはアボカドバーガー、リリーはチーズバーガーにかぶりつく。ナオコは彼女の食べっぷりにほうっとした。こんなに口が小さいのに、よくもまあこんなに大きな一口が食べられるものだ。
「レディの食べるすがたを見つめるなんて失礼ですよ」
「あ、ごめん」
「……おいしいですけど、これハンバーガーじゃないです」彼女はバーガーからとろとろと流れ出るチーズをみた。「もっとハンバーガーは固いです」
「日本だとこれがハンバーガー」と言ってナオコは笑った。「アメリカとは違うことだらけでしょ」
「ええ」彼女は素直にうなずいた。「ごはんがおいしいですね」
カップヌードルしか食べていないのにとナオコは再び思って、どうしても笑いがこらえられなかった。
「山田さんに、どっかおいしい場所おしえてもらいなよ」
その言葉は自然に出てきたものだった。しかしリリーは食事の手をとめてしまった。
「……シホは忙しいですから」
「まあ、そうだけど。ごはんくらい……あ、でも山田さん食べ物に興味なさそうだな」
彼とバディを組んでいたときでさえ、なにかを口にしている姿を見た記憶がほぼない。せいぜいコーヒーをなめているくらいだ。
リリーはじいっと机の表面をみていた。なんだか様子がおかしい。
「ナオコさんはシホと食事したんですか」
「へ?」ナオコは血の気がひいた。地雷を踏んだような気がしたので「いや、ない! ないに決まってるよ。わたし、嫌われてたし……」と釈明する。
そして嫌われていた、と口にしてから語弊があると気づいた。正確には嫌われていると思っていたら心配されていて、しかし結局嫌われてしまった、だ。あんなふうにバディの解散を迫っておいて、今では合わせる顔もない。