社員の親族と仲良くなるともっと気まずい
「よかったら、ちょっとやってみる?」とMRを渡す。リリーはおずおずと身に着けた。
ナオコもMRを着用してから、モニターを操作して鳥類を選んだ。
すると部屋の中央に巨大なにわとりが出現した。羽毛の一切ない鳥は、ローストされる直前の七面鳥に似ている。
「Awesome!」とリリーが興奮して叫んだ。
「すごいです。最先端ですね」
好奇心に満ちた仕草は年相応にみえて、ナオコは僻んでいたことを後悔した。
この少女は自分より五つも年下で、やっと兄に会えた女の子なのだ。それをやっかんだりして、自分もまだまだ人間として足りていない……。そんな風に戒める。
「ナオコさん、よかったら一緒に訓練しましょう」
うきうきと提案されたが、すぐにはうなずけなった。わずかなプライドが足を引っ張ったのだ。リリーのほうが〈芋虫〉として年期が長いので、訓練をともにすると実力の差異があきらかになってしまう。
しかしナオコは大人になろうと「もちろん」と明るく言ってみせて、5課3班のロッカーからゴルフクラブを取りだした。
「変わっていますね」とリリーは目を丸くした。
「本社でも見たことありません、クラブなんて……」
「そうだよね。珍しいねっていつも言われるよ」
話しつつ「リリーの武器は……さすがにまだ用意がないか」と2班のロッカーを開いた。
「大丈夫です。持っています」
「へ?」
風切り音が聞こえた。ナオコのほおを、なにかがすんでのところで掠めていく。
目の前に銀色のキラキラしたものが突き出されていた。よく見慣れたものだ。山田と同じ、青いプラスチックが安っぽいペーパーナイフである。
「おそろいです」
「そ、そうなんだあ」
あれ、いま振り向くのが遅かったら刺さっていたんじゃ、などと考えはじめるまえに、リリーは元気よく武器をかまえた。ワンピースがひらりと軽やかに浮き上がる。
「行きますよ」
「あ、うん」
きっと手がすべっただけだろう。モニターの訓練開始ボタンを押す。
カウントがかかり、0になった瞬間に、にわとりが甲高く鳴いた。ナオコはクラブを構えたが、白いかたまりが視界の端を飛んでいくのに呆気にとられてしまった。
リリーはにわとりの真上に宙がえりをして飛び、落下する勢いを利用して頭部に刃を突きたてた。
粒子が粉々になって、空間に散らばっていく。
電子の海に立つリリーをぼうぜんとして見ている暇はなかった。
「あら」と声がした。悪寒がしてしゃがみこむ。背後の壁にナイフが突き刺さった。
「ごめんなさい、ナオコさん! お怪我はありませんか?」
駆け寄ってくるリリーの声を背後に「あ、や、だいじょうぶです……」と、思わず敬語になる。
「わたくし、緊張してしまって」リリーは勢いよくナイフを引き抜くと照れ笑いをした。
「シホのバディのまえで戦うなんて、恥ずかしくて」
ナオコは今起きたことがいまだに信じられなかったが、眼前にうかんだ『訓練終了』の文字に現実を認めざるをえなかった。
リリーは一撃で鳥類を仕留めたのだ。
鳥類は哺乳類に次ぐ強さである。2人がかりで、なんとか倒せるだろう段階だ。それをあっという間に倒してしまうとは。
「……山田さんみたいだね」と、ナオコは素直な感想をもらした。
「いま、山田さんを見ているみたいだった。やっぱり兄妹なんだねえ」
リリーはほおに手を当てて、ぴたりと動きを止めた。そして「そうでしたか?」と真剣な面持ちになった。
「本当にそう思われました?」
「うん。接近の仕方とか、そこから攻撃に転じる速さとかすごく似てたよ」
「そうですか」彼女はつんと澄ました顔をした。
「兄妹ですからね。当然です」
「強いんだね。キャリアが長いとは聞いてたけど、ここまでとは……正直びっくりしちゃった」
彼女の動きのあざやかさは、感嘆に及ぶものだった。実力の差異が恥ずかしいなどと考えていたが、自分では足元にも及ばない。6年のキャリアは伊達じゃないのだ。
手放しでほめられて、リリーはどこか所在ないような顔をした。そして「他のフロアを教えていただけますか?」と、きびすを返してしまった。
ナオコは後を追いかけながら、彼女はかなり気まぐれ屋のようだと思った。そんなところも兄とよく似ている。
施設の案内をし終えて執務室にもどろうとしたところで、リリーが電話をかけた。
「はぁい、リリーです。シホ? どこにいるんです?」
彼女が楽し気に会話をする様子を横目でみながら、ナオコも携帯をのぞいた。
ケビンからメールが来ている。なにげなく開くと「20時にトレセンに来い」と端的な文章がのっていた。
「それではナオコさん。わたくし、これで失礼します。シホが歓迎してくれるそうですので」
山田と歓迎なんて恐ろしく結びつかない単語だ。しかし可愛い妹のためには、彼だってスタンスを変えるだろう。
「よかったね。山田さんも一応宿直だから、あとで本社に顔を出すように伝えてあげて」
「わかりました」
リリーを玄関まで送る。
彼女はビルから出る直前に足をとめ、ナオコを振り返った。
ワンピースがたなびいて〈虚像〉を仕留めたときの残像が、ふとよぎる。
可愛くて強い女の子か、とナオコはほうっとした気持ちになった。うらやましさと尊敬が半分づつ胸に宿っていた。リリーは自分にないものをたくさん持っている。
「ナオコさん」
「うん?」
「……いえ」
リリーは可憐なほほえみを浮かべた。
「あなたとお知り合いになれて、本当にうれしいです」