君のために折る
「わたし、山田さんが自分に似ているって思うときがあるのよ」
「どんなところがですか?」
そんなところがあるだろうか、と思考をめぐらせる。由紀恵と山田の共通点なんて、〈芋虫〉としての歴が長いことくらいしか見当たらない気がするが。
「信仰があるところ。それも、神様にたいするような信仰じゃないわ。もっと泥臭くて、もっと尊い」
由紀恵は歌うようにつぶやく。
「神様なんてこの世界にいないって、山田さんもきっと知っているのね……それでも、信じているのよ。そういう目をしていることが、ときどきあるわ」
ナオコは目をふせた横顔の美しさに、言葉を失ってしまった。由紀恵は神様なんていないと言うけれど、自分からしたら彼女こそが夕暮れにたたずむ聖母のように見えてならなかった。
「ナオコちゃんは、神様って信じている?」
不意にたずねられて、ナオコはまごついた。
「えっと、無宗教ですけれど、いちおう」
「よく祈祷室にいるものね。祈ることは、いいことよ。それに支配されなければね」
ナオコは謎めいた言葉の真相が知りたくて「由紀恵さんは、神様はいないって思っているんですか?」と問いかけた。
すると彼女は「そうなのよ。修道院育ちなのにね」とおかしそうにした、
「親がね、宗教に傾倒していた人たちだったのよ……だからかも」
ナオコは彼女の昔話を初めて聞いた。由紀恵は遠くをみるような目で「弱かったのでしょうね」とつぶやく。
「いろいろ大変なことがあったし、わたしも酷い経験をしたと思うわ。お店でHRAの北京支部に拾われてからはマシだったけれど、でも、わたし洗脳が酷かったらしくてね」
由紀恵は流れるように語っていく。
「山奥のほうにある修道院に連れていかれたわ。町に出ると弾圧がすごいから、文明とは隔絶されたような暮らしだった。それでも、神様を信じているような人たちが何人もいてね、いじめられながら暮らしているようなものなのに、自分たちには信仰があるから幸せだって言うのよ。ねえ、おかしいでしょう」
そう言いながらも、なつかしむように目を細める。
「うちの親となにが違うんだって思ったわ。とても貧しくて、厳しい暮らしを強いられているのに、なにが信仰だって。でもね、だんだん分かったのよ。彼らはね、神様がいると思って生きているわけじゃないのよ。ただ与えられた命とか、生き方とか、美しいと思っているものを守るために、強く居続けようとしているだけなの。それが、彼らにとっての正しい生き方だから」
由紀恵は照れくさそうに「だから、神様なんて信じていないわ。でも、信仰はあるの。わたしにとっての信仰は、ナオコちゃんや、ケビン。HRAにいる、わたしの家族全員」と言った。
「ふふ、なんだか恥ずかしい話しちゃったわね」
ナオコは由紀恵の話を頭のなかでかみ砕きながら「信仰は」と口をひらいた。
「誰にでもあるものなんでしょうか?」
「あるわね。見えているか、見えていないかの違いだけ」
由紀恵は「たとえば」と、ふと眉をひそめた。
「マルコさんは、危険よね」
ナオコは思いがけない名前に「なぜですか?」とたずねた。
「あの人を見ていると、うちの親を思いだすのよ。一点しか見えていないというか……なにかしらね」
由紀恵はあごに手をあてて「もしかすると、わたしがあまり彼のことを好きじゃないからかも」と苦笑した。
「でも、真面目な人ほどハマりやすいのは本当よ。いつだって真剣に生きれば生きるほど、どつぼにはまる人間っていうのが居るものだわ」
「そうなんですね……」
正直この話はかなり難易度の高い話だ、と思ったが、それでも話をかみくだいて理解しようと試みた。
信仰を生きる意味だとするのなら、由紀恵の考えていることは、とても尊く偉大なものに思えた。
自分にとっての信仰とはなんだろう。まず、両親の顔が思い浮かんだ。ついでHRAの人々を思いうかべる。ケビンや由紀恵、マルコとの友情も、なにものにも代えがたい。
山田の顔が頭をよぎって、複雑な気持ちになる。これまで彼が自分にしてきたこと全てが信用できなくなってしまった。いっそのこと自分が嫌いだから、という理由さえあれば、楽だったのに。
それでも。ナオコは顔をあげた。
「由紀恵さん、すみません。わたし、ちょっと用事があって」
カバンを抱えて、立ち上がる、由紀恵はナオコのまっすぐな眼差しを見ると、ワンピースの裾から埃をはらってれた。
「これ、かわいいわね」
ナオコは赤面した。
「私服で〈虚像〉と戦うのって、処罰対象でしたっけ?」
「あら、いいのよ。急に呼び出されたわけだし……それに、これっていわば、女にとっての戦闘服でしょう?」
由紀恵はくすくす笑って「一発かましてきなさいよ」と、ナオコの肩に軽くパンチをした。
「かましてきます」
由紀恵の肩にパンチを返すと、病院を後にした。外の空気は、やけに新鮮に感じられた。歩きながら携帯をとりだし、迷いなく電話をかける。
通じるかどうか分からなかった。赤い空をながめながら、着信音を聞く。コールが長く続く。そろそろ切れてしまう、と思った矢先、電話がつながった。