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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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めめしき


「中村っ! かがめ!」


 ケビンの合図をうけて、頭を下げる。銃声につづけて、甲高い悲鳴が鳴りひびいた。

 巨大なトカゲは横っ腹から灰色の液体をまきちらし、ナオコに尻尾を叩きつけようとした。ジャンプし背中に乗り、ゴルフクラブをふりおろす。なにかがへしゃいだ感触が伝わった。鳴き声が途切れる。クラブをどけると、そこの部分だけがへこんでいた。


 ナオコは地面に飛びおりて「おつかれ」とケビンに声をかけた。

 彼は「おう」とだけ返して、すぐにそっぽを向く。そっけないなぁと思うが、もう慣れた。


〈鏡面〉から出る。午後16時の浅草雷門まえに2人はいた。集合写真の邪魔になっていたので、あわてて道路のはじに寄る。


「浅草なんてひさしぶり」とナオコが話しかけてみるが、ケビンは「ああ」としか言わない。


「……雷おこし買っていこうかなあ」


 話題がつづかないので、思ってもいないことを言ってみる。当然ながら彼はその言葉を無視した。


 ナオコは小さくためいきをついた。非常にやりづらい。和気あいあいとした観光地の真っただ中にいて、こんなにぎすぎすした二人組もいないのではないだろうか。




 山田とバディを解消して、はや一週間がたとうとしていた。幸か不幸か、解散に反対する人間はだれもいなかった。

 ケビンはリリーが山田の妹だというだけで毛嫌いしていたらしく、ナオコと組むことをあっさり受けいれた。一番反対しそうなマルコも「相浦くんとリリーくんの現状にかんがみると仕方がない」と許可した。

 特殊警備部の面々は、ナオコがバディの解散を提案したらしいと聞いて、我が意を得たりという顔をした。そして「ようやく解放されたな」と喜んでくれた。

 しかし当人であるナオコは、複雑な気持ちだった。

 仕事の面は問題ない。自分に由紀恵の代わりができているとは思えないが、それでも長距離の戦闘を得意とする彼との仕事は、想像以上にやりやすかった。


 ナオコはケビンを横目でみた。問題はこの気まずさだ。

 浅草駅にむかう途中で「ケビン」と話しかけてみるも、彼はぼんやりとしていて聞いているのか聞いていないのか分からない。


 山田は今頃なにをしているのだろう、とナオコは思った。リリーとの仕事は楽しいだろうか。

 かわいい妹と組めてもちろん嬉しいだろう、と彼女は自嘲した。自分はもともとバディとして不適格な存在で、取引のおかげで認めてもらえていたにすぎない。そんな人間と組むより断然いいに決まっている……。


 肩に幽霊がのったような憂鬱さが彼女を襲った。女々しすぎる。そして暗すぎる。 


 あれから彼女は何度も自分の心に問いただした。

 山田を好きだと思ったのは、彼と離れざるをえなかったからだろうか。それとも本当にそう思っているのか。自分で気持ちが分からない。けれども、毎日彼のことが頭から離れなかった。

 もっと考えるべきことがあるはずだ、とナオコは悲壮な思い切りをつけようとした。そうでもしないと、息苦しさで前にすすめないのだ。


「……ケビン、最近お母さんのお見舞いには行ってる?」


 すこしでも前向きになろうと、ケビンに話しかける。彼は前を見たまま「ああ、一昨日」と答えた。


「あー、そう。元気だった? しばらく会ってないから、わたしも行きたいなあ」


 彼の母親とは5月で会ったきりだったから、そろそろ顔を見せにいきたい。その親密な思いは彼女の本心だったのだが、彼は不機嫌そうにだまってしまった。


「……えーっと」


 ナオコが冷や汗をかきながら話題をさがしていると、今度は彼のほうから話しかけてくれた。ただし陰鬱な表情だ。


「山田秀介の経歴を調べた」


 彼女はぎくりとした。


「とんだエリートだ。1998年に初めて実施された〈鏡の国〉の探索に成功して以来、〈鏡面〉開発のトップを張っていたらしい。次の代のCEOは、山田秀介でほぼ決定していたってよ」


 身を縮こませる。つぎに彼がなにを言うのか分かっていた。


「やつらはHRAのエリート一家ってわけだな。妹も〈芋虫〉で、しかも化物みてぇに強い。こりゃあドーピングどころか、遺伝子操作を疑ったほうがいいぜ」


 忌々しそうに話すケビンに、なにも言えなかった。彼もナオコになにも期待していないようだった。




 ナオコはケビンと駅で別れると、会社に向かった。着いたときには18時近くになっていた。オフィスにはだれも居ない。

 自分のデスクに荷物をおろして一息つく。ふと山田のデスクが目についた。本が載っていた。そういえば今朝がたリリーと会話をしていた、と思いだす。

 シホは読書家なんですねえ、アメリカではとんと読まなかったのに。英語は苦手なんだ。こっちのほうが、よっぽどいい。

 淡々とした会話に、兄妹のぬくもりを感じた。聞かないようにしていたが、優しい目をしている彼のすがたが思い浮かんだ。

 ナオコはもう一度オフィスに人影がないことを確認して、おそるおそるデスクに近づいた。


 思わず笑ってしまった。置いてあったのは『銀河鉄道の夜』だった。そういえば彼の本棚で一番めだって古いのはこの本だった。表紙がぺろぺろにめくれて、古本屋でも買いとってもらえないくらいにボロボロだ。

 ナオコにとって彼がこの本を読んでいるのは、不思議なようでもあり当然でもある気がした。やさしくて悲しい童話を読むような人だと、いまなら分かる。


 本をもとの場所にもどし、コーヒーを淹れてからパソコンを立ちあげた。HRA全体で共有されている〈鏡面〉のデータにアクセスする。保全部が撮影した戦闘の様子が記録されている。


 ここ一週間、ナオコは仕事を終えるとこれらのデータを眺めていた。由紀恵を殺した〈虚像〉と似た個体を発見できれば、それがブージャムについてのヒントになると考えたのだ。

 今となっては調べることに意味などないかもしれないと思ったが、それでも知りたかった。それだけが、今の自分と山田とのつながりのように彼女には思えてならなかったのだ。


 映像を漁っていくと、今日のリリーと山田の戦闘記録がアップロードされていた。対哺乳類戦だ。だれもいない駅のホームで真っ白な象と2人が戦闘している。彼らの動きはまさしく()()()()していた。跳躍力、瞬発力、攻撃力、どれもが異常に高かった。

 検体番号07そして検体番号14。リリーが口にした番号に良い意味があるようには思えなかった。

 三か月まえに、山田が見舞いにきたときのことを思いだす。そうだ、あのとき彼は映画館に一度しか行ったことがないと話していた。興味深そうに『グリーンマイル』のDVDのパッケージをみていた。番号で呼ばれる生活を送っていたとすれば、それも不思議ではない。


 画面のなかで象が倒れ、灰になった。大儀そうにしている山田の腕にリリーがしがみついた。彼女がなにがしか話しかける。声は聞こえなかったが、彼はわずかにほほえんだ。

 ナオコは画面の右上にあるバツをクリックした。デスクトップに戻る。パソコンを閉じる。


 ぼんやりとプラスチック製の机の表面をながめる。細かい傷がいっぱいついていた。

 そういえば彼と仕事をしていると、文章を書くのが苦手なのによく書類仕事を押しつけられた。嫌々ながらパソコンをにらみつけていると、ときおり邪魔をされた。

 君は本当に文章が下手だな。彼が馬鹿にしたように笑う。主語の重複が激しい。常態と敬体が混じっている。改行をしろ。横から画面をのぞいて、偉そうにのたまっていた。

 アメリカ育ちのくせに、なんでこんなにうるさいんだろうとあの時は思っていた。読書家だから日本語に敏感なのだろうか。どうでもいいことだ。どうでもいいことなのに頭から離れない。こんなことすら、もう彼に聞けない。

 それはリリーの目があるからでも、山田にとってすっかり意味のない自分になったからでもない。どんなに取り繕ってみても、頭からも心からも彼が消えないからだ。

 ナオコは体が根こそぎ消えてしまうように願った。そうすれば胸の真ん中に空いた穴が、どこにあったかも分からなくなるだろう。


 そんな感傷にひたっていると、だんだんと苛ついてきた。「あああ、もう!」と叫んで、立ちあがる。


 彼女は忙しく支度をしてオフィスを出た。こういうときにやるべきことは、ひとつに決まっている。

 トレーニングルームの扉を思いきり開ける。部屋の片隅にカバンを投げすて、ジャケットも脱ぐ。シャツをまくりあげて、ひとり「よし!」とうなずく。カラ元気だ。こうでもしないと元気がでない……。


 ひゅんっと音をたてて、なにかが飛んできた。


「うわっ」


「Ah,sorry」うわずった笑い声が聞こえた。


 リリーはMR機器をひたいへと持ちあげ、笑いかけてきた。


「こんばんは、ナオコさん」


 壁にびーんと音をたててナイフが突き刺さっている。


「リリー……」


「こんな時間に訓練ですか? 石は磨いても宝石にはなりませんのに、みあげた根性です」


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