7話 そして戦うパン屋さん
その日、シスター・マルグリットは俺とフェリクスを壇上に呼び寄せた。
「皆さん、今日でフェリクス君とルカ君がこの教会の学校を辞めます」
ルカ君まで?どうして?という子供達のざわめきが教室のあちこちから上がる。
「静かに! それでは一人ずつ、みんなに挨拶を。じゃあ、フェリクス君から」
「はい! みんな、オレはこれからパン屋になります。……オレの作ったパンが店に並ぶのはまだ先になるだろうけど、よろしくな」
「では、ルカ君」
「はい……ぼくは、この学校を辞めて商人ギルドの商学校に進みます。何が出来るか、分からないですけど……もっと色々学んで行こうと思います。ありがとうございました」
「フェリクス君、ルカ君。頑張ってね」
「先生、いままでありがとうございました」
それから小さな花束を渡され、転校の挨拶並にあっさりとフェリクスと俺の卒業式は終了した。ただ、ラウラだけは事前に知っていたのにまた大泣きをして、ディアナに慰められていた。
――フェリクスは冒険者じゃなくて、パン屋の道を選んだ。
少し、しんみりした気分と共に俺のこれからの事を考える。目的は曖昧なまま、勢いと好奇心、それで決めてしまった商学校への進学。新しい環境への不安はもちろんある。読み書きを習って、友人が出来て。それなりの思い出と出会いをくれた教会の学校を、去り際に振り返って目に焼き付けた。
コツン、という音で目を覚ます。なんだ?また再び、コツンという音。まだ夜も明けきらぬ暗い部屋。音のした方に目を向ければ、窓がある。ソフィーを起こさないように、そっと木窓を空けた。まだ外はうっすらと朝日の気配があるくらいの早朝だ。
「ルカ!」
押し殺した声を下に聞いて視線を移すと、窓の下に小石を握って手を振るフェリクスが居た。
「ルカ! ちょっと降りてこれるか?」
こんな朝からなんの用だ?俺は寝間着のまま、そっと屋根裏部屋を抜け出した。
「フェリクス。どうしたの……まだ寝てたんだけど」
「あのな、オレ今から迷宮に行ってくる」
「……へっ!?」
突然の爆弾発言に一気に眠気が吹っ飛んだ。え?パン屋になるんだろ?学校を卒業した翌朝にこいつは何を言い出すんだ。
「ルカ、お前が言ったんだぞ。迷宮に潜るパン屋がいてもいいってな」
「確かに言ったけど……」
「へーレベルクの男として生まれたからには、オレは迷宮をこの目で見るべきだと思う」
フェリクスは胸元からギルドタグを取り出して不敵に笑う。……あのな……東京タワーもスカイツリーにも行ったことない東京都民なんてごまんといるぞ。実際俺もこんな近くにあると進んで行こうとか思わない。商売のネタになりそうだから興味はあるけど……。その辺はフェリクスの価値観なので、あんまりつっこんでは聞いてこなかった。ぶっちゃけ長くなりそうだし。
「……なんでこんなタイミングに?」
「パン屋の修行が始まったら、暇が無くなるからな。無事学校を卒業したから今うちの親父は一番油断しているはずだ」
「で? ぼくのところに来たのはどうして?」
「お前には一言、行き先を言っておきたかったんだ。もしもってこともあるだろ。本当はお前と行きたいけど……無理だろうしな」
それは無理だろうな。迷宮に潜る前に冒険者ギルドのタグを発行しようとしたら途端にうちに連絡が行くだろう。その後のことは……あんまり考えたくない。
「でも、一人じゃ危ないよ」
「大丈夫、貯めた小遣い使って冒険者のパーティに同行して貰うし、一層までしか行かない予定だよ。……さすがに夜には帰ってないとばれるからな」
「フェリクス、でもさ……」
「そろそろ急がないと、夜が明けちまう。じゃ、ルカ。うちの親父が来ても黙っててくれよな!」
そう言うと、フェリクスは北側の市壁の方向に向かって駆けだしていってしまった。フェリクスの迷宮への執着は嫌と言うほど知っていた。だから強引には止めなかったんだけど……俺はその後、それを大いに後悔する羽目になった。
「うちのフェリクスがこっちに寄ってないか!?」
息を切らせながら、うちに飛び込んで来たのはフェリクスの親父さんだ。時間はもうとっぷりと日も暮れてすっかり夜だ。フェリクスはまだ帰っていないのか。
「どうしました? フェリクス君なら今日はうちに来てませんけど」
母さんがそう答えている横で、俺は目を泳がせていた。朝会ったし、行き先も目的も知ってるんだもの。親父さんの顔色は蒼白だ。あいつ、こんなに心配かけて。言うなって言われたけどこうなったら約束を守ってやる義理はない。
「フェリクスのお父さん、あの……ぼく朝会いました」
「ルカ君、本当か!? で、どこにいったか分かるか?」
「……迷宮に行くって……でも夜には戻るって……」
「まさかと思ったが……あのバカ息子!」
フェリクスの親父さんの青白かった顔色が途端に真っ赤になった。頭を抱える彼に、父さんが話しかけた。
「今から探しに行こう。俺も行く」
「でも、もう市壁の門は閉まって……」
「ツテならある。準備をしてくるから、少し待っていてくれ」
「……マクシミリアンさん……」
父さんは、装備と武器を取りに向かい、身につける。狩りの際の皮鎧ではなくて金属の鎧を着込んでいた。そして、うちを出る際に俺を振り返った。
「ルカ。説教は後でするとして……一緒に来るか」
「……うん!」
返事をするとすぐに父さんに抱きかかえられた。説教は確定事項か。しかたないな。朝に俺がちゃんと止めてればこんな騒ぎにはならなかったのだし。それは置いといて、フェリクスの身が心配なのは俺も一緒だ。
一行は北側の市壁へ向かう。暗い道を光石を入れたカンテラだけが照らしている。
「ここで待っていてくれ」
閉められた門扉をガンガンと父さんが乱暴に叩いた。
「ハンネス! いるか!?」
「どうした?」
「子供が一人、迷宮から帰らない。探させてくれ」
「今からか? あっ、おい」
開いた大門の横の扉から顔をのぞかせた、衛兵のハンネスさんを押し込むようにして父さんは強引に中に入ろうとした。
「こらこら、ちょっと待てマクシミリアン!」
「ルカの友達なんだ。門を通させてくれ」
「お前こそ一人で行く気か? 昔のお前とは違うんだぞ」
ハンネスさんも迷宮の衛兵を任されているだけあってそう簡単には通させない。
「おおーーい」
そんな揉める二人に向かって声をかける人物が。身軽な軽鎧を身につけたまだ若い冒険者たちが迷宮の方面からやってきた。
「すまない。怪我人が出て、門の閉まる時間に間に合わなかった……もしかして探しているのはこの子の親か?」
その冒険者たちの後ろから気まずそうに顔を出したのはフェリクスだ。
「フェリクス! 良かった! 無事だったんだね」
「ルカ…すまん、迷惑かけたみたいだな」
「無事か! このヤロウ心配かけさせやがって」
「親父ごめん……」
フェリスクスの親父さんは息子に飛びついた後、ビンタしてまた抱きしめた。無事で良かった……。ほっと胸をなで下ろしたところに父さんがやって来た。
「ルカ、歯を食いしばれ。フェリクス、お前もだ」
チラリ、と横目でフェリクスの親父さんを見るとうんうんと頷いている。……粛々と罰を受け入れよう。目をつむると俺たち二人はゴン、ゴンと並んでげんこつを食らった。本気じゃないだろうけど……本気だったら死んじゃうかもだけど、目がチカチカした。
「迷宮は命を賭ける場所だ。二度と甘い気持ちで向かうなよ」
フェリクスは予定通り同行を頼んだ冒険者パーティと日帰りで迷宮一層を見て回る予定だったが、帰り道で魔物に出くわし撃退したものの怪我人が出て戻るのに予想外の時間がかかってしまったらしい。
二人して怒られて、とぼとぼと歩く帰り道。フェリクスが俺にポツリと言った。
「なぁ……ルカ」
「なんだよ……お前のせいで俺もげんこつ食らったぞ」
「俺……パン屋になるわ……」
「いまさら!?」
フェリクスはごそごそと腰の小物入れから茶色い固まりを取りだした。
「これ、見ろよ。これが迷宮の携帯食だとよ。虫が付いてても避ければいいとかって平気で食べてやがった」
「うえ……」
「俺は、親父以上のパン屋になる。そんで美味くて日持ちのする携帯食を作ってみせる」
「そうかよ……良かったな……」
でっかいタンコブと引き替えにだけれど、フェリクスの意思は確固として固まったようだった。
次回更新は7/2(日)です。予定変更があった場合は活動報告、Twitterでお知らせします。




