2話 チュートリアル
講堂があらかた埋まってしばらく。壇上に数人の大人が上がってきた。その中にはベルマー先生の姿も見える。およそ40人ほどだろうか、その生徒達を前に恰幅の良いおっさんが中央の演台に進み出る。身なりは仕立ての良い商人風で、頭髪は薄い。後ろに控える教員と思われる男から起立の号令がかかる。俺はつい、学生時代を思い出してぴっと立ち上がったが他の生徒はのろのろと立ち上がった。集団行動に馴れているのは俺だけかよ。
「皆様、おめでとうございます。私がこのヘーレベルク商人ギルド・商学校の校長を務めております。フンベルト・ハグマイヤーと申します。皆様がこの学校で学ぶことは、今後の人生において必ず役に立つでしょう」
禿げマイヤー……じゃない、ハグマイヤー校長の話はそれから延々と続いた。要約すると俺達への歓迎の意とこれからの勉学に対する心構えについて話しているのだが、とにかく長い……。俺はすっかり飽きてしまって、後ろの隅っこの席であるのをいいことに周りの生徒の観察をしだした。さっきまではずっとバッグとにらめっこしていたから、あまりよく見ていなかったからな。
年の頃はやはりフェリクスあたりの年齢が多い。じっとこの苦行とも言える挨拶に耐えているところを見るとそこそこに躾が行き届いているのだろうか。身なりはみな制服を着込んでいるのでそれで判別は出来ないが、キチンと刈られて櫛の通った髪型から、みなお坊ちゃんなんだろうな。と想像する。
背もそれぞれ横並びだが一際背の高い生徒が一人、それから頭ひとつ小柄な生徒を二人見つけた。ここから顔は見えないが、小さい方は俺と割と年齢が近いんじゃないだろうか。とりあえず、金髪ウエーブと茶色い髪を後ろでくくったその二人をロックオンしておく。
「で……あるからして、皆様には大変期待しております」
ようやく、長い長い禿げマイヤー校長の挨拶が終わった。ほっとしたため息があちこちから聞こえ、隣のヤツは小さく舌打ちしていたので飽き飽きしていたのはみんな同じの様だ。
「それでは各クラス別に分かれて、より詳しく授業についてご説明いたします。各自、掲示のクラスに分かれてください」
「んーと、ルカ・クリューガー……。3クラスか」
掲示板には1~3クラスまで、生徒の名前が割り振られており、ぞろぞろと生徒たちがクラスに分かれていく。先程の金髪と茶髪はどこだろう。ごちゃごちゃ掲示板の前に集まると、見失いそうになる……ああ、居た。やはり、ほかの生徒より小柄だ。年齢は俺ほどチビじゃなさそうだけど周りよりも下っぽい。じっと見ていると金髪の方と目が合った。ふいっと視線をそらされる。え? 今睨まれた? そいつは講堂を出ると、左に曲がった。クラスは別か……。
「もう一人の……って、ああ見失っちゃった」
金髪の方に気をとられていたら茶髪の方はもう移動してしまったみたいだ。とりあえず、自分のクラスに俺も移動しよう。教員の先導にしたがって3番目のクラスの教室に入ると、やはり視線の矢が飛ぶ。まぁ、俺が逆の立場でもきっと見てしまうもの。そのへんはもう諦めて、黒板に掲示された席順にしたがって、自分の席に座る。
しばらくすると、教室に現れたのはベルマー先生だった。シスター・マルグリットみたいなおっぱいの大きい女教師では無かったが、先程親切に場所を教えてくれた人物の登場にちょっと胸をなで下ろした。高圧的なおっさんよりははるかにいい。
「これから一年間皆さんのクラスを担当します、ユリウス・ベルマーです。それでは、お配りした紙を見てください。基本的に午前が必修の科目、午後は選択科目となります。必修科目はこの教室で、選択科目はそれぞれ専門の教室で行います。まずは一通り目を通してください。質問があれば受け付けます」
授業のカリキュラムか……。必修の科目として記載されていたのは「商人の心得総合」「算術」「作法」である。総合と言われてもいまいち内容が分からない。ビジネス基礎のようなものだろうか。「算術」は会計とか簿記の類いじゃないかと思う。作法はビジネスマナーってことかな。この世界の作法なんて勉強する機会なんてないからコレが一番興味が湧くな。
「あのぅ……質問いいですか」
一人の生徒が手を挙げた。
「はい、なんでしょう」
「この総合ってやつは何を勉強するんでしょう」
「総合」が意味不明なのは俺だけでは無かったらしい。何よりも一番最初に手を挙げたのが俺でなくて良かった。俺ってば、なんて小市民。その質問にベルマー先生は苦笑しながら答えた。
「毎週、ギルド所属の商会の商会長もしくは引退した方々が商売のコツや経験談などをお話して下さいます。内容は人それぞれですので……総合です」
内容がまとまらないので苦肉の策で総合と名付けた訳ね。と、なると体系だった学問がある訳では無いようだ。経験談は貴重な情報だが、経済学の講義のようなのは期待できなさそうだ。もっともそんな科目があれば、市場で個人商店を回って買い物するような羽目にはならない訳で。
一方、選択科目の方に目を移すと、なかなかマニアックだった。「皮革の知識」「鉱石・宝石」「農産物の基礎」なんてタイトルのものは生家の家業によって選択するのだろうか。中には「ダンス」なんてものもある。
「商人にダンスはいるのかな……ねぇ……」
と声に出したところで、話しかける相手がいないことに気がついた。そうだよ、ここにはフェリクスもラウラもディアナもいないんだ。
「貴族を相手に商売するつもりなら必要だと思うぞ」
「へっ……」
期待していなかった返答の声に間抜けな声が出た。後ろを振り向くと、枯れ草のようなくすんだ髪色の年嵩の少年がいた。ああ、さっきの入学式で一際背の高かったヤツだ。背だけではなく、体格もいい。年齢も大人びて見える。
「びっくりさせちゃったかな。俺は、アレクシス・ライナー。君は?」
「ルカ。ルカ・クリューガーです」
「ああ……君が、あの……」
あの、ってなんだ。俺はアレクシスを見つめた。入学式はついさっきだっていうのにシャツの首元とタイを緩めて着崩している。口調は柔らかいが体格の良さもあって、俺の第一印象は「なんかこいつヤンキーっぽい」だった。
「副ギルド長の肝いりだって噂になっていたけど、こんなに小さい子とはね。何歳?」
「もうすぐ八歳です。あの、肝いりってどういう事ですか?」
「君の推薦状、商人ギルドの副ギルド長が書いたんだろう」
今、聞き捨てならない単語があったぞ。どうなってんだ個人情報管理。いや、そんなものはあってなきが如しなのか。とにかく俺が副ギルド長の推薦でここに入った事が噂になっていると。じろじろ見られていたのは年齢だけでは無かったのだろうか。
「……それは良いことなんですかね?」
「良くもあり、悪くもあるな。常に君の行動は周りの注目を浴びるだろうし」
「げー……」
あーあ、俺は専門学校かビジネススクールに入ったつもりだったが、図らずも小さなヘーレベルク経済の中に放り込まれていたって感じ?
「ぼくのことを知っているんですか。あと、アレクシスさんは何歳?」
「俺は十六。クラスメイトなんだから呼び捨てでいいよ。あと、なんで君の事を知ってたかか。それは……」
「それは?」
「……それは秘密」
そう言って、いたずらっぽくアレクシスは笑うのだった。
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