表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れない男の夢
4/173

NO! 喫煙室

 オフィスは、人の出入りが激しかった。しきりに携帯が鳴り、出動していく。日本支社にいる特殊警備部は34名で、おもに東京を中心とした関東地区を担当している。ほかには、大阪と福岡、北海道に派出所があるが、会社としての機能は東京が圧倒的だ。

 というのも、〈虚像〉は、人口に比例して出現する特徴があるからだ。関東でも、特に都内に現れやすい。


 14時半になって、ナオコはパソコンを閉じた。1時間半もかけて、ようやく今朝の報告書を完成させられた。首をまわして、ためいきをつく。文章を書くのが苦手だった。

 マルコと約束の時間まで、あと1時間半もある。荷物をまとめて仲間にあいさつをし、オフィスを出た。廊下をすぐ左に曲がり、白い扉をあける。横には『祈祷室』の看板がかかっていた。


 各国のHRA支社には、その国に根づいた宗教の祈祷室が設置されている。なかは、八畳ほどの小部屋で、壁ぎわの高い位置に、神棚が設置されていた。


 ナオコは、バッグを床におき、立ったまま礼を二回、柏手を二回して、目をつむった。たっぷり三秒たってから、目をひらき礼をもう一回する。

 毎日の習慣だった。いつもは朝、出勤時にやるのだが、今日はまだだった。ナオコは信仰心があるほうではなかったが、〈芋虫〉の仕事がら、やらないと落ち着かないのだ。


「きちんとしているな、そういうところは」


「うわあっ」


 ナオコは、思わず飛びあがった。カバンを盾にふりかえると、山田が扉の横にもたれかかっていた。指にタバコをはさんでいる。


「信仰心がなくとも、儀式を大切にする姿勢は悪いものではない。相浦なんて、そもそも祈祷室に入ったことがないだろうな」


「いや、え?」


 動転して、目を白黒させる。扉が開いた音はしなかった。


「いつ入ってきたんですか?」


「最初から居たが」


 山田は、呆れた顔をした。


「君の警戒心の薄さは異常だな。よくそれで、これまで生きてこれた」


「ぜんぜん気づかなかったです……」


 ナオコは、顔を赤らめた。


「一年も〈芋虫〉として働いているわりには、気配に鈍いな。向いてない」


 山田はタバコをくわえ、ライターをジャケットの内ポケットから出した。

 あわてて彼に駆け寄り、タバコに手をのばす。しかし、上を向かれてしまうと手が届かない。今度はライターを標的にするも、見事なまでにかわされた。


「小さくてかわいらしいな?」と、山田が鼻で笑った。


 ナオコは、さらに顔を赤くした。


「ここ喫煙室じゃないですよ!」


「知っている。喫煙室が遠い」


「わざわざ祈祷室で吸うことないじゃないですか!」


 タバコに火がついた。煙が細くたなびき、メンソールの臭いがする。ナオコが嫌なのは、両親ともに愛煙家のため、彼の吸うKOOLの臭いを、それほど嫌悪できないことだ。

 ただ、やはりルールは守るべきである。

 不愉快に思いながら、部屋を出ようとすると、

「待て」と呼び止められた。


「なんですか」


 ナオコは、むっとして、彼をみあげた。 


 タバコは、彼の手の中にあった。煙を吹きかけられる予感がしたので、とっさに目をつむる。

 しかし、彼は顔をそらして、煙を横に逃がした。

 ナオコは拍子抜けした。そして、さらに嫌な気持ちになった。煙を吐く横顔がさまになるのだ。


「辞めないのか?」


 今日の天気を、たずねるかのような問いだった。


「今朝のようなことをするくらい、俺は君と仕事をするのが嫌なわけだが、それでも辞めてくれないのか?」


 心のなかで「きたか」と、つぶやく。実は、この質問をされるのは初めてではない。

 バディを組んでから、彼は幾度も「仕事を辞めろ」とナオコに迫っている。


「辞めないですよ」と、はっきり答える。


「さっきも言ったが、君はこの仕事に驚くほど向いていないぞ。それでもか?」


「そんなこと、ないです」苦しまぎれに答える。


「ほお、いまだに〈虚像〉一体も仕留められないのに?」


 ぐっと詰まる。


「それは、山田さんが、わたしに仕事をさせてくれないから」


 ナオコは、そう言いながら苦しいものを感じた。

 山田の邪魔も理由のひとつだが、いまいち自分が活躍できていないのは事実だ。


「人のせいか。まあ、いいが」


 山田が、冷たく言う。


「それで? どうして仕事を辞めない」


「だから、そんな簡単に辞められないですってば」


「俺はどうして、と聞いているんだ。簡単に辞められないとか、そういうことを聞いているんじゃない」


 不審げに山田を見あげる。いつもなら、拒否した時点で会話を切り上げてくれるのだが。


「どうして君は、この仕事を辞めないんだ?」


 ナオコは、しかたがなく「食べていくためですよ」と、答えた。


「働いて自立しないと生きていけないでしょう? あたり前のことです」


 そして、精一杯の気概をこめて、にらみつける。だが山田はどこ吹く風といった顔で、

「なるほど」と、独りごちた。


「やはり、そういうことだったか」


「は?」


 彼は、にわかに携帯を取り出し、ケースの裏にはさんであった紙片をつきだした。


「知りあいが、中途で事務員を募集している」


「……はい?」


「月給二十五万円スタート、一部家賃手当あり、福利厚生完備、ボーナスは年二回の、完全週休二日制だそうだ。なかなか良い条件だと思わないか」


 ナオコは、名刺と山田を見比べた。いたって真剣な顔だ。


「や、山田さん」


「面接と簡単な試験があるが、人手不足らしいから、へまをしなければ大丈夫だそうだ」


「山田さん」


「受付が主な仕事で、文章力、PCスキル共に壊滅的でも大丈夫とのことだ。安心だな」


「……山田さん、わたし、行かなきゃ」


 山田を押しのけ、ふらふらと部屋を出る。

「おい」と声をかけられたが、呼びとめられる気は、毛頭なかった。


 扉をしめる。

 ナオコは深呼吸をしてから、廊下を歩いた。

 オフィスと反対側の壁に、大きなガラス戸がかまえている。扉を開くと、だだっ広い空間があった。スポーツセンターのような内装だ。端にモニターと、棚が備えつけてある。

 知り合いの顔を発見する。


「ケビン!」


 部屋のなかを駆けずりまわっていた相浦ケビンが、

「どうしたあ?」とふりかえった。


 彼の頭には、MR機器が装着されていた。手に騎兵銃のレプリカを抱えている。


「なんか用か?」


「実戦練習しない?」


 ナオコはジャケットを脱ぎ、五課三班のロッカーに放りこんだ。代わりに、ゴルフクラブを取りだす。先端がゴムになっている特注品だ。

 彼女は、クラブをひと振りして、太い息を吐いた。


「べつにいいけど、急にどうしたんだよ?」


 ケビンは、彼女を見て目を丸くした。


「なんかあったのか? すげえ顔してるけど」


「えへへ、ちょっとね」


 ナオコは無理やり笑った。それは、度を越えた怒りがもたらす笑顔だった。

 ケビンがほおを引きつらせて「怖え」と、つぶやく。

 モニターに触れると、訓練メニューが表示された。


〈1 魚類 2 両生類 3 爬虫類 4 鳥類 5 哺乳類〉

 と、表示されている。


 彼女は、迷うことなく、5の哺乳類を選んだ。

 ケビンが顔をしかめる。


「おい、中村。なんか機嫌が悪いのは分かるが、あんまり無茶はしねえほうが……」


「大丈夫大丈夫」


 ナオコは、抑揚のない声で返す。

 MR機器をつけると、視界が青みがかった。右上に〈虚像〉左上に使用者のデータが表示されている。


 部屋の中央に、巨大なウサギが出現した。真っ白な皮膚に毛は生えておらず、灰色の目をぐるぐる回しながら、前脚で顔をなでている。哺乳類型の〈虚像〉だ。


「まじでやんの? これ、去年出現したなかでも一番の大物だぞ」


「大丈夫大丈夫」


「……おまえが大丈夫じゃないことはわかった」


 ナオコが床を蹴った。ウサギの背中にまわりこみ、体重をのせてクラブを撃ちこむ。

 回転する視界に、緑色の「HIT」が出る。

 ウサギが、後ろ足でナオコの顔面を蹴り飛ばそうとしたが、すんでのところで身をかがめ、左太ももにむかって、もう一発撃ちつけた。


「いい感じじゃん」


 ケビンは騎兵銃をかまえ、ウサギの頭にむかって空気砲を撃った。耳に直撃したウサギが、右によろける。

 体勢を整えたナオコは、致命傷をあたえようと、脇へ駆け寄った。


「うわっ」


 視界が、赤い文字の「HIT」で埋めつくされた。

慌てて後ろに下がるが、すでに遅い。ウサギの背面げりが、顔に当たったらしい。

「訓練終了」の文字が浮かびあがっていた。




 五分後、ケビンも強制的に訓練を終了させられた。

 彼は、膝をかかえてうつむいているナオコに近づき、

「あのよ」と、頭をかいた。


「哺乳類はさ、やっぱり無理だって。中村が特別に弱いとは思わないが、ここにいるベテランの〈芋虫〉でも、バディと協力してようやく勝てる相手だぜ? 異動してきて一年のおまえが勝てるわけないだろ」


 ナオコは、ちらっとケビンを見あげると、再びうつむいた。


「あのウサギ、だれが倒したんだっけ」


「……あー」


 ケビンは、あごをポリポリかいて、うなった。彼女の言わんとすることを掴んだのだ。


「ほらよ、しゃくな話だが、山田の野郎は、ほんっとに昔から〈芋虫〉としてやっているわけだからさ」


「うん」


「それに、アイツの身のこなし見てみろよ。あれは絶対に軍で経験積んだ動きだ。俺の見立てじゃ、グリーンベレーの動きに近いな」


 ケビンは、忌々し気に「アイツは化物なんだよ」と吐きすてた。


「だから、あんま気にすんな」


 肩をたたかれて、ナオコはしょんぼりした。


「気にしないようにしていたけど、さすがに名刺持ってこられるとね」


「は? 名刺?」


「知り合いが事務員を募集している。良い条件じゃないか、だってさ……」


 ナオコは、背中に幽霊でも背負っているような顔で、話つづけた。


「わたし、知らないところで、山田さんになんかしちゃったのかなあ。単純に仕事ができないだけで、あんなことする? もしわたしが嫌なら、バディ変えればいいのに」


「でも、そう言うと『俺とバディを組まないと、君は即死だ』って言うんだろ?」


 ケビンは、山田の真似なのか、あごをつんと上げた。


「とにかく、おまえをHRA(うち)から追い出したくて仕方ねえわけだ」


「そうなんだよ」


 ナオコは頭をぶんぶんと振った。山田の考えていることが、まるで分からない。


「もうさ、わたしのこと、死んでもいいとさえ思ってそうだよね。正直つらいや」


 ケビンは憐れむようにナオコを見た。


「ま、しかたねえさ。マルコさんに頼めや。いまのおまえの顔みたら、聞いてくれるって」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ