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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れない男の夢
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カラオケは本性が出る

 その週の水曜日、仕事を終えたナオコは飯田と渋谷のカラオケボックスにいた。

 あちこちから聞こえる騒音じみた歌声を聞きながら、二人はぎくしゃくと席についた。

 ナオコは後悔していた。カラオケデートはそこまで親しくない男女が二人きりで来るような場所ではないかもしれない。自分から誘った手前いまさら引けなくなってしまったが、飯田も気まずそうな顔をしている。

 彼らはそれぞれ別のソファに腰かけ、絶妙な距離感をとった。


「……なにか頼みましょうか」と彼が提案したので、一も二もなく同意する。少しはお酒をいれないと、やっていられない。

 飯田はウーロンハイを、ナオコはレモンサワーを注文して、おつまみセットを肴に乾杯した。沈黙がおりるまえに「仕事に復帰できたんですよ」と話題をふる。


「飯田さんのアドバイスのおかげです。例の上司と少しだけですけど、打ち解けることができて……今度はうまくやっていけそうなんです」


 ずっと彼に感謝したいと考えていたため、グラスを机のうえにもどして「ありがとうございました」と頭をさげる。

 飯田はおだやかそうな目をさらに細くして「どういたしまして」と返した。


「良かったです……その方ときちんとお話ができたんですね」


「まだ完全にオープンハートって感じではないですけどね。でも飯田さんに言われて気づきました。ちゃんと相手のことが知りたいっていう気持ちを伝えないとダメですね」 


 ナオコはうんうんとうなずいた。わずかながら山田と距離が縮まったのは、彼の秘密を知ったことが大きな原因ではあるが、そのためには飯田が教えてくれた「人と向き合う方法」は大事なヒントだった。


「気難しい人ですけれど、最近は違う顔もみせてくれるようになって、なんだかうれしいんです」


「よかった」と彼はくりかえし、こめかみを指でかいた。


「正直うるさいことを言ってしまったなって思っていたので、中村さんがそう言ってくれると、説教くさい奴でいた甲斐があります」


 ナオコはポテトをケチャップにしずめながら「飯田さんは説教くさいというより、先生っぽいですよね」と指摘した。


「それ、ぼくが眼鏡だからですよね?」とわざとらしく眼鏡をかけなおすので、ナオコは「そうです」とにやけた。


「ほらほら、わたし、飯田さんの歌が聞きたいです」


 彼の手元に曲を入れる機械を押しだす。


十八番(おはこ)、おねがいします」


 彼は少しだけ渋ったが、もともとカラオケに行くと真っ先に歌わされるポジションなのだろう。すぐに曲を決めて立ちあがった。


「引かないでくださいよ?」と、照れながら、びしりと指をたてる。


「えへへ、楽しみです」


 聞きおぼえのあるイントロが流れた。最近放映されていたドラマの主題歌で、女性ボーカルのポップな曲だ。女声の歌なのか、と驚いたが、彼が歌いはじめてすぐに感心せざるをえなかった。

 飯田の歌は文句なく上手かった。なによりも声が良い。明るいが繊細な歌詞とかすれた声のバランスによって、原曲にはない魅力をかもしだしている。

 彼は淡々と歌っていたが、曲が終わると両手で顔をおおい「恥ずかしい」とつぶやいた。

 ナオコは心動かされてしまい「すごいです」と手を合わせた。


「飯田さん、ほんとうに綺麗な声ですねえ……うらやましい」


 声にフェチズムを感じる人の気持ちが分かる。飯田は見た目こそ落ちついているが、喋りだすとほのかに色気がでるのだ。歌っているときなどは、彼には悪いが普段の何倍も魅力的にみえた。


「これは、戻ってきてほしいでしょうね」と、他愛なく口に出す。


「ファンの方、多かったでしょう?」


「いや! そんなことないですよ」

 

 飯田はひざをしきりにこすって「ファンなんてとてもとても」とはにかんだ。


「ほら、ぼくは地味ですから」


「えー、違います。そこがいいんです……普段はバンドマンっぽくないのに、歌うとそういう感じになるのが、ぐっときます」


 レモンサワーが回ってきたのか、ナオコは両手を胸のまえで握りしめて熱弁した。


「女性はギャップに弱いですから。飯田さんのそのギャップはたまらないと思いますよ」


 彼は小さくなって「そうなんでしょうか」と言った。そしてナオコに目をやると「……中村さんにそう言ってもらえると、うれしいですけれど」とぼそぼそ口にする。


「わたしだけじゃなくて、みんなそう思いますよ」


 ナオコは彼がなんともいえない顔をしたのをみて、返答を間違えたことを知った。これは彼なりのアピールだったのではないだろうか。そう考えついて、わずかな酔いが覚めていく。

「その、えっと」と、フォローの言葉をつづけようとする。


「……やっぱりちゃんと伝えないとダメですね」


 彼はにやりと笑ってマイクを持った。


「中村さんに褒めてもらえて、とてもうれしいんです。ありがとうございます」


 ぴしりと敬礼をしてみせた彼に、胸のあたりが温かくなる。


「どういたしまして」と、笑いかける。

 飯田は機械をナオコに手渡し「こんどは、中村さんの歌が聞きたいです」と親し気にした。


「ぼく、じつは中村さんの声、好きなんですよ。すごくかわいくて……」


 調子のよい言葉を聞き流して「うーん、どの曲にしましょうか」と独り言つ。かわいいなんて単語に反応してしまいそうになるのが恥ずかしかったのだ。


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