「代役」<エンドリア物語外伝109>
ブレッド・ドクリルは魔法協会エンドリア支部の経理係をしている。昨年まで、エンドリア支部は平穏だった。判で押したような同じ毎日。時には刺激が欲しいと思ったこともあったが、情報集めという趣味があったので、退屈とは無縁でいられた。
桃海亭にウィル・バーカーという不幸を呼ぶ体質の男が住み着くまでは。
「ブレッド、アレン皇太子が呼んでいる」
朝、いつも通り出勤するとエンドリア支部の支部長、ガガさんが焦った様子で言った。
「アレン皇太子ですか?」
「そうだ。2階の会議室にいる」
イヤな予感がした。
アレン皇太子は、最近桃海亭に入り浸っている。桃海亭で事件がおこった可能性が高い。
「いかないとまずいですよね?」
ガガさんが、ガッ、ガッ、ガッとスゴい勢いで頭を縦に振った。
渋々、2階にあがった。
「ブレッド、待っていた」
会議室の扉の前にアレン皇太子が立っていた。
「おはようございます。皇太子におきましては………」
「挨拶はあとだ。ついてこい」
アレン皇太子が階段を駆け下りる。ブレッドはその後を追った。
「行き先ですが」
「桃海亭だ」
予感的中だ。
「桃海亭に何かおきたのですか?」
「何もおきていない」
嘘だ。
ブレッドは内心で断言した。
桃海亭に何も起きなかった日は、店主がウィルになってから一日もない。留守にしているときでも、泥棒が入ろうとしたり、店の魔法道具が暴れたりする。
ブレッドも人形屋敷の事件に巻き込まれ【悪魔用極上食材の魂の持ち主】という、ありがたくないレッテルを貼られることになった。
「ハニマン殿、連れてきた」
「すまんのう」
桃海亭でアレン皇太子とブレッドを出迎えたのは、黒いローブを着た老人。優しそうな笑顔をブレッドに向けた好好爺は、リュンハ帝国の前皇帝ナディム・ハニマンだ。
「実はウィルがしばらく留守にすることになった」
なぜ、という質問をブレッドは飲み込んだ。
ウィルがいなくなる原因のひとつに、前皇帝のハニマンがどこかに連れ去ることがあるからだ。優しくて、賢くて、強い、ニダウの人気者ハニマンさんの裏の顔をブレッドは知っている。
「しばらくの間、ブレッドさんにウィルの代わりをやってもらうと思ってきてもらったのだ」
ニコニコと笑顔でブレッドを見ている。
相手は黒の皇帝。断るという選択肢はブレッドに与えられていない。
「わかりました。よろしくお願いします」
お辞儀をした。
「私はこれで」
「すまなかった」
アレン皇太子が桃海亭から出て行った。
前皇帝のハニマンと2人になった。
「よしよし、ウィルに似ておる」
楽しそうに言うと、奥に向かって声をかけた。
「ラモーナさん、持ってきておくれ」
「はい、ただいま」
入ってきた人物を見て、ブレッドは驚愕した。
驚きすぎて口をパッカリと開いていると、ブレッドがよく知っているその人物は信じられないことを言った。
「初めまして」
シュデル・ルシェ・ロラム。
桃海亭の店員だ。魔法道具の販売と手入れ、家事全般、その他諸々。
桃海亭が店として維持できているのはシュデルが頑張っているからだ。
母親譲りの美貌で、男にしておくのは勿体ないと言われるが、本人はむしろ自分の顔が苦手で、顔を洗うくらいの手入れしかしない。
そのシュデルが口紅を塗っている。
「シュデル、しっかりしろ。オレがわからないのか?」
髪も奇妙な形に結い上げている。東の方で結い上げられる形だという知識は持っていたが、見たのは初めてだ。
「ラモーナと申します」と言うと、恥ずかしそうに微笑んだ。
【微笑み】に<花が咲く>という表現を、ブレッドは目撃した。
ブレッドの目の前で、可憐な花が咲いた。
キューピットの矢が連射で、ブレッドの胸を打ち抜いた。
「これこれ、ラモーナは結婚しておる」
出会って30秒で失恋した。
「これを」
ラモーナが前皇帝ハニマンに、畳んだ布を渡した。
ハニマンがそれを広げた。
「いつみても、感動するの」
麻のシャツだ。無地の安物。洗濯されているが、落ちきれなかった泥の染みが所々についている。脇と袖口の2カ所にツギがあたっている。布地はすり切れて、着たら肌が透けそうだ。
誰のシャツか聞くまでもない。
そのシャツをハニマンがブレッドに差し出した。
「これを着て……」
カウンターを指した。
「……店番をしてもらいたい」
思わず聞き返した。
「オレが、ですか?」
「そうだ」
「なぜ、ですか?」
「ウィルがいないと困るのだ」
ハニマンの言い方が変だ。
ウィルがいなくて困るのはわかるのだが、ブレッドに店番を頼むなら『店番を頼む』になるはずだ。わざわざウィルのシャツを着て、カウンターに立つとなると、答えはおのずと限られる。
「オレに、ウィルの代わりをしろ、と?」
恐ろしい提案に、敬語がでなかった。
ハニマンは笑顔で、うなずいた。
拒否したいが、相手はリュンハ大帝国の前皇帝。どうやって断ろうかと考えていると、ハニマンが「よいしょ」と立ち上がった。
「買い物にいってくる」
「ハニマン殿、その………」
「ウィル。頼んだからな」
反論を封じられた。
笑顔のハニマンが店から出ていき、シャツを片手に持ったブレッドが残された。
「着替えを手伝います」
振り向くと、ラモーナが微笑んでいた。
シュデルの顔なのに、シュデルに見えない。ブレッドの好みの可憐な美少女にしか見えない。
美少女には逆らえない。
「シャツですから、自分で出来ます」
そこまで言ってから思い出した。
ローブの下には肌着しか着ていない。
「すみません。ズボンも借りられますか?」
「ウィル様のでよろしいでしょうか?」
「それでお願いします」
ラモーナが会釈すると奥に入っていった。甘い残り香が漂う。
自分がウィルの身代わり。
ラモーナがシュデルの中に入っている。
ムーは、いつも通り本物のウィルといるだろう。
となると、この店にいるのは、ブレッドとラモーナだけということになる。
戻ってきたら、お茶を頼んでみようか。
桃海亭は客が少ない店だ。
2人っきりで、話が出来たら楽しそうだとブレッドは明るい気分になった。
ラモーナとのお茶を夢見ていたブレッドは、わずか1分で夢を粉々に打ち砕かれた。
巨斧を肩に担いだ大男が2人。店に入ってきて、「死にやがれ!」カウンターに巨斧を打ち込んだ。まだ、ローブを着ている。ブレッドは気力を振り絞って「オレはウィルではありません。魔術師のブレッドといいます」と、震えながら答えた。だが、2人はブレッドの話を聞こうとはせず、カウンターから巨斧を抜くと、それを横に振った。首が飛んだ。そう思ったブレッドだが、巨斧を【桃海亭の番人】ならぬ【番魔法剣】のラッチの剣が受け止めてくれていた。ラッチの剣が電撃で2人を気絶させ、魔法鎖のモルデが店から外に放り出した。そこにラモーナが戻ってきて、ズボンを手渡してくれた。
また刺客が来るかもしれないと不安とラモーナと2人きりになれる幸せを天秤にかけ、後者をとった。いくらウィルでも、そう頻繁に刺客は来ないだろう。食堂でシャツとズボンに着替え、店番をしているからとラモーナにお茶を頼んだ。
店に戻ると年寄りの魔術師が商品を見ていた。説明を求められると困るなと思いつつ、カウンターに立っていた。年寄りの魔術師がブレッドの方に手を延ばした。指先から粉のようなものを蒔いている。と思った時には、身体が動かなくなっていた。
魔術師がゆっくりと近づいてきた。手の持っていたロッドを、ブレッドに向けた。
「その首もらうぞ」
炎が吹き出した。
「あちあち」
騒ぐブレッドに水がかけられた。小さな魚が浮かんでいた。実物を見るのは初めてだが、噂には聞いていた。ラフォンテ十二宮の魚座だ。
魚が再び口から水を吹き出した。年寄りの魔術師は、水圧で扉ごと外に放り出された。
すぐに水をかけられたから、肌がうっすらと赤くなった程度で済んだが、着ていたウィルの服は焦げて使えそうもない。
「大丈夫ですか」
店に入ってきたラモーナは、カウンターに持っていたお茶を置くと、ブレッドの肌に触れた。
ブレッドの硬直が解けた。
「薬は必要ないみたいです。タオルと着替えを持ってきます」
店から奥に行くとき、ブレッドは魚の鰭にそっと触れた。
「ラフォンテさん、ありがとうございました」
ちょっと胸を反らした魚は、ラモーナについて店の奥に移動した。
残骸になったシャツを脱いだところで、店の入口あたりで音がした。
「すみません、いま……………」
石が飛んできて、頬をかすめた。
状況に頭がついていかない。
「動かないで」
入口のところに立っている女が大型のパチンコを構えている。
助けを呼ばなければ、ブレッドはそう思った。
「ラッチさん、ラッチさん、ラッチさん………」
「なにを、それ」
女がせせら笑った。
パッシッ。
電撃が落ち、瞬時にパチンコが燃え上がった。
「あっち!」
女が床に落とした。
手を押さえているところをみると、火傷したようだ。
「この疫病神!」
ブレッドに吐き捨てるように言うと店をでていった。
「オレは………ウィルじゃない」
そこまで言ったところで、奥からラモーナが戻ってきた。
「どうぞ」
甘い移り香がついたタオルを渡された。
気分が花畑になった。
「探したのですが、着替えが見あたりません。ローブをお召しになりますか?」
ウィルが何枚も服を持っているはずがない。
ブレッドにはわかっていたので、うなずいた。
「では、いまお持ちします」
柔らかな笑顔を浮かべたラモーナは、奥に戻っていった。
「可愛いなぁ」
見送ったブレッドに、声がかかった。
「誰が可愛いんだ?」
入口の扉を持ったアーロン隊長がいた。
魚が吹き飛ばした扉を、持ってきてくれたらしい。
「なんで、お前がいる」
「ウィルの代わりをしろと言われまして」
「正気か?」
「店番だけです。依頼を引き受ける予定はありません」
「情報屋のお前が知らないはずないだろう」
「何をですか?」
「ウィルとムーを殺そうとするバカの数だ」
「先週は、12人………」
一日換算で2人弱。
「どうするんだ?」
「もう、今日の分は終わりましたから大丈夫です」
ブレッドは笑顔で言った。
「オレが店番を始めてから、4人も来ました」
「すると、あれは何だ?」
黒ずくめの服を着た、どこからみてもアサシン以外に見えない人物が5人、ゆっくりと桃海亭に向かって歩いてくるのが見えた。
「ウィルだな」
「違うに決まっているだろ!よく見やがれ!オレがウィルに見えるなら、お前の目は腐っている!」
全身包帯に巻かれたブレッドは怒鳴った。
今日だけで3回目の襲撃だ。
命だけは守ってもらえるものの、殴られ、切りつけられ、魔法を撃たれ、全身傷だらけだ。
「ウィルでないなら、きさまは誰だ」
赤いローブを着た大柄な男が聞いた。幅広のロングソードを片手で軽々と持っている。
桃海亭のカウンターに若い男が立っていれば、ウィルと思われてもしかたない。今のブレッドは全身包帯で覆われている。見ただけでは、魔術師か一般人かわからない。
「聞いて驚け、オレ様は魔法協会エンドリア支部の経理係ブレッド・ドクリル様だ。オレ様の魂は悪魔の極上食材だ。手を出すと悪魔が黙っていないぞ!」
赤いローブの男は眉をひそめた。
「お前の話が本当なら」
「本当だとも」
「オレがお前を殺すと、悪魔は喜ぶんじゃないのか?」
ブレッドが死ぬ。魂が離れる。悪魔が取りに来る。
青ざめたブレッドにロングソードが振り下ろされた。
キィーーーーン!
ロングソードが木っ端みじんになった。散った破片がブレッドの降り注ぐ。
「いたっ!いたっ!」
分厚い包帯に守られた。
「何をした!」
「オレじゃない!」
男が手を開いて、ブレッドに向けた。
「やめろ、ここは………あっ」
男が壁にたたきつけられていた。ズルズルと背中からずり落ちる。
「助かった。魔法を撃たれる前に片づけてくれて、ありがとな」
どこかにいる、魔法嫌いの魔法道具にブレッドは礼を言った。
扉が開いて、青いローブの男が入ってきた。
短い手槍を握っている。
「客だな?」
「そいつの片割れだ」
青いローブの男が、倒れている赤いローブの男を目で指した。
「連れて帰ってくれ」
青いローブの男が目を細めた。
「ウィルではないようだが、お前は誰だ?」
「オレ様は、って、関係ないだろう。店番だよ、店番」
「ウィルはどこだ?」
「知らねえよ!オレに聞くなよ!オレの方こそ聞きたいよ!」
青いローブの男が、赤いローブの男を肩に担いで出て行った。
「もう、誰も来るな!」
叫んだところで、扉が開いた。
身構えたブレッドは、見慣れた顔に安堵した。
「お帰りなさいませ」
「店番は楽しめているかな」
笑顔で言ったのは、今回の元凶ナディム・ハニマン。
「今日だけで3回、3回も首を切られそうになりました」
命の危険を訴えたが、ハニマンは「グフグフッ」と笑って、窓辺の席に腰を下ろした。
「ラモーナさん、お茶を頼む」と、奥に声をかけた。
ラモーナが薬草茶を持ってきた。テーブルに置いて、奥に戻っていった。一瞬だけ、ブレッドに微笑みかけた。
それだけで、ブレッドの脳内は花で埋まった。
原色の花が、バンバンと音を立てて開いている。
幸せだ。
そう思っていたブレッドの前に、超生命体モジャが現れた。モップのふさふさで寝ているムーをくるんでいる。ハニマンと短い会話を交わした後、ムーを連れて2階にあがっていった。
薬草茶をすすったハニマンが、あきれた声で言った。
「ナーデルの容姿は似合っとらんな」
ハニマンの隣に若い男がいた。黒いローブを着ている。年の頃は27、8歳で整った顔をしている。
「誰のせいで、こうなったと思ってるんだ!」
話し方のイントネーションに聞き覚えがあった。
「その話し方は、ウィルか?」
若い男がブレッドの方を見た。
「爺さん、ミイラ男がいる」
思わず、怒鳴った。
「オレだ!ブレッドだ」
「魔法協会のブレッドか?」
ウィルらしい、緊張感のない言い方に悔しさが溢れてきた。
「お前の代わりにカウンターにいろと言われて………」
ブレッドは鼻水を啜った。
「……いきなり、戦士に殴られたり、剣で首を切られそうになったり、魔法で撃たれて…氷漬けになったり………」
窮状を訴えたのに、ウィルは気にした様子もなくあっけらかんと言った。
「良かったな。生きていて」
「オレのこの姿を見て『良かった』と言うのか?」
「それより、シュデルを知らないか?」
「その前に感謝とか謝罪とかないのか!」
「身代わりをしてくれてありがとう。オレの命の危険をたっぷり感じてもらえたと思う。今後も頼むことがあるかと思うが、よろしく」
「誰がするか!」
「で、シュデルは?」
「食堂にいる」
ウィルが奥の扉を抜けた。
ラモーナの可憐さに驚け。
ウィルがどんな顔をして出てくるのか、ブレッドは楽しみにして待っていた。
「やはり、ブレッドさんに頼みましたか」
食堂から出てきたシュデルは、中身も外見も本来のシュデルになっていた。
「なんでだよ!」
「どうかしましたか?」
「ラモーナは、どこにいったんだよ!」
「元に戻りました」
「ラモーナに戻れよ」
「ご冗談を」
冷たい笑みを浮かべたシュデルが、カウンターに入ってきた。
「店長の身代わり、ありがとうございました。あとは僕が引き受けます」
「ラモーナ…………」
しょんぼりとしたブレッドに、ハニマンが言った。
「ラモーナに会いたいのか」
ブレッドはコクコクとうなずいた。
「心配するな。もう少し経てば、ラモーナに会える」
一筋の光が、ブレッドの胸中に差し込んだ。
「本当ですか?」
「本当だとも。まあ、本物はシュデルより多少は劣るが、可愛いぞ」
ブレッドの胸が暖かくなった。
また、ラモーナに会える。
喜びで頬がゆるんだブレッドに、ハニマンが言った。
「忘れとらんか?」
「何をですか?」
笑顔のブレッドが、楽しそうに言った。
「ラモーナは結婚しておる」
リュンハ前皇帝を『おとうさん』と呼んでいた。
と、いうことは、ラモーナはリュンハ前皇帝の娘か、息子の嫁になる。
くじけそうになったブレッドだが、ラモーナの笑顔を思い出して踏みとどまった。
ラモーナは夫のことを話さなかった。愛のない政略結婚なのかもしれない。
「あのですね」
「離婚する予定はないからの」
先手を打たれた。
「くぅーーー…………」
頭を抱え込んだ。
包帯だらけになっても頑張れたのは、ラモーナがいたからだ。可憐な笑みでブレッドを支えてくれたからだ。
「何しているんだ、ブレッド?」
食堂から戻ってきたウィルが、怠そうに言った。
姿は若い男性のままだ。
「これがラモーナの夫のナーデルの姿だ」
ハニマンが楽しそうに言った。
ウィルのいまの容姿は、ブレッドよりは数倍いい男だった。
ブレッドは天井に向かって叫んだ。
「ラモーナーーーーーー!」
断ち切れない思いを、全身から絞りつくした。
そのブレッドに、ウィルが怠そうに言った。
「ブレッド。お前って、恋愛運がトコトンないな」