8話 体験☆金の星(後編)
父さんが勝手に馬車を追い返してしまったので、ラファエルは引き続き夕食の仕事の手伝いをする事になった。
俺がオーダーをとって、ラファエルがテーブルに注文を運ぶようにしたのだが……。
「ラファエル、そっちじゃないよ!」
「じゃあどっちだよ!」
全く見当違いのテーブルに向かうので注意すると、イライラとしたラファエルが怒鳴り返してきた。おいおい、いきなりなんでも出来る様になれってのも無茶だろうけど客商売だぞ。さっきまでのやる気はどうした。
「ラファエル、スマイルだ。スマイルは無料だ」
「何言ってるんだよ、お前は」
口の端を指でつり上げてニーッっとお手本の笑顔を見せると、余計にラファエルを苛立たせてしまった。はぁ……出来なくていいからもうちょっと愛想良くしろって。
「おい、ルカ。そいつは商学校の坊ちゃんなんだろ?」
「そりゃそうだよ」
「なら……あたしの店番代わって貰った方がいいんじゃないかな」
そんなラファエルを見ていたユッテが助け船を出してきた。なるほど、馴れないお運びさんよりそっちの接客の方がまだ勝手が分かるか。
「ラファエル、お前計算は得意か?」
「もちろん。何より自信がある」
「ふん、ならここに値段が書いてあるから。客が来たら売ってくれ」
ユッテが売店の商品の前の値札を見せると、ラファエルは驚いた顔をした。
「最初から値段を提示してあるのか」
「お互い手間を省く為さ。いいか、勝手に値引きしたりふっかけたりしたら承知しないぞ」
「は、はい……分かりました……」
そこからはラファエルは売店でおとなしく接客をしていた。あそこなら客の方から来るし、こないだバザーで売り子の経験もしたしな。暗算も言葉通りに素早く出来るみたいでてきぱきとこなしていた。
「ありがとな、ユッテ」
「あんなんで足引っ張られて、客から苦情が来たらたまんないと思っただけだよ」
ユッテはふん、と鼻を鳴らすとさっさと厨房へと向かって行った。素直じゃ無いなぁ。
「さて、そろそろぼくらも夕食だ」
あらかた客も捌けた頃、ラファエルに声をかけた。ありゃ、船こいでら。昼間っから振り回されっぱなしだったもんな。
「おーい、ラファエル」
「はっ! いらっしゃいませ!」
「……夕飯だよ」
「え?」
ようやく居眠りしていた事に気づいたラファエルが気まずそうに眉を寄せる。その背中をポンと叩いて厨房まで連れて行こうとした……その時。
「ちょっと失礼します!」
大きな音を立てて宿の扉が開いた。身なりの良い女性だ。どう見てもうちの客じゃない。
「……お母様」
「ラファエル! 心配したのよ!」
「連絡は行かなかったの?」
ラファエルのお母さんか。ラファエルの声を聞いて、彼女は一直線に息子の元に駆け寄った。そしてキッと父さんを睨み付けると詰め寄って行った。
「どういうつもりなんです! こんな時間まで帰らせないなんて!」
「あとで送ると伝言をしたはずだが……」
「冗談じゃありません! この子は体が弱いんですよ!」
あまりの剣幕に父さんも及び腰だ。と、言うよりこの手のタイプが苦手そうだ。
「……そうなの? ラファエルは病弱なんだ? そんな風に見えなかった」
「赤ん坊の頃の話だよ……」
ラファエルは耳を赤くして顔を覆っている。父さんからはチラチラとSOSの視線が飛んでくる。ああ、もう。
「ラファエル、今日は帰った方がいいね」
「でも……約束が……」
「でもさ、あんな心配させたら駄目だろ?」
勝手に馬車を帰してしまった父さんも悪い。ユッテとおんなじ様には行かないよ。ラファエルは幸か不幸か大商会の嫡男なんだから。帰れと言われてしばらく考え込んでいたラファエルだったが、なにかを思いついたのかツカツカと母親の元に近づいていった。
「お母様、今日は帰ります」
「ええ! もちろんですとも」
「でも、明日も来ます。夕食までには帰ります。そして明後日も来ます」
「ラファエル? 何を言っているの?」
「夕食の手伝いが出来ない分、一日多く働きます。そうしないと僕の出した損害を埋める事が出来ません」
そこまで言うと、ラファエルはくるりと俺を振り返った。
「……それでいいな? ルカ」
「うちは構わないけど」
「お母様、商人は信用が大事だと言っていましたよね。僕にはその為にここに来る事が必要なんです」
有無を言わせない強さでラファエルは言い切った。ラファエルの母親は戸惑った表情をしていたが、ラファエルのその言葉を聞くと腕を伸ばしてその肩を抱きしめた。
「わかったわ……でもキチンと時間は守ってね」
「はい……あの、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
思春期に片足突っ込んだラファエルは、赤くなりながら母親をそっと引きはがした。
「よし、じゃあまた明日かな?」
「ああ、また明日」
表に付けられた馬車に乗り込む二人を一家で見送る為に外に出る。馬車にそり込んだラファエルは窓から身を乗り出して、こそっと俺に耳打ちをした。
「それにしても……ルカの許嫁はおっそろしいな。頑張れよ」
「なななな……なんのことぉ!?」
「違うのか?」
「ち、違うよ!!」
消去法で誰の事を言っているのかすぐ分かってしまった。なんて事を言い出すんだ、こいつは!! とんでもない爆弾発言を残して、ラファエルは帰っていった。
*****
そうしてラファエルは残り二日間の『金の星亭』の手伝いを無事終えて……その数日後の事だった。
「ルカ、エールをもう一杯!」
「はいはーい、今お持ちします」
いつものごとく、一仕事終えた冒険者達で賑わう食堂兼酒場で俺がせわしなくエールを運んでいると宿の扉が開いた。
「いらっしゃいませ! お一人様ですか?」
「ああ」
「こちらのテーブルへどうぞ。ご注文は」
「ワインと何か軽くつまめるものを」
入って来たのは、白髪の交じる金髪の初老の男性だった。ユッテの案内で、窓際の席につくと食堂全体を物珍しそうに見渡している。その顔に、俺はどこか見覚えがあった。その男性は俺と目が合うとにっこりと笑って手招きした。
「君がルカ君だね。……孫が世話になった」
「あ、やっぱり……」
緩やかにウェーブした金髪と目元のあたりにラファエルの面影があった。ユッテが注文の酒とつまみを運んでくるのを今度は面白そうに見つめている。
「悪い事をしたね……我が家の問題だというのに」
「いや、その……こちらこそ、お孫さんを……こきつかっちゃって」
「ははは、いいんだよ。今回の事で大分鍛えられただろう」
ラファエルのお爺さんは運ばれたワインを一口、口にするとそう言ってため息交じりに笑った。
「言い訳のようだが……息子夫婦はラファエルに対して過保護気味でね、あまり遊ぶという事がなかったんだ」
「そうなんですか……」
ラファエルのコミュニケーションって常に一方通行だもんな……。なまじ勉強は出来たもんだから、そこにばっか固執して上から目線。
「あのような性分では、遠からず他とトラブルを起こすとは思っていたが……」
「――ラファエルは、お爺さんに認めて貰いたいと言っていました」
「……そうか」
試験の順位表を前にして、ラファエルはそう呟きながらこの世の終わりのような顔をしていた。それを聞いたラファエルのお爺さんは眉根を寄せて再びワインを煽った。
「あの子はやっていけそうかね」
「……うーん、大丈夫じゃないですかね」
「自信なさげだな」
「そういうのは、ラファエル次第でしょ。それからお爺さん」
俺は言葉を切ると、彼を見上げた。
「こっそり、こんなとこに来てないでラファエルのそばに居てあげて下さい。その……詳しい事情はぼくも知りませんけど」
「ふふっ、その通りだ。早速そうしよう」
自嘲気味にそう笑うと、ラファエルのお爺さんは立ち上がった。会計をして、父さんと母さんに戸口で声をかけてから、ひらひらと手を振って帰っていく。
「なーんだ、アレ」
それらの一連を目で追っていたユッテが呆れたような声をだした。まあね、しっかり家族に愛されちゃってるじゃないかって思うけど。でも、中にいると分かりにくいものなんだよ。きっとね。
「お、ルカ! ルカ!」
「どうしたのユッテ」
「雪だ!」
暗い、冷たい星だけが輝く夜空。見上げれば、その星のひとつひとつがこぼれて来るようにチラチラと雪が舞い落ちて来ていた。




