閑話 砂城の王子
「ラファエル、具合はどう?」
「おかあさま……けほっ」
「まだ、咳が出るのね……お母様達は今夜、食事に呼ばれているのでこれから出かけるの。いい子にしていてね」
「え! おかあさま出かけるの? いっちゃいやだ」
「我が儘を言わないで、ラファエル。マリア、しっかり見ていてちょうだいね」
そう言い残してお母様は子供部屋を出て行った。僕の額に手をやって熱を計っては難しい顔をしているマリアというねえやと、ベッドの真上の天井。小さい頃の記憶はそんなものばかりだ。外で遊ぶとすぐに体調を崩す僕は、本ばかり読んですごしていた。
――窓の外の雪景色、広場では雪をぶつけ合っている子供の姿が見える。
「マリア、ぼくもあれがやりたい」
「いけません坊ちゃま。またお熱がでますよ」
「……ちぇっ」
僕は足下のお城の模型を蹴り飛ばした。バラバラになった模型をため息を吐きながらねえやが拾い集めている。僕は、いらだち紛れにその背中も足蹴にした。
「坊ちゃま!」
「寒くなってきた、マリア。お茶をいれて。……さもないとまた熱を出すかもな」
ああ、息苦しい事ばかりだ。退屈でたまらない。欲しいものは言えばすぐに与えられる。だけど外には出られない。
「いやあ、これも正解ですか」
「どれもこれも簡単すぎるよ」
しばらくしてぼくに読書計算を教える為につけられた家庭教師はそんな感嘆の声を漏らした。本なんて暇つぶしに死ぬほど読んだんだ。こんな書き取りの問題、なんてことない。
「私ではこれ以上、教える事はないかもしれませんね。奥様、少々気が早いですが商学校に進むのもお考えに入れては?」
「あら……いくらなんでも……まだ8歳よ」
「お母様、お母様! 商学校というのは?」
家庭教師が口にした商学校というものは商人ギルドの運営する学校だという。いまだこの歳で入学したものはいないとか……。
「ほう……商学校か……この歳で」
「そうなのよ、あなた。先生も十分、勉強にはついていけるでしょうって」
帰宅した父様も、この話には驚いている。いつも忙しく、帰宅してもすぐに書斎に籠もっている父様が僕を見つめている。
「すごいぞ、ラファエル」
「本当!? 僕、そこにいったら一等になるよ」
「ははは……これは父にも伝えないとな!」
滅多に会わないお爺様。父様に家督を譲った今は商売を離れて町外れの小さな屋敷で気ままに暮らしている。そんなお爺様の答えは……まさかの否、だった。
「お爺様……なぜです」
「ラファエル、先月辞めたマリアをぶった回数を覚えているか? 髪を引っ張った回数は?」
「そんなもの……」
「学校とは様々な人が集まる場所だ。今のお前は我が儘すぎる」
ふらりとやって来て、そう言い放ったお爺さま。くそ、マリアめ。お爺さまに言いつけたな。こうして僕は落ち着きが出るまでは、と入学を保留にされた。
それから二年。10歳になった僕はようやく入学を許された。体も丈夫になったし、新しいねえやをぶったりもしていない。二年間家で過ごす事になったけれどもそれでも最年少の生徒として商学校に入学する……はずだった。
「……同じ位の歳の生徒がいる?」
「はい、周りは年上ばかりでしょうから良かったですね」
「いいわけあるか!」
人のいい家庭教師はにこにことしていたが、僕はたまらなくなって思わず叫んだ。二年前! お爺さまがあんな事をいわなかったら僕が絶対に一番だったのに!
「おい、お前がルカだな」
入学式を終えると、エーベルハルトの名に惹かれて沢山の生徒が寄ってきた。どいつもこいつも今のうちからお近づきになろうと必死だ。ふん、ウジ虫共め。
そして一番気に入らないのはこいつ。一際チビなのですぐに分かった。これが家庭教師の言っていた歳の近い生徒だろう。しかも、僕の考えた制服のデザインをまねしている! ふざけたヤツだ!
「お前、何歳だ?」
「……もうすぐ八歳です」
「八歳だって?」
「……八歳です」
「くそっ、八歳か!」
目の前で間抜け面をしているルカ・クリューガーは僕よりも年下だった。最年少で入学するのは僕のはずだったのに! でも見ていろ、僕の優秀さには遠く及ばないだろうからな。
しばらくして学校でバザーを開催することになった。慈善事業とは名ばかりのクラス対抗の売上勝負だ。これは負けられない。
「父様、母様。エーベルハルト商会の手腕が試される行事です。協力してください」
「ああ、いいとも。そうだな、不良在庫が溜まっていたな。いい機会だ、使うといい」
――結果、僕達のクラスが三クラス中、トップの売上を叩き出した。お爺様は僕の協調性に疑問を持っているようだが、この結果を見てみろ。
「お爺様、学校のバザーで僕のクラスが1番の売上だったんですよ。エーベルハルト商会の力を見せつけてやりました」
「……ラファエル。バザーとはそういうものだろうか」
「お爺様……」
「隣のクラスの商品を作ったのはスラムの子供たちで、今後教会で売られる事になったそうだ。慈善とはこういう事ではないのか?」
畜生、まただ! ルカ・クリューガー、どこまでも目障りなやつ。でももうすぐテストがある。それこそ僕の力をハッキリと見せつけるチャンスだ。しかし……。
「嘘だ……こんなの……」
僕の順位は……1番どころか……3番目だった。よりにもよってあのルカ・クリューガーの次!
「……何かしたのか? こんなのは間違ってる」
「ラファエル、それは違う」
「僕は、期待されているんだ……お爺様だって今度こそ分かってくれるはずだったのに……」
「今回はぼくが2位だったけど、次は分からないよ」
「うるさい!!」
気がつけば、ルカの胸ぐらを掴んでいた。いつもルカの用心棒のように寄り添っているアレクシスに腕を掴まれる。くそっ、力ではとてもかなわない。
ルカの顔なんて見ていたくなくて、その場を離れたが苛立ちはおさまらない。
今度こそ、今度こそ! 僕が一番のはずだったのに!
――あの雪の日、外で遊んでいる子供たち。窓から眺める事しかできなかった自分。あの時とは違う。もう違うんだ。なのになんで、邪魔をするんだ。あいつ、あいつさえいなければ……。手にしたのは小さなナイフ。紙を切ったり、墨石を削ったりするなんでもないナイフ。
「おい、やめろよ!」
ルカのクラスメイトがなんか言ってる。知るもんか。僕は僕の気に食わないものに痛い目をあわせるだけ。
結果は……散々だった。ルカは、僕の期待通りに泣いたりも喚いたりもしなかった。とても8歳とは思えない、静かな……しかし怒りを込めた声で僕に罰を与えた。
僕のやらかした馬鹿な仕打ちは両親を大いに落胆させた。
「やはりお義父様の言った通りだったのね……」
「ただ、先方が納めてくれたおかげで大事にならなかったのが幸いだったな」
安堵する両親に僕は……違和感を感じていた。
金の星亭での仕事は過酷だった。それをルカも、もっと下のルカの妹ソフィーもそつなくこなしている。自分がなさけない。僕の壊したクッションはルカの友人とソフィーの作ったものだった。
僕は普段、自分が使ったものがどうやって作られたか考えた事があっただろうか?
『ほら、坊ちゃん! この旗を立てたら完成ですよ!』
不意に思い出した。ねえや……マリア。僕が途中で組み立てを放り出したお城の模型をなんだか楽しそうに組み立てていた。最後の旗だけ残して。
「マリア……」
金の星亭の仕事を終えて、数日後。僕はお爺様の屋敷に向かった。
「おや、ラファエル。こちらから出向こうと思っていたところだったのに」
「僕のところにですか?」
「ああ、ラファエルには……少しばかり厳しくしすぎたかと……ラファエルと私はもっと話す必要があると思ってな」
「お爺様、僕もです」
お茶とお菓子を囲んで、僕とお爺様は随分長いこと話し込んだ。こんな時間を過ごしたことは今までなかった。
「お爺様、僕は悪い子でした。周りの人々に……ひどい事をした」
「ひどいという事がわかればそれでいいのだよ。世の中にはそれすらわからない人間がごまんといる。ラファエルはまだ子供なのだから」
「でも……ねえや……マリアは僕のせいで辞めてしまった」
「後悔しているのかい?」
「……気づいたのは、ついこの間です。僕は馬鹿だ」
僕の言葉を聞いたお爺様の目が優しく細められた。
「そうか……では……マリア! こちらにおいで!」
「えっ!?」
部屋の扉が開くと、そこにはマリアがいた。
「マリア! マリア!」
「……坊ちゃん、お久しぶりです」
「ごめん! ごめんなさい……僕……ぶったりして」
「いいんですよ、坊ちゃん……お寂しかったのでしょう?」
謝り続ける僕をマリアがそっと抱きしめた。僕の目から流れた涙をそっとハンカチで拭ってくれる。両親のいない夜、泣く自分をいつもこうやって慰めてくれたのはマリアだった。
「マリアはうちで働いてもらっている。いつでも好きなときに会いにおいで」
そう言って、お爺様は僕の髪をゴツゴツとした手でくしゃくしゃと撫でた。その温かさを僕は忘れる事はないだろう。
次回更新は3/11(日)です。
皆様の応援のおかげで一年間、連載を続ける事ができました。この場をもって御礼申し上げます。
一周年記念でエッセイも書いてみたので良かったら読んでみて下さい。




