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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れない男の夢
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古い映画のように

 テレビ画面に、二人の男が映っている。コバルトブルーの海。だんだんと景色が遠ざかり、果てしなく続く空と海を背景に、クレジットが流れだす。


 画面と対照的な部屋だった。とにかく暗い。カーテンを、閉め切っているからだ。それに、毛布を頭から被って、ソファのうえで丸まっているからでもある。

 感動的なBGMが、流れる。ためいきをついて起きあがる。

 DVDをデッキから取りだし、ケースにしまう。ローテーブル上の山積みに乗せる。


「はあ」


 無造作にリモコンを取り、テレビを消す。真っ黒になった。

 立ちあがり、なんとなく窓辺に寄る。カーテンをめくると、平日の真昼間に在宅している罪悪感が、これでもかと顔面を照らしだした。七月の空は、映画の中よりも残酷に青い。

 さらに深いためいきをついて、カーテンを閉める。握りしめていた携帯の画面を、確認する。

 電話もメールも、来ていない。分かっているのに、わざわざメッセージアプリを開き、また閉じ、再度開く。やっぱり来ていない。


「はあああ」


 ナオコは、やるせなさをぶつけるように、ソファに倒れこんだ。その衝撃で、左足に鈍い痛みが走る。顔をしかめ、自己嫌悪におちいる。

 もう歩けないほどではないが、油断をして傷口が開いたら、さらに復帰が遅れる。そうなったら、いよいよ自分はお払い箱だ……。






 上野公園での戦闘から、早三週間が経過していた。


 あの後、ナオコは、HRAの息がかかった都内の病院に運ばれて、左足の縫合をうけた。幸か不幸か、出血こそ激しかったが、骨は無事だった。全治一か月。あれほどの傷にしては、運が良かったとしか言いようがない。

 運が良かった。

 それは分かっている。分かっているのだが。彼女は、暗雲たる気持ちを持てあまして、ソファを転がった。

 

 会社からの連絡が、一切ないのだ。三週間前に有給をポンと告げられて以来、音沙汰ゼロである。


「うわあ、痛そう……」と、マルコはをうなっていた。そして、

「こっちのことは心配しないで、ゆっくり休むんだよ」と告げ、帰ってしまった。


 心配しないでいられるはずがない。彼女は、八つ当たりと知りながらも、上司をうらめしく思った。

 ちゃんと仕事に復帰できるか、不安でしかたがない。正真正銘「不必要」であると評価をくだされてしまえば、特殊警備部に居場所はなくなる。

 ただ、その覚悟はしていた。問題は〈芋虫〉として仕事につけなくなった後、HRAに居場所があるか否か、という点だ。一年前までは、常駐警備部に所属していたから、もしかしたら部署移動で済むかもしれない、と淡い期待を抱いていた。


 しかし、連絡は今日になるまで来ない。気分転換に外出しようかとも考えたが、怪我のせいで有給をもらっている以上、動く気にもなれなかった。簡単なトレーニングだけ続け、家でおとなしくしている日々である。

 その期間に会った人といえば、心配して見にきてくれたケビンや由紀恵などの〈芋虫〉の仲間たち、そしてマルコだけだ。


 気がつくと、あの日のことを思いかえしてしまう。


 あれほど巨大な〈虚像〉と戦闘したのは、初めてだった。ただ、あれがいわゆる〈異常種〉である、とは思いだした。


 基本的に〈虚像〉は、胎児の進化の過程をとる。

〈鏡の国〉で死んだ人間は、生まれ変わりたいと願っている。その精神の動きが、胎児が母親の胎中でたどる過程を現すのだそうだ。はじめは魚類、陸にあがろうとして両生類へと進化し、爬虫類になる。そのあと、鳥類を経て、哺乳類へと進化していく。

〈虚像〉の進化が進むたび、精神が持つエネルギーは強化され〈鏡面〉のなかで構成される肉体も、強靭になっていく。それゆえに、最上級である哺乳類は〈芋虫〉のなかでも、限られた人間しか相対したことがない。

 しかし、それらと〈異常種〉は別格だ。

 ごく稀に現れる、精神エネルギーのバグに近い。今回の場合は〈植物〉を象っていたが、知る限りでは、生物に限らず、物質なら何にでも変化する。


〈異常種〉に関して、ナオコは、山田の態度を不審に思っていた。

 あの日、彼の様子はあきらかにおかしかった。いつもなら邪見にしても、あれほどまでに強行な手段をとりはしない。

 まるで〈異常種〉の出現を知っていたかのようだ。そんな疑念が頭をかすめると、もうその考えが離れなくなった。


 そして、思いだす。

 ジャケットのごわごわとした感触。その向こう側にある、噛みしめた肌の柔らかさ。まざまざと思い出せる。

 口もとに手を当てて、眉をひそめる。

 なによりも気まずいのは、山田があんな風に腕を差し出したことだ。

 舌を噛まないように、嫌っている人間にたいして、ためらいなく身体をさしだす。そういう人間であると知って、やりきれなかった。


 ――――役立たずだからだ。

 

 言葉が、夜毎にリフレインして、眠れなくなる。

 それなのに、幼少期から染みこんでいる「お世話になった人には、ありがとうと言いましょう」の精神が苛む。


「やだなぁ……」

 

 つぶやいて、膝のあいだに顔をうずめる。目をとじる。


 ぴんぽーん、と間の抜けたチャイムが鳴った。顔をあげる。そういえば、通販でDVDを注文したのだった。

 のそのそと立ち上がり、はんこを片手に、玄関へ向かう。


「いま出ますー」と、フタを開けながら、肩で扉をひらく。


「チェーンくらい付けないのか、君は」


 聞きなれた低い声が、耳朶をたたいた。

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