恒常化、祈りの果て
山手線改札をくぐった二人は、雑踏を駆け足で進んだ。迷惑そうにする人たちを避けながら、スクランブル交差点につく。
「座標は」と、山田がたずねた。
「ちょうど真ん中です!」
信号はまだ赤だ。群衆をかきわけて前に進みでる。交差点を規則正しく車が通りすぎていく。
はやく、はやく、変われ。ナオコは信号をにらみながら気持ちをはやらせた。
「交戦中の可能性が高い。離れるなよ」
「はい」
車道側の信号が赤に変わった。まばらに人が歩きはじめる。
山田がナオコの腕をひいて走りだした。アスファルトを踏みしめた足先から電撃のような寒気がはしる。
まばたきをする。二人は誰もいないスクランブル交差点の真ん中に立っていた。
山田がナオコをかかえて飛んだ。足元から突きでた白い触手を目視して、横にころがる。
「5課3班、山田志保。精神分離機の使用許可を申請する!」
彼の右手に青いペーパーナイフが出現する。ナオコも同じく申請して、ゴルフクラブをつかんだ。
交差点の真ん中に巨大な蛇が生えていた。まるで電柱のようだった。以前ナオコが対峙した蛇よりも、数倍大きい。
「爬虫類ですか?」
「いや」
山田がさっと周囲に視線を走らせた。交差点の向こう側から破壊音がひびく。アスファルトが左右に裂け、ひび割れていく。
「よけて!」
叫び声が聞こえたが早いか、前にむかって転がる。背後で地面が沈んだ。あわてて逃げようとすると、由紀恵が駆け寄ってきて、手をつかんでくれた。
「由紀恵さん……!」
ナオコは彼女が無事だったことに安心した。しかし、その全身が傷だらけであると気付いて顔色を変える。
「ケビンは?」
「いま、もう一体を引きつけてる」と、早口で言った。
「もう一体?」
由紀恵は絶望的な表情で「双子よ」とつぶやいた。
「おいっ、ぼーっとしてる暇はないぞ!」
山田が怒鳴った。アスファルトがぼこぼこと沈んでいき、二匹目の蛇が地面から出現した。
巨大な蛇は牙から灰色の液体をたらして、ナオコたちを威嚇した。
「ダメだっ」とケビンが足を引きずらせながら近づいてきた。
「ぜんぜん歯が立たねえ、こいつら……」
蛇の体に、もう一体の蛇がからまっていく。白くいびつな塔は、二つの頭と四つの目で自分たちの獲物を興味深そうにながめた。
山田がふいに顔を真っ青にした。
「イキトシ」
「イキトシ」
空から音がおちてきた。間違って黒板をひっかいてしまったときのような音だった。
「イケトシ」
「イケトシ」
蛇たちはお互いの顔を見つめて、裂けめのような口を開いた。哄笑しているような表情を浮かべ、灰色の瞳で人間を見下ろす。
「イカサズ」
「イカサズ」
山田がナイフを片手に走りだした。
「ブージャム、ブージャム、ブージャム」片方の蛇がいななく。
「黙れっ!」
彼は怒号をあげながら、蛇の体を駆けあがる。呆然としていたナオコたちも武器をかまえて、もう一体の蛇に攻撃をしかけた。
「ブージャム、ブージャム、ナゼナゼナゼナゼ」
「ナゼナゼ、ブージャム、ワレワレワレ」
壊れたスピーカーのように鳴きつづけている蛇の側面にかけより、ゴルフクラブを振りおろす。がつん、とヘッドが弾かれた。鉄を殴ったかのような感触にぎょっとする。同じく由紀恵も槍を突きたてるが、刃は数センチも埋まらないようだ。
山田が蛇の頭部にたどりついた。巨大な瞳が目前にいる彼をとらえて細まった。
「ブージャム、ブージャム、コイコイコイコイコイ」
ナイフが瞳に沈んでいく。
灰色の涙を流しても、蛇は抵抗をしなかった。笑っているように見える。
「マツマツマツマツマツマツマツ、ワレワレワレワレワレワレワ」
腕が深く沈んでいき、口がだらんと開かれたままになる。
「ケビンっ」
ケビンがもう一体の蛇の側面によじ登っていく。
「気を引け!」と叫び、振り落とされないように必死だ。
ナオコと由紀恵は二手に分かれ、蛇の気を引こうと攻撃をつづけた。粉塵をたたせながら、白い触手がのたうちまわる。
山田は蛇の死体から飛びおりると「相浦、離れろ!」と叫んだ。
「そいつは……」
ケビンはその言葉を聞かず、蛇のまぶたに指をかけた。皮膚が固いならば柔らかいところをやるしかない。
「イキトシ、イケトシ、イカサズ」
騎兵銃が火を噴く。ずどん、と銃声がひびき、銃弾は蛇の眼球からあごまでを突き抜けた。牙をむきだしにした口から、灰色の血が滝のように落ちた。
やったか、とケビンがつぶやく。
ゆらりと蛇の体がかたむいたので、彼は頭部から飛びおりた。
次の瞬間、アスファルトにひびが入った。
ナオコは由紀恵が飛び出していくのを見た。槍を脇にかまえて、ケビンに向かって投げる。落下していく彼の肩に槍が突き刺さり、血が噴きでた。彼の靴先を牙がかすめる。
地面から姿をあらわしたもう一匹の蛇は、食い逃した獲物を惜しそうに見た。そして両手をひざにつけている由紀恵をぎろりとにらみ、頭部を彼女へと向けた。
ナオコは手を伸ばした。由紀恵は呆然として立ちすくんでいる。ケビンが地面に落ちた。
視界が暗くなった。音がすべてなくなった。
気づいたときには、スーツの胸ポケットしか見えなかった。心臓が鳴っている音が、ナオコの心音と混ざっている。
「や、まださ」
「見るな」
頭を胸に押しあてられると、ひざから力が抜けた。
「みるな、って、なんで」
頭を強く抱えられて、後ろをふりかえることすらできない。驚くほど世界は静かで、なんの音も聞こえなかった。
ケビンの絶叫が聞こえた。
視界は暗いままだ。なにも見えない、わたしにだけ、なにも分からない。
心音が混じっていく。イキトシ、イケトシ、イカサズ。蛇たちのささやきが脳内をめぐる。