8話 旅立ち(前編)
「……え?」
俺はその言葉に驚いた。いや、分かってはいたんだよ。いつかはそういう日が来るって。だって、ここは宿屋だもの。
「ルカ君、そんな顔しないで。またいつか戻ってくるから」
困ったような顔をしているのはエリアスだ。俺は一体どんな顔をしているんだろう。そう、俺はたった今、エリアスら一行がヘーレベルクを起つという知らせを聞いたところだ。
「いつ発つんだ?」
「三日後の朝にはここを発とうと思っています」
父さんは淡々と応対している。俺がこの世界で目覚めて一年と少し。その間エリアスたちはずっとこの『金の星亭』に泊まっていた。家族ぐるみで親しくしていたお客さんだ。
「お前たちはまだ若い。色々と見て回るのも経験になるだろう」
「はい。まずはここから南のフォアムに行って、海側へ行こうかと」
「海か……国外にも出るつもりか?」
「それは……まだ分かりません。とにかく、実力をつけなくては」
――海。そんな遠くへ。俺は学校で見たこの国の地図を脳裏に思い描いた。行くだけでも一体、どれくらいの日数がかかるんだろう。また戻ってくるとエリアスは言ったが、いつのことになるのやら。……その間、無事でいる保証だって無い。
「あっ……あの!」
「どうしたの? ルカ君」
「ぼく、エリアスお兄ちゃんたちの壮行会をします!……その、道中無事で……元気でいられるように」
前にエリアスは冒険者になったのは、自由でいる為だと言っていた。だったら湿っぽくなるより、パーッと何かやって送り出したい。そうだ、父さんも言っていた。「この宿が帰る場所になって欲しい」って。
「本当に? ありがとう」
エリアスはいつものように柔らかく微笑んだ。
「――で? なにをどうするつもりなんだ?」
「うーん、それが……」
壮行会幹事の相談相手にされたユッテは、あごに手をついてあきれたように聞いてきた。うーん、母さんとリタさんにいつもよりご馳走を作って貰って……それでどうしよう。
一発芸とか?あああ、会社の歓迎会で盛大に物真似でスベったのを思い出した。そもそも日本のお笑い芸人の物真似をしたところでどうにもならない。
「ユッテ、なにか良い案は無い?」
「人頼みかよ……やるなら明日の夜だろ? それまでに出来ることって……」
「ないか……」
「……歌でも歌ってやれば?」
そうだな。準備に一日しかかけられないなら、それが妥当かな。プレゼントは道中荷物になるだろうし。見た目にもほほえましいだろうな、一人中身はおっさんだけど。俺と、ソフィーと……。
「ユッテも一緒に歌ってくれるよね」
「えっ? あたし?」
「頼むよ!」
「えええ……」
それにしても歌か……。俺、こっちの歌を全然知らないな。まだソフィーの方が知っている。学校で年少組が歌いながら綴りを覚えているのを見たことがある。
「……あ。あいつ……」
歌で思い出した。あいつが今もしこの街に居たら、場が華やぐだろう。うちだって前みたいに客がスカスカな訳でもないし。あくまで居れば、の話だけど。俺は広場に向かって家を後にした。
*****
市の日でもない広場は閑散として、人影もまばらだ。でも、今は商売をしてないだけでこの街にはいるかもしれない。俺はそこら辺を歩いていた果物売りのおばさんを捕まえて、聞き込みを開始した。
「へ? 吟遊詩人?」
「そう、黒茶の髪ででっかい羽根をつけて……リュートを持っているの」
「ああ……見たことあるねぇ」
「本当!? 最近見たりしなかった?」
「さあ……どうだろう。この間の市には居なかったねぇ」
その後広場にいた幾人かに聞いて回ったが、有力な目撃情報は無い。自分でもきょろきょろ見回してみたが、あのど派手な男の姿はついぞ見当たらなかった。
「そう、都合よくいたりしないか……」
「そうですかね?」
「まぁ、仕方ないさ……それなら自分たちで……へ?」
「あたしをお探しなのでは?」
見上げると、探していた人物が目の前にいた。吟遊詩人のアルベール。普通の白いシャツなんて着ているから、分からなかった!
「わあああっ! はい、そう……そうです!」
「ははは、可愛らしい子があたしを探しているなんて聞いたもんですから。またあたしは罪の無い娘っこをたぶらかしてしまったのか、と急いで出てきて見れば……まぁいいですけどね。」
相変わらず芝居がかった男だ。今は商売をしている風でもなく、目立たない普段着に買い物かごなんてぶら下げている。きょろきょろしたって見つからないわけだ。
「ここではなんですから、あたしのうちに行きましょうか」
「ああ、そうですね……ってうち? うちって家の事?」
「他に何があるんです? ああ……そういえば坊ちゃんがお招きする初めてのお客様になりますね」
「アルベール……さん、は家を借りたんだ」
「ええ、ちょっと訳がありまして。小さな借家ですけどね」
案内されたアルベールの住処は、こぢんまりとした質素な借家の一室だった。ただ、日当たりは良く明るい部屋だ。そして、意外にも……俺たちを出迎える人影があった。
「リオネッラ、俺の家の初めてのお客さんだよ!」
「あら? いらっしゃい。ずいぶん可愛いお客さんね」
「レリオ、お茶の用意をしてくれるか」
「はいはい」
リオネッラ、レリオと呼ばれた二人には見覚えがあった。花の祭りでアルベールと広場で演奏をしていた竪琴弾きと笛吹きだ。蜂蜜色の髪をした、一対の人形の様な二人。二人ともよく似ている……きょうだいだろうか。
「姉のリオネッラに弟のレリオ。……あたしの家族です」
「家族?」
「そう、家族ですよ! いやぁー、なにがどう転ぶか分かりませんね。あたしに家族ですよ。一度止まり木に止まれば二度と羽ばたけまいと思っておりましたが、とんでもない! あたしの翼はより大きく広がって、どこまででも飛んで行けそうです」
「あの、ちょっと言っている意味が分からないんですが……」
そう一気に畳みかけられると、ちょっと引くわ。暑苦しさ倍増だ。
「それが、家を借りた理由ですか?」
「いや、それだけではなくてですね……」
アルベールがチラリとリオネッラを見る。午後の窓辺の光に照らされた彼女はゆったりと椅子に座り、下腹部に手をやっている。これって……。
「しばらく、この街から動けない理由ができまして」
「……もしかして、おめでたですか」
「ご名答! さすがに妊婦と旅はできませんからね」
うわぁ、うわぁ!この男が父親だって?まじかよ!……おっと、動揺しすぎて肝心の言葉を言いそびれた。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。ふふふ、いいものですね。なぁ、リオネッラ、レリオ。おめでとうだってさ!」
「少し落ち着こうよ、アル。その子は何か用事があってきたんでしょ」
興奮気味のアルベールを弟のレリオが押さえてくれた。そうそう、別にアルベールのお祝いをしに来た訳じゃない。本題はまだ口にもしていない。
「ああ、すまん。それで? どういった訳であたしを探していたんです?」
「それが……ずっとうちに逗留してくれていたお客さんがこの街を出て行くことになったんです。それで、演奏を頼みたくて」
「それはそれは。お安いご用ですよ」
「それから、お願いがまだあって。ぼくらに歌を一つ教えて欲しいんです」
あー、やっと目的が半分果たせた。ちょっと予想外の事が多すぎて、どうなるかと思ったよ。
「歌を。そりゃどうして」
「ぼくらからそのお客さんに歌のプレゼントをしたいんです。その協力をお願いできないかって。ぼく、あんまり歌とか知らないから」
「歌を知らない……それはいけませんね! いいでしょう。今からはじめますか」
わー、待って待って。ユッテとソフィーを連れて来なくては。……ああ、何だか調子狂うなぁ。俺はアルベールにお礼を言うと、すぐに『金の星亭』に向かって駆け出した。
次回更新は7/9(日)です。予定変更があった場合は活動報告、Twitterでお知らせします。




