ディア・シスター
その日、ナオコたちは〈虚像〉二名に対処したのちに宿直のため本社へと帰った。
二人が玄関につくと、門前に白い扁平な車が停まっていた。コスモスポーツ、マルコの車だ。
「帰ってこられたんですね」と山田に話しかける。すると彼は不思議そうにした。
「だいぶ早かったな。まだ一週間しかたっていないが……」
アルフレッドの訃報は十月九日に届いた。そこから葬式の準備や引継ぎなどを見積もったとして、一週間はたしかに早すぎる。
「なにかあったんですかね」
ナオコが玄関をくぐると、山田も一緒についてきた。自室に帰らないのだろうかと考えていると「マルコがいない間の報告義務がある」と嫌そうに説明された。
エレベーターに乗って14階のボタンを押す。山田はそれをみて「宿舎は9階だぞ。忘れたのか」と手を出してきた。
「わたしもマルコさんの顔がみたいなーと思って」
手をさえぎって笑いかける。明日には特殊警備部のオフィスに顔を見せにきてくれるだろうが、帰ってきているなら、お帰りなさいの一言くらいは言いたかった。
山田はしかたがなさそうに「話は聞かせられないからな」と許してくれた。
「ありがとうございます」
14階のランプがともった。しずしずと廊下を進み、執務室の扉を山田がたたく。
「山田だが」
答えがない。ナオコは首をかしげた。
「部署のオフィスですかね?」
「さあな」と彼がもう一度手をあげた。そのとき、扉がパッと開いた。
「シホ!」
カナリアのような声がした。気づいたときには、小柄な女性が山田に抱きついていた。
全力で腰に手をまわした彼女を見下ろして、彼は驚きのあまり言葉をうしなった。ナオコもあんぐりと口を開けた。
「I missed you」
女性は胸元にぐりぐりと頭を押しつけて甘えた声を出した。あげられた顔の美しさに息をのむ。
黒い髪に薄い茶色の瞳をもっていて、彼と同じくどこか外国の血を感じさせる容貌だ。ナオコは胸がどきどきしてきた。彼女はもしかすると。
山田は動転した様子で、彼女の肩をつかんだ。
「まさか」
「その、まさか」
マルコが彼女の後ろから顔を出した。あまりの出来事に固まっていたナオコだったが、ようやく時間が動きだした。
「マルコさん」
彼はナオコに目を向けて「ただいま」とほほえんだ。少しやせたように見えるので心配になったが、彼自身はいたって元気そうな声で「紹介するよ」と言った。
「本当は明日、特殊警備部に連れていって顔あわせをする予定だったんだけど。君たちは特別だから……ほら、リリーくん」
肩をたたかれた女性は名残惜し気に山田から離れた。
「特殊警備部として日本支社に配属になったリリー・タッカーくんだよ……ナオコくんには前に話したよね?」
「え、ああ!」
アメリカに発つまえに彼が話していたことを思いだし、両手をポンと打つ。
「人員増強の件ですね?」
「そうそう。ほらリリーくん。彼女が5課3班の中村ナオコくん。君が指定した世話役」
リリーは今はじめて気づいたように、ナオコに目をやった。 すぐに大輪のバラのような素晴らしい笑顔をうかべる。
「Hi! I'm Lily・Tocker……its so nice to finally meet you,Naoko」
聞き取れない。ぽかんとしていると、マルコが苦笑しながら「リリーくん、日本語、日本語」と指摘してくれた。
「Ah,I got it」
彼女はせきばらいをしてから、仕切りなおした。
「わたくし、リリー・タッカーです。お話は聞いています! 兄のシホがいつもお世話になっています」
突然翻訳機にかけられたかのように流暢な日本語だった。先ほどとは別の意味であっけにとられていると、彼女はこちらの手をぎゅっと握り、真正面から見つめてきた。薄い茶色の瞳はまるで子猫のようにまん丸だ。
「あ、兄」
山田を見つめる。彼は透きとおりそうなほどに青ざめている。
「い、妹さん……?」
リリーに視線をもどす。彼女はほおに春がきたような笑顔だ。
「そうです、異父兄妹ですけれど」と、はにかむ。
すっかり混乱していたが、それでも社会人としての対応が体に染みついていた。ぺこりと頭を下げる。
「えっと、お話はかねがね……」
まさか彼の妹が、こんなに光り輝くような美少女だとは思ってもいなかった。さらには〈芋虫〉だったなんて想像もしていない。
「中村ナオコです。お兄さんには、いつもお世話になっています」
彼女は完璧な角度で礼をかえした。
「こちらこそです。これからは、わたくし共々よろしくお願いします」
ああ、これはシスターコンプレックスにもなるな。心からそう思った。こんなに素敵な妹がいたら、それは可愛くてしかたがないだろう。
「リリーくんの世話は、ナオコくんに任せるから」
マルコがそう言うと、絶句していた山田が「どうしてだ」とようやく口を開いた。
「彼女の世話なら俺がやる」
「だってリリーくんがそうしたいって言うんだから」
ナオコの肩にリリーの手のひらが乗せられた。ジャケット越しに感じる柔らかな手先の感触に、背筋がざわめく。
「わたし、ナオコさんと仲良くなりたいです。分かるでしょう? シホのバディです」
「あ、ありがとうございます?」
よく分からないが仲良くしてくれるのはうれしい、と思って礼を言う。リリーは微笑だけを返した。