8話 勤労少年
ギルド内、ジギスムントさんの執務室でヘーレベルク市内の地図を広げて俺達はいくつかのピンを手にしている。ピンの先には申請のあった宿屋の名前を書いた布きれを結びつけて。それを地図上に突き刺して、腕を組み考える。
「こことここの宿は近すぎますね。どちらかの申請を取り下げないと」
「ここは縁戚関係ですね。本家筋はこちらの宿だからこちらの宿の申請を受理しておけば反発は少ないでしょう」
「じゃあ、ここは無しっと……」
地図から申請却下の宿屋のピンを引き抜く。
「おや……この宿は」
「どうしました、ジギスムントさん」
「冒険者相手ではなくて行商人達の定宿です」
「それだと『金の星亭』の販売データは使えませんね……あくまでうちは冒険者相手の売店をしていた訳ですから。行商人の方はうっかり買い漏らしたりするんですかね」
「無いとは言わないが必要に迫られる事は少ないでしょう。翌日市場に行けばいいのですから」
現在、ユッテには一日の売店の客数を数えて貰っている。一月も続ければ一日の人数あたり何が売れるのかをある程度データ化できる。本当はもっと長期間のデータがあれば精度が上がるんだけど。いままでの品目と売り上げのデータはあるが、それはギルドが『金の星亭』の売店が市場を圧迫してないかチェックする為のものだった。今欲しいのはそうじゃない。
一日あたりのデータが作れれば、仕入れの目安になる。客層によってアレンジすることだってできる。
「ではここも却下……」
手元に却下のピンが増えて行く。そうして店舗を選定して許可を出す宿屋をジギスムントさんと決めていった。ちょっと店同士がカニバリしないようにジギスムントさんに念を押しに行ったらいつの間にかこうなっていた。
「あと、商品の仕入れ先の商会は全面的に商人ギルドにお任せしますけど、仕入れの品目はある程度自由にさせた方がいいと思うんです」
「ほう」
「うちの客層は駆け出しやあまり深くまで潜らない冒険者です。またそれとは必要なものが違うと思うんです」
「なるほど……検討しましょう」
ジギスムントさんは興味深そうに俺を見ると、深く頷いた。
売店を開く宿屋の選定は、思いの外骨の折れる作業だった。場所をある程度散らさないとカニバリ……つぶし合ってしまうし、俺には分からない宿同士の力関係をジギスムントさんと何度も打ち合わせしながら決めた。
その一方で、ユッテともすりあわせしながら売店のノウハウのマニュアル化を進めている。俺の睡眠時間はガリガリと削れていく一方だ……。
「おい、ルカ!」
「んがっ……」
アレクシスに後ろから突かれた。しまった……授業中に居眠りこいていたらしい。さすがにオーバーワークか……。子供の体といえども体力が無尽蔵って訳ではない。
「ありがとう、助かった」
小声でアレクシスに礼をして、なんとか目をこじ開けて授業を終えた。少し根を詰めすぎたかもしれない。今日は帰ってゆっくり寝よう。放課後になっていそいそと荷物をまとめていると、ラファエルが駆け寄ってきた。
「ルカ、ちょっといいか?」
「え、もう帰るところなんだけど……」
「大丈夫、すぐすむ。でもここじゃまずいな、場所を移そう」
そう言ってラファエルは俺を食堂に誘った。放課後の食堂は初めてだ。数人の生徒がお茶を飲んだりしてくつろいでいる。ラファエルはツカツカとカウンターに向かうと勝手に注文し始めた。
「お茶とケーキを二つ」
「ちょっ……」
「いい、こっちが出すから」
湯気を立てるお茶とツヤツヤの今が旬のさくらんぼのタルトが目の前に並ぶ。うう……美味しそう。
「さ、遠慮なくどうぞ」
「ラファエル、一体なんのつもり?」
思わずそう言いたくなるくらいに、妙な笑顔のラファエル。ケーキは美味そうだが気軽に手を付けるのは躊躇われた。
「ルカ……近頃、宿屋界隈に妙な動きがあるのを知っているか」
「ふーん……そうなの……」
「なんでも宿屋の中で物品を販売するのでその仕入れ先を探してるとか……」
そこまで言うと、ラファエルはぐっと顔を寄せてきた。さらにニコニコと続ける。
「どこかでそういうものを見たなぁ……と。なぁルカ・クリューガー」
「う……」
「うちは乗るぞ。父様は腰が重かったが、お前が関わっているならうちも今の内に噛んでおくべきだ……と言い添えておく」
ラファエルは冬休みにうちで数日間働いている。その時に売店も見ている……話を聞いてピンときたんだろう。ヘーレベルク一の規模を誇るエーベルハルト商会が参戦か。はぁ、どんどん話が大きくなって行く。
「商人ギルドが決める事だよ」
「そうだな、うん……これはひとりごとだ。ルカ、お茶が冷めるぞ」
そんな不穏な宣言をされて美味しくいただける訳もない。俺、余計な事は言ってないよな。大丈夫だよな。もそもそとお茶とケーキを飲み下しながら、心の底から早く帰りたい……と思った。
自分でも嫌になることが多々あるが、俺は根っから小市民なんだよ。事業の管理の手伝いをするつもりがいつの間にか立ち上げの片棒を担いでいる。俺の一言でこれから動いていくヘーレベルクの経済の事を考えると実に胃が痛い。
「サラリーマンに逆戻りした気分だ……」
社畜時代の方が勤務時間は長かったが、ある程度もうマニュアル化されていた。一言にフランチャイズ化する、と言ってもその工程を一つ一つ決めるのは責任が重い。疲労感はどっこいどっこいかな。
「ただいまー」
「あー! おかえりおにいちゃーん」
うちに帰るとソフィーが人形のサラを手に出迎えてくれた。ソフィーは最近仕事の時以外はサラを片時も手放さない。ただいま、か。社畜時代にはこれは無かったな。迎えてくれる家族か……。
「ねぇ見て。サラの新しいおようふくを作ったの」
「またか? ソフィーより衣装持ちなんじゃないか?」
「いいの、たのしいから!」
楽しいから、か。まぁ俺も楽しくはあるな。あれこれ考えて、足りなかったりまずい部分はジギスムントさんという相談役が支えてくれている。なんとか軌道に乗せなくては。
俺は食堂にいた両親に夕食まで仮眠を取らせてくれとお願いした。父さんも母さんも近頃走り回っている俺を心配して、ゆっくり眠るようにと言ってくれた。
上着と荷物を放り投げて、ベッドに転がり込んだ俺はすぐに眠りの海に飲み込まれていった。
俺はもう、一人じゃない。そんな事を考えながら。
次回更新は2/25(日)更新です。




