こんな日に、いつか夢をみる
「ろくな服を持っていないんだから、文句を言うな」
山田はそう言いながら財布をとりだして、カードを店員にわたした。
ナオコは仰天して止めようとしたが、店員のほうが一歩早く「少々お待ちくださいませ」とニコニコしながらレジに行ってしまった。
「待って、待ってください。落ちつきましょう」
なぜ彼が支払っているのだろう。両手で山田の手をつかみ「なんであなたが払っているんですか、おかしいでしょう」と詰問する。
彼は「もともとそういう話だったろう」ときょとんとした。
「いつそんな話が出ましたか? 落ちついてください。なにかいやなことでもあったんですか、どうしたんですか」
「落ちつくのは君のほうだろう……これは投資だ。投資先に文句を言われる筋合いはない」
「山田さん、今日変ですよ!」一歩しりぞいて叫ぶ。
「やっぱり嫌なことがあったんでしょう。それか、なにかたくらんでいますね。あれですか、取引をなしにしようとでもしているんですか? そういうことなら受けつけませんからね!」
山田は店員が持ってきたカードと控えのレシートを受け取った。
「妹さん照れちゃってるんですねえ」とのんきなことを店員が言うので、彼も面倒くさそうに「そうだな、まったく可愛いものだ」と返した。
もはや何も言えなかった。山田といると、こういうことが当然のように繰り返される毎日ではあるが、この類の振り回され方は初めてだった。心の底から恐ろしい。
天変地異でも起こるんじゃないかと怯えていた彼女だったが、幸いなことにおどろくほど順調に買い物はすんだ。
彼の見立ては嫌になるくらい正しく、ナオコが与えられるものに口をはさむ余地は一切なかった。
そしてどの店に足を運んでも必ず「彼女さんですか?」と問われるのにたいし、山田は妹であるとうそをついたので訂正をするのをあきらめた。
こんなに顔の似ていない兄妹も珍しいのではないかと思ったが、世の中複雑な家庭事情の人も多いためかだれも突っ込んで聞いてきたりはしなかった。
「本当にいいんですか? 取引をなしにしたりしませんよ?」
紙袋のなかをのぞきこんで何度もたずねると、彼は「投資だと言っているだろう」とうんざりした。
「たいした額のものを買ったわけじゃないんだから、うるさく言うな。それより、それを使って結果をだせ」
今日確認した値札の総額を考えると結構な数字のように思えたが、彼は相当貯めこんでいそうだ。
「いいんですね?」と、恐る恐るたずねる。
「構わない。だから、さっさと結果を出せ。その男とうまくやれ」
「はい……ありがとうございます」
彼がなにを思っているにしても、少なくとも悪意ではなさそうだった。普通に服を買ってもらえてうれしかったし、久しぶりに買い物を満喫できた。
山田は目を細めて「ああ」とうなずいた。
二人は買い物を終え、一息つくために喫煙所に立ち寄っていた。山田がタバコを吸うのを待つ。
「山田さんってもしかして妹さんいるんですか?」
彼はぴたりと動きを止めると、うなずいた。
「やっぱり」
だから「妹だ」なんて突飛なうそをついたのだ。きっと恋人同士という設定よりも買い物がしやすいと考えたのだろう。
言われてみれば彼は長兄らしい性格だ。お節介焼きで妙に心配性なところや、その割に自分自身のことには構わない部分なんていかにもである。
「山田さん、絶対妹さんのこといじめそう」と冗談めかして言ってみる。
「いじめはしなかったが……嫌われたな」
彼は肩をすくめた。
「妹さんは、いまアメリカに?」
彼はなんとも言えない顔をした。それでナオコは彼の父親が亡くなっていることを思いだした。家庭のことを話題に出すのはよしたほうがいいかもしれない。
「さて、そろそろ行くか」
ナオコは彼の後をついていきながら、なんだか落ち着くなと思った。
自分は一人っ子だが、きっと彼の妹は今のように、早足の彼を小走りで追いかけたのだろう。
うらやましい。
自然とそんなふうに思って驚き、すぐに納得する。
山田のような男を好きでは大変だと思ったばかりだが、もし兄弟だったのならば頼りになりそうだ。
悠々と歩いている山田の後ろ姿に、ふといたずらをしてやりたくなった。買い物が想像より楽しかったからかもしれない。彼のお節介に、形状のとらえられない親愛を感じたからかもしれない。
足をはやめて彼に近づき、袖をつかむ。
「おにいちゃん、ちょっと歩くの早いですよ?」
彼は目を丸くした。時間が停止したように足を止め、そしてなにか言おうとして、むせる。
動揺している様子をみて、してやったりという気分になる。
「やだ、山田さん。妹さんのことがそんなに恋しいんですね!」
「……悪かったな」
彼は思い切り気まずそうにしながらも素直にそう認めた。先ほど嫌われたと言っていたから、きっと仲良くしたくともできない状況なのだろう。
「大丈夫ですよ、山田さんはいいお兄ちゃんですよ」
調子よく彼の背中をたたく。申し訳ないが、弱みを発見したことがうれしかった。
こんな男の弱点が家族だなんて、なんてかわいらしいのだろう。
「妹さんにも今日みたいにしてあげれば、きっと喜んでくれます」
「調子にのるな」
彼はぎろっとにらんだが、耳が赤いので怖さは半減だ。
「いいじゃないですか」と、くすくす笑う。
「本当に妹さんのことが好きなんですね」
彼はしばらく憮然としてだまっていたが「俺とはまったく違う人間だからな」とつぶやいた。
「可愛くもなるさ、それは」
その瞳には抑えられないほどの愛情があった。
「……山田さん」
その顔を妹さんに見せてあげればいいのに、と思う。ああ、だが、本当の兄妹だったならば、こんなことを思わないのかもしれない。
ナオコは胸のなかに生まれた、顔も知らない彼の妹をうらやんだ。
彼にこんな顔をさせる女性は、どんなにか素敵な人なのだろう。ちくりと胸をとげが刺し、彼女は気落ちしている自分を不思議に思った。