社員の親族と会うのは気まずい
山田が名残惜し気に扉のむこうへと消えたのを見計らってから「それじゃあ、下に降りようか」とリリーに話しかけた。彼の過保護さを知った衝撃から回復できていないが、それとこれは別の話だ。これから〈芋虫〉として共に仕事をする仲間なのだから、親切にしなければならない。
ナオコはリリーを連れてエレベーターに乗り、全部の階のボタンを押した。
「日本語うまいんだねえ」と話しかけてみる。
すると「まだカタコトですけれど、いっぱい勉強しました」と素直そうな言い方をするので、ナオコはよりいっそう、彼女の世話役として励まなければと意気込んだ。どことなく入社したての自分を思いだしたのだ。
ボタンを指し示しながら、各階の説明をはじめる。
「14階はマルコさんの執務室で、13階と12階は会議室だよ。基本的にわたしたちは使わないから、見るだけでいいかな……11階は研究室と人事部があるけど、ここも滅多に行かないね」
「ずいぶん狭いですね」とリリーが感想を述べたので、苦笑をかえす。
「そうだね、日本がそもそも狭いから……本社はどんな感じなの?」
「本社はDowntownの地下に作られています。大きさは分かりません。でも、ここよりはずっと広いですよ」
ロサンゼルスの中心部に張り巡らされているらしい本社の様子を想像してみる。映画の観すぎのせいか、謎の秘密結社が会議をしている風景が思い浮かんだ。
「……こんな小さい会社に来ることになって良かったの?」
「シホがいます」リリーは即答した。
「シホがいるなら、AlaskaでもJordanでも、どこでも行きます」
熱意あふれるセリフに「そうなんだぁ」としか返せない。どこが嫌われているのだろう。白けた気持ちが再び顔をだしてきたので、気持ちを切り替える。
二人は10階で降りた。「ここが特殊警備部の階」と言って、右を指さす。
「角を曲がったところが祈祷室で、まっすぐ行って左の扉がオフィスだよ」
もう退社時刻をすぎていたので、オフィスにはだれもいなかった。からっぽの机たちを見まわして「あそこが、リリーの相棒になるケビンの机」と教えた。
「ケビンは、うーんと、ちょっと荒っぽいところもあるけど……でもすごくいい人だから、心配しなくても大丈夫だと思う」
「それはよかったです」
リリーは部屋をきょろきょろしながら歩き、ひときわさっぱりとした机のまえで立ち止まった。パソコンどころかファイルの一枚も置いていないデスクの引き出しには、山田志保と印字されたマグネットが貼られている。
「書類仕事はたいしてないから、そんな感じになってる……っていうのは、山田さんに限るけど」
「シホは面倒くさがりです」とリリーが笑った。
「そうなんだよ……報告なんて携帯で十分だって言って、メール文書で全部作っちゃうんだよね」
「昔と変わらないですね」
ナオコは彼がアメリカにいた頃の話を聞きたくなった。それにリリーと共通の話題といえば、山田に関することだけだ。
これをきっかけに話をしようと「山田さん、昔はどんな感じだったの? 気になるな」とたずねてみた。
リリーはこちらをまじまじと見つめた。
「シホの昔の様子ですか?」
「うん。あんまり昔の話しないから。山田さん」
彼女は「あら」とほおに手を当てると、『山田志保』のマグネットを外して指先でもてあそんだ。なにかを考えているようだ。
ふと口元に弧をえがく。
「Monster」
陶酔したような言葉だった。
「モンスター?」
「はい。みんなシホはMonsterだって言います。わたくしも、そう思います」
リリーは机のうえにちょこなんと腰かけ、ナオコをなめるように見た。
「お話をうかがっていると、ナオコさんは……シホについて詳しくないですね。あまり仲がよろしくないですか?」
痛いところをつかれた。ナオコは親し気にうかべた愛想笑いがひきつるのを感じた。
仲が良いかどうかはともかくとして、彼についてなにも知らないのは事実である。
「相棒なのに」と彼女がくすくす笑う。
「ビジネスライクですね?」
「そ、そうだね」と、しぶしぶうなずく。なぜか敗北感がした。
「シホは7歳のころから〈芋虫〉として仕事をしています。類まれなる才能あってのことです。わたくしたちは、彼が日本支社に行ってしまうと聞いてとっても驚きました……」
ナオコは想像だにしていなかった数字に、とっさに反応ができなかった。7歳なんてまだ子供だ。いくら〈芋虫〉が幼い頃から訓練を積むといえども、倫理的な範囲をこえた年齢のように思える。
「シホはわたしたちの憧れです。いつか彼のようになることが、わたしたちの目標で、夢で、生きる意味です」
彼女の瞳はとろんとして、兄を語る妹というよりも、崇拝している神について語るようだった。
「だから、日本に来られて本当にうれしいです」
なんと返すべきか迷っているうちに、彼女はさっさと部屋を出てしまった。あわてて後を追うと「あそこがトレーニングルームですか?」と歩き、扉をひらいている。
がらんとした部屋を見渡して「ここは広いんですね」とにっこりする。
「さすがにね。一応MRもあるよ」と、棚に並んだMR機器を指し示す。
彼女は興味深そうにそれらを眺めて「これは本社にありません」とつぶやいた。
「マルコさんが試験的に導入した方法だからね。実戦の感覚がつかめるから、すごく役にたってるよ」
少しでも日本支社が勝っている部分を発見して、得意な気持ちになる。