思い出時
「知っていることをすべて話せ。さもなきゃ、あんたをこの場所には居させられねえ」
ケビンは憎悪をこめて山田をにらんだが、それも長く続かなかった。携帯が鳴りひびく。山田は電話に出ると「連れてこい」とだけ言って、すぐに切った。
歩き去ろうとする肩を、ケビンがつかむ。
「逃げんじゃねえよ」
「……新藤の知りあいが来ている」
ケビンはぎょっとして手を離した。
「彼女の行方について話が聞きたいそうだ」
マルコが居ない間は各部署の幹部たちが責任能力を受けついでいるが、他の雑多な業務に関しては山田が責任をもっていた。普段そんなそぶりを見せないのでナオコも忘れていたが、彼は本社組として日本支社でそれなりの権力を持っている。
マルコが居れば彼が対処するのだろうが、今は山田が代理だ。
「あんたが話をするのか? なら、俺も同席する」
当然のように彼が言い張ったので、山田は嫌な顔をした。
「なにを話すつもりなんだ」
「聞かれたことに答える。当然だろ? 俺にはその義務がある」
「義務?」
山田は鼻で笑った。殴られた痕が痛々しいが気にもしていないようだ。
「なるほどな。なら、君がやれ」
ケビンの目の前に携帯が突きだされた。
「新藤に関するすべての記憶を消してこい」
「は?」
ナオコは血の気を失った。ケビンはあんぐりと口をあけている。
「おそらく彼女が交際していた男だ。来年にはプロポーズする予定だったとかわめているそうだから、その記憶を一切合切消せ。携帯端末による電磁波だけでは威力が足りんだろうから、ショックを与えてから保全部の装置で調整する」
ケビンはわなわなと震えていた。再び山田の胸倉につかみかかる。
「んなこと、できるわけねえだろ!?」
空気の振動が分かるほどの絶叫だった。
「なんでそんなことしなきゃいけねえんだよ! 由紀恵の婚約者だろ!? なのにっ」
彼の声が徐々につまっていく。聞いていられなくて、ナオコはうつむいた。
「俺は、謝らにゃいけねえのにっ……」
「そんなことをしてどうする。彼には関係のない話だ」
山田は冷たく言いはなった。
「HRAが彼にしてやれることは、記憶処理だけだ。遺体が無い以上、新藤の死亡届は出せない。半永久的に行方不明扱いだ。彼の人生に延々とその事実を放置しておくつもりなのか?」
「だけど由紀恵にとって大事なやつだったんだろうが!」
ケビンは自分の言葉にショックを受けたようだった。知らず知らずのうちに過去形を使った。彼のこぶしから力が抜けていく。
「だからなんだ。相浦、さっさと受けいれろ。新藤は死んだんだ」
「山田さんっ」
ナオコは彼を責めた。あまりにもケビンが辛いだろうと思ったのだ。だが彼女の心配もよそに、ケビンは再びこぶしを振りあげていた。
にぶい音がした。
こぶしは弾かれ、山田が相手の腹に一発くらわせていた。くぐもった声をあげたケビンを見下ろす。苛立ちもなにもない無表情の内に冷ややかな拒絶があった。
「いいか、これは彼のためだ。君の責任だ義務だということは関係ない。そんなくだらない論理を持ち出す暇があるなら、やれることをやれ」
「……なにも語るつもりがないのに?」ケビンは顔を上げずにたずねた。
「あの戦闘で、あんたの様子はおかしかった。なにか知っているんだろう。それを説明するつもりもないのに、やれることをやれだ?」
ナオコはどう彼らを仲裁するべきか迷った。ケビンの言い分も分かるが、由紀恵の死の責任が彼にあるとは思わない。
ただケビンは、いてもたってもいられないのだろう。由紀恵は彼を庇って亡くなった。
彼の気持ちを考えると、どちらの側にも立つことはできない。
山田はこれ以上話すことはないとばかりに、玄関口に向かって歩きだした。
「あんたにとっちゃ、仲間なんぞどうでもいいんだろうな」
ケビンが立ち去る背中にむけて声をかけた。山田の足が止まる。
「由紀恵がああなった次の日にアメリカへ行っちまえる程度だもんなぁ……あんたに血も涙もないことくらい分かってたけどよ。中身まで化物だったとは思ってなかった」
山田は横目でケビンを見た。
「誰かが思いだすだけで価値があるだろうさ。俺がもしそいつの立場だったら、由紀恵のことを覚えていたい。そんなことも分からねえで、あんた……」
「分かっていないのはおまえだ」
叩きつけるようなセリフだった。ナオコは彼の表情に押し殺した怒りをみた。
「昨日謝ろうと思っていたことが謝れない。いつか言おうと思っていた礼の言葉も二度と伝えられない。覚えているとは、後悔をずっと抱えながら生きることだ。その荷物を彼に延々と背負わせつづけるのか? 俺たちのせいで彼は失ったんだぞ」
残酷な言葉だった。だが、それが真実だった。由紀恵が死んでしまったのは、彼女を助けられなかった自分たちの責任だ。
押しだまったケビンのまえに携帯が置かれた。無機質な機械は、前にも後ろにも進めない自分たちに突きつけられた現実のようだった。
「玄関先で待っているそうだ。保全部に連れてこい」
玄関から出ていく山田をケビンは追いかけなかった。おもむろに携帯を握り、ゆらりと立ちあがる。
「ケビン」
ナオコが気づかわしげに彼の背中にふれた。勢いよく振り払われる。
「わりぃ」と呟いて、玄関へと歩いていく。
しばらくしてケビンと現れた青年は、ごく普通の男性だった。よれよれのスーツを着ていて、ほおがこけている。ずっと眠っていないのか目の下にクマがあった。
普通の人よ。そんな風に由紀恵は話していた。本当だった。どこまでも平凡なサラリーマンだ。
心配そうに周囲を見渡し「由紀恵はどこですか」と話しかけている。
ケビンはなにも話さなかった。
視界がにじんでいく。シャツのすそで、ぐいぐいと拭って彼らの後ろ姿を見送った。
ホールは青年の懸念だけを吸いこみ、彼らがエレベーターに乗りこむと静かになった。