ハウ・ロウ
真夏の玄関が、一気に氷河期のように冷えこむ。ナオコも内心で凍えていたが、唐突にまるで関係のないことに気づいた。
山田とマルコが相対している場面を久しぶりに見た、と思ったのだ。
思えば、彼らは頻繁におたがいについて言及するが、対面する姿はあまり目撃されない。
ナオコはにらみあう二人を眺めた。共通点が多い。同じくらいの年頃で、本社組。少し浮世ばなれした雰囲気がある。
ふと山田の表情が陰った。後悔したような表情は、彼がついぞ浮かべないものだった。
「結果が判明したら、連絡しろ」
山田はナオコにそう言うと、門の外へ去ってしまった。マルコはなにも言わないまま、男の背中をきつくにらみつけていた。
「あの、マルコさん」
「……ごめんね、ちょっと」
マルコは苦しげにほほえんで、口をつぐんだ。彼には珍しいほどの歯ぎれの悪さだ。ナオコは心配そうに見つめながら、辛抱強く言葉を待った。
やがて彼は、うつむきかげんに、
「君に話しても、しかたがないとは思うんだけど……」と、ぼそぼそ話しはじめた。
「わたしが聞いてもいい話であれば、聞かせてください」
と、真剣に言う。彼はぎゅっと口を引き結んでから、
「ナオコくん、休憩はいつから?」とたずねた。
「16時からです」
「そっか、それならちょっと話そうか。ナオコくんにも、まったく関係のない話じゃないから」
マルコは無理やり笑うと、
「じゃあ、休憩になったらぼくのとこにきて」
と言い、玄関をくぐった。
ナオコは警備の仕事に戻りつつ、不安に思った。山田の発言から考えるに、本社への呼び出しがなんらかの意味を持つことは分かった。しかし沈着冷静なマルコが、あそこまで動揺するとはなにが起こっているのだろう。
最近の〈虚像〉の様子と関係のあることなのだろうか、と考えていると、あっというまに16時になったので、ナオコはマルコの執務室にむかった。
彼は快くナオコを迎え入れると「すこし待ってて」と断りをいれて、部屋の右側にあるとびらに消えた。しばらくして出てきた彼の腕のなかには、サンドウィッチの皿と、一冊の本があった。
「これ、食べて。お茶は紅茶でよかった?」
そう言いながら、また扉の向こうに消える。上司に気をつかわせていることにうろたえて、ナオコは「すみません」と言いながらたちあがった。
「あ、すわってて」とマルコが慌てた声で言う。部屋のなかから、がちゃがちゃと食器を扱うような音が聞こえたので、ナオコは申し訳なくなって部屋のまえにたった。私室のようだが、この向こうは見たことがない。
ばたん、と扉があいて、ティーカップとポットを持ったマルコが出てきた。彼ごしに見えた風景に、ナオコは思わず「えっ」とちいさな声を出してしまった。
そこは予想どおり、彼の私室のようだった。いたって普通の12畳ほどの部屋にみえる。
彼女を驚かせたのは、壁を埋めつくすように並べられた模型の群れだった。天上すれすれにまで作られた棚の半分はロボットのフィギュア、その下の段にボトルシップと城の模型が並べてある。趣味のいいモノトーン調の部屋のなかで、それらが異様に目立っていて、ナオコは口をあぜんと開いたまま突っ立ってしまった。
「わわわわ」と叫びながら、マルコは肩で彼女を押しだし、器用にとびらを閉めた。
凍りつくような時間がながれ、マルコが絞り出すような声で「みた?」とうつむきかげんにたずねた。ナオコはまずいものを見てしまった、と思い「み、みていません」と答えた。
「うそだ! みたよね? ばっちり目に入ってたよね?」
悲鳴をあげるマルコに、ナオコは「えええっと、みましたけど、大丈夫ですよ!」とフォローになっていない言葉をかけた。
「その、意外だなーとは思いましたけど」
「意外だと思ったんだろう? ちょっと待ってくれ、まって」
マルコは大きく息をすうと「あれ、実はぼくのものじゃないんだ」とあからさまなうそをついた。
「いや、だから大丈夫ですよ、マルコさん。落ちついて」
「ぼくは落ちついているよ。大丈夫、心配ない」
あきらかに混乱している彼からポットとカップを奪いとり、ナオコは「とりあえず、すわりましょう」とソファをすすめる。
マルコは素直に従い、ソファに腰をうずめると、うめき声をあげながら頭をかかえた。
「最悪」とつぶやく声が聞こえて、思わずナオコは笑ってしまった。マルコはがばっと顔をあげ、再び地の底にひびきそうなため息をついた。
「そんなに落ちこまなくても」と、なぐさめの言葉をかける。
「意外だとは思いましたけど、でも、その良い意味で意外だっただけで」
「良い意味ってなに? こいつ、いつも気取った顔してるけど、陰気な面をバカみたいに隠しているオタク野郎なんだあ、ああ良いやつだなってこと?」
早口で言うマルコに、ナオコはおかしくなってしまった。それで、ついつい「そうですよ」と答えてしまった。彼がショックを受けた顔をするので、ナオコは少しの罪悪感と大きな共感をおぼえた。このあいだ話したさいにも思ったが、この人はなんて人間らしい顔をするのだろう。
「マルコさんって、楽しい人だなって思ったんです。かっこいいときもあるけど、そういう風に自然にしているほうが、良い意味で、ステキですよ?」
マルコは叱られた子供のようにおそるおそる顔をあげ、そっと彼女をみつめた。そして歯がみしながら「なんなんだろうね、もう」とつぶやく。
「なんていうか、してやられた」
「そうですか?」
「うん……参るよ、本当に。タイミングが悪すぎるな」
マルコは言い訳をするように、
「もう少し支社に近い場所に引っ越しをする予定だったから、たまたま置いてあっただけなんだよ。普段は職場にあんなもの置いたりしないから」と、言った。
あんなもの呼ばわりしているが、引っ越しのためにわざわざ避難させておく、ということは、あれらの模型をマルコがどう考えているのか、ナオコにはありありと分かった。自分にとっての映画のように大切な趣味なのだろう。
「引っ越しって、やっぱり仕事が忙しいからですか?」
「最近ぜんぜん家に帰れてないからさ。もうすこし近いほうが便利だと思って」
マルコは照れくさそうに「もう、この話やめない?」と言った。
「ちょっと、こんなことがあった後だから恥ずかしいんだけど」
彼は先程持ってきていた本を机の真ん中に置き「さっき山田くんが言ってた、ミスターHRAってだれのことだか分かる?」とたずねた。