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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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ディア・ラブリー

「……来い」


 山田はリリーの手をつかんで、廊下の奥へ連れていった。なにやら話をしている。彼の切羽詰まった表情をみて、ナオコはそわそわとした。


「ナオコくん、元気だった?」と、マルコが話しかけてきた。


 山田から目をはなし「はい、おかげさまで」と形式ばった返事をする。


「マルコさんこそ、えっと」


 元気でしたか、とは聞けなかった。言葉に迷っていると、彼は「逆に気持ちがすっきりとしたよ」と快活に言った。


「いろいろあったけど、くよくよしていられないしね」


「……そうですよね」


 この二週間に起こった出来事は、誰にとっても辛いものだった。しかしマルコは部下を失い、立て続けに義理の父親も失ったのだ。

 それなのに前を向いているのだ。彼は本当に強い。


 もう振り切るべきなのだと分かっている。山田が許さないように、マルコが前を向くように、自分も先に進まなければならない。


「ここ一週間、異常種は出ていないよね?」


 自省していると、不意に話題が変えられた。


「え、ああ……ぱったり出現しなくなりましたね」


 ここ二週間近く、異常種が出現していない。この間まで頻繁だったのがうそのように〈虚像〉たちの動きは安定していた。


「うん、ならいいんだ」


 彼はこくりとうなずいて、山田たちに視線をむけた。ついで自分も彼らを眺めてみる。

 山田はリリーに指先をつきつけて怒っている様子だった。彼女はじいっと兄を見上げて、それからほほえんだ。山田はたじろいだ。とろけるような声がかすかに聞こえた。


「……だって、シホと一緒にいたかったんです」


 廊下が急に長くなったように感じた。ぐんと伸びた床の向こう側で、リリーが山田の首に手を回した。彼女は目を猫のように細めて、愛おしそうにしている。


「美しい兄妹愛だねえ」とマルコが苦笑した。


「むこうでも、彼女のブラコンっぷりは有名だったけどさ」


「そうなんですか」


 心ここにあらずといった様子で返事をしたナオコに、マルコは「隙を見ると山田くんを追っかけまわしていたからね」と肩をすくめた。


「へえ……」


 買い物に行ったときは、妹に嫌われていると話していたのに。恨めし気に思って、急に愕然とする。

 なぜ山田の妹にこんな気持ちを抱いているのだろう。

 ナオコは深呼吸をして、自分を落ち着かせた。きっとあまりに可愛らしい子だったから、自分と比較して嫉妬しているのだ。

 邪心を抑えつけて「美男美女の兄妹でよろしいですね」と口にする。

 意図せずして皮肉めいた言い回しになった。よけいに落ちこむ。こんなやっかみを言うつもりではなかったのに。


「うーん、たしかにねえ」とマルコが同意するので、さらに沈んだ気持ちになる。

 そうこうしているうちに、山田たちが戻ってきた。彼らのつながれた手から目が離せない。


「話はすんだ?」とマルコが問いかけると、

「リリーをナオコくんに任せるのは、生活の面だけだな?」と山田が念押しをした。


「うん、彼女には相浦くんとバディを組んでもらう予定だから」


 実質的には由紀恵の補填ということだ。にこにこしているリリーに複雑な気持ちになる。

 いまの特殊警備部は、ケビンと山田を中心に安穏とはほど遠い空気をまとっている。そんな中に異分子たる彼女を放りこむのはいかがなものか。

 自分の不安そうな表情を察したのか、マルコは「相浦くんにはぼくから話すからね」とフォローを入れた。


「彼の気持ちもサポートしてあげたいんだけど、でもバディは最優先で必要だから。気持ちの整理は、みんなで少しずつやっていこう」


 きっちりとした励ましだった。

 ナオコは彼の気持ちに応えるように、こくりとうなずいた。事が簡単にいかないのは当然だ。ただ、そこで立ち止まっているだけでは何も変わらない。


「リリーさん」と呼びかける。

 彼女は「リリーと呼んでください」とにっこりした。


「それじゃあ、リリー。これからよろしくね。至らないところもあるけれど、できるかぎりサポートするから」


 彼女は目を細めて「わたくしこそ」と言い、握手をしてくれた。もう片方の手が山田とつながれたままだが、目をつむろう。


「……なにかあったら俺にすぐ言え」


 様子を見ていた山田が釘をさした。

 わざとらしく肩をすくめてみせる。


「わかっていますよ」


 本当は可愛い妹を自分なんかに任せたくないのだろう。彼は鋭い目つきをしていた。


「ちゃんと面倒見させてもらいますから」と安心させるように笑いかけると、リリーも口を開く。


「シホ、心配しないでください。ナオコさんと仲良くします」


「仲良くなんぞならなくていい」


 ぴしゃりと言われてひるんだのはナオコだけだった。

 リリーは口元に手を当て「あいかわらず心配性です」と上品にほほえんだ。


 もやもやした気持ちが再燃する。そんなにリリーと関わってほしくないのだろうか。信頼できないと思われているのか。

 不安な気持ちは、だんだんと苛だちへ変化していく。妹が心配な気持ちはわかるが、不信感をあらわにされるのは嫌だった。


 なので「ご心配しなくても大切な妹さんの面倒はちゃんとみますよ!」と嫌味っぽく言ってしまった。

 山田は渋い顔をしたが、なにも言い返さなかった。


「じゃ、ぼくは山田くんと話があるから。ナオコくん、よかったら彼女に施設の案内をしてあげてくれる?」


「もちろんです」


 一も二もなく同意するが、山田が「待て」と止めた。


「彼女の案内は俺がする」


「シホったら」と、リリーが照れ笑いをうかべた。


 やたらとむかむかしてきて「山田さん」と叱りつけるように話しかける。


「ちょっとはわたしのことも信用してください。施設の案内くらいきちんとしますから」


「信用とか、そういう問題では」


 山田が噛みつこうとすると、その顔前に両手が出された。彼はしかたなく口を閉ざした。


「はいはいはいはい、シスコンもたいがいにしようね」と、マルコが山田の背中を押した。


「リリーくんは、もう君の手を離れているんだよ、山田くん」


 山田はナオコとリリーを交互に見て、それから諦めたようにため息をついた。


「リリー」


「はあい?」と、彼女が小首をかしげる。


「あとで連絡するから、絶対に電話に出ろ」


 リリーは喜色満面といった顔で「もちろんです」と言った。マルコとナオコは兄妹の背中越しに、呆れかえった視線を交わす。


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