どっちつかず
「そういうことがありまして」
ナオコは横にすわっている由紀恵に、あらかたの事件を話して一息ついた。
「山田さんがシスコンだってことが分かりました」
「うふふ、ふっ、あはははは」
由紀恵は笑いがこらえきれなくなったのか、ソファのふちに体を預けて爆笑した。
「そ、そう。山田さん、あははは、たいへんなシスターコンプレックスをお持ちだったのね。ああ、ああ、もう分かったわ。それでナオコちゃんに、あの態度。ふふ、こじらせてるわねえ」
山田と買い物をした三日後、ナオコは出動前の休憩室でいつものように由紀恵とよもやま話に花を咲かせていた。飯田のことを話すと彼女は多いに喜んでくれたが、ついで「山田さんとは最近どうなの?」とたずねられてからの、この話題だ。
「やっぱり由紀恵さんもそう思います?」
「それはそうとしか思えないでしょう。あの人ナオコちゃんのこと妹みたいに思っているのね。ああ、でも分かるわ」彼女はひとしきり笑ってから、姿勢を正した。
「ナオコちゃん、妹っぽいもの」
「……じつのところ、わたしも山田さんが兄のように思えてきました」と、深いためいきをつく。
「このあいだから、山田さんが可愛くみえるんですよね。おかしいです。あれですかね、ものを与えられたから、急に現金な部分が出てきたんですかね」
「ふっ、やめて、ナオコちゃん、わたしを笑い死にさせないで……山田さんがかわいい? ああ、無理だわ」
由紀恵は真剣な表情をしているナオコを見れば見るほど笑いがこみあげてくるのか、顔を両手でふさいだ。
「もしかすると、これまでの反動かもしれません。最近、仲良くしてくれているので」
「それはあるかもしれないけど、あの人ぜんぜん可愛くはないわよ」
「分かっていますけど、でもなんだろう。意外と素直というか変なところで真面目ですよね、あの人。そういうところがカワイイというか」
「もう、分かったわよ」由紀恵はナオコの言葉を止めた。
「そういうことなら、やっぱり飯田さんとお付き合いなさいよ。わたし、妙なお節介やいちゃったわ。てっきり山田さんのことが好きなのかと思っていたから」
ナオコはソファから転げ落ちそうになった。
「それはないです!」
「そうよねえ、兄のように思えるってことは、恋愛対象外ってことだものね」
当然のように語られる言葉にナオコは動じた。たしかにそうだ、兄のようであると思えるわけだから、自分にとって彼は恋愛対象外なのだろう。それは山田からしてもそうだし、ナオコにしてみてもそうだ。
由紀恵の発言は安定した形のなにかとなって、すとんと心に落ちてくる。
「正直わたし、まだ自分が飯田さんのことをどう思っているのか分からなくて。こんな感じで承諾してしまっていいのかと」
それは本当のことだった。いまだに現実感がないのも理由かもしれないが、飯田の告白に応じられるだけの思いが自分にないことだけは分かる。
「それでもいいのよ。わたしだって今の彼氏はむこうから来てくれたけれど、最初はそんなに好きじゃなかったわよ」
「今は?」
「好きよ。あたりまえじゃない……時間がそうさせるの」
あいかわらず由紀恵は成熟している、と感心する。両手をぽんと打って「参考になります」とうなずく。
飯田のことが好きか否かは分からないが、たしかに初めから完璧に相思相愛の恋人どうしなんていないのかもしれない。
時間が二人をそうさせるのならば、飯田の思いを受け取りたいとナオコは思った。彼と一緒にいることが楽しいのは事実だし、なによりもその気持ちを拒否したくはなかった。
休憩室の扉がひらき、二人は視線をそちらに向けた。
「おっと」と声をあげたのは、マルコだった。
「ガールズトークの邪魔、しちゃったかな」彼はそう言いながら迷いなく近寄ってきた。
「いえ、そんなことはありませんよ」由紀恵はにっこりとほほえんだ。彼女の雰囲気が変わったことを感じて、ナオコは冷や汗をながした。
「わたしたちに、なにか御用でしょうか?」
マルコは鉄仮面のような笑顔の彼女に同じくらい完璧な笑みをかえすと「ナオコくんにちょっとね」と手招きをした。あわてて立ち上がり、彼とともに部屋のはじに寄る。
「今日、出動命令がかからなかったら、お昼どう?」と彼がささやいた。一も二もなくうなずく。背後からささる由紀恵の視線が痛い。
「ふふ、よかった……じゃあお目付け役が怖いから、このへんで」
彼はにこりと笑うと、すぐに休憩室から出て行った。
すると、すぐに「いけすかないわね」と由紀恵が吐き捨てたので苦笑する。
「なんで由紀恵さんは、そんなにマルコさんが嫌なんですか?」
彼女はしばらく考えたあとに「あの人が嫌いなわけじゃないわ」と言った。
「違うのよ……そうね。マルコさんが嫌いというよりも、あの人が精神分離機を発明したってことが怖いのかもしれない」
「怖い?」
想像もしていなかった言葉に首をかしげた。由紀恵は精神分離機が導入されるより前から働いているが、怖いなんて感想を聞くのは初めてだった。
「こんなこと言っていいものか分からないけれど」由紀恵は視線をそらした。
「精神分離機って、ほんとうに私たちのために作られたものなのかしらね」
「どういう意味ですか?」
由紀恵は唇をかんで「前から不思議に思っていたのだけどね」とつづける。
「むこうの世界からやってくる〈虚像〉から、こちらの世界を守るために人為的に作られた場所、それが〈鏡面〉よね。肉体と精神の結びつきが弱くなる……こことは違う場所」
彼女は考えながら、言葉をつづける。
「精神分離機はその名が示すとおり精神を肉体から分離させる効果を持つわよね。それにより〈虚像〉を手早く倒すことができるようになった。それは認めるわ。ただ、それは私たちがより精神エネルギーそのものに近しくなっているってことよね。それってある意味では」
彼女がそれを口にするのを止めなければいけないような気がした。
とっさに「ゆきえさん」と口をひらく。なんだか取返しのつかない予感がした。寒気がする。
「わたしたちが〈虚像〉に近づいていることにならない?」
ナオコはぼうぜんとした。そんなことがあるのだろうか。〈鏡面〉の存在や精神分離機について、そこまで深く考えたことはなかった。
急に首筋に埋められた精神分離機が気味の悪いものに思えて、そこを手でおさえた。
「……ごめんなさい、変なこと言ったわね」
「いえ」
由紀恵は妙に静かな声で「でも、マルコさんには気をつけて」と言った。
「あの人、あなたが思うほど良い人じゃないわ」